通訳の裏切り;人を騙すくらいなら、騙された方がまし!

大谷翔平選手が、水谷一平さんに嘘をつかれたと会見で語った。それでも、なぜ、6億8千万円もの大金をどうして勝手に振り込まれたのかと、大谷選手に疑いの目を向ける人が少なくない。

今は、日本でも銀行口座にログインするだけでは、お金を振り込むことはできない。ワンタイムパスワードが自分のスマートフォン送られたり、銀行から送られてくる道具でパスワードを確認してパスワードを入力しなければ簡単に振り込むことはできない。また、振込限度額を一定限度以上に上げるにも電話での確認などが必要だ。

しかし、大谷選手が、銀行口座からの振り込みなどを水原氏に一任していれば、そして、連絡先番号を水原氏のスマートフォンに指定しておけば、いとも簡単に巨額であっても振り込み可能となる。

それでも多くの人は、何百万ドルもなくなっていて気づかないのかと批難するかもしれない。それも、大谷選手が水原氏を完全に信頼しきっていれば、銀行口座の残金など気にしないだろうと考えられる。

嘘をつかれて騙されるのを不思議に感ずる論調を展開する人は、きっと信頼していた人に騙されたことがないのだろう。私は、数回、信じた人に騙され、怒り心頭に発したことや絶望に打ちひしがれたことがある。疑いもなく信頼していた人から、こっぴどく裏切られたことがない人がいれば驚きだ。

信頼関係は、お互いの立場によって揺らいでくるものである。自分の欲得が信義よりもはるかに優る状況になれば、それまでの信頼など一瞬のうちに瓦解するものだと思う。特に、立場が人を変えることも少なからずある。組織のトップになって権限という甘い汁を吸い、突然に自分を過大評価して邪魔者を排除していくのを目の当たりにしてきた。権限を持てば、謙虚さを失い、恩義を失う人は少なくないのだ。

子供には「実るほど頭の下がる稲穂かな」を繰り返して教えてきた。私は大谷選手こそこれを実行している人物だと評価している。人に騙されたことを恥じる必要などどこにもない。人を騙しておらず、嘘もついていないなら、堂々と70本くらいホームランを打って欲しいものだ。