米国の国際協力研究に対する非友好的態度

9月7日のNew England Journal of Medicine誌に「Threatening the Future of Global Health-NIH Policy Changes on International Research Collaborations」というタイトルの論文が公表されていた。NIHの方針が世界の医療保健施策を脅かすことに対する懸念の表明である。今年の10月から(あと2週間で)NIHの予算を受け取っている海外の研究者に対して、研究結果につながるすべての研究ノート、すべてのデータ、すべてのドキュメントのコピーを提出する義務を課すという内容だ。

しかも、それらを6か月以内に、リスクが高い場合にはもっと頻回に提出を求めるという。そして、NIHはそれらの資料を検閲できる権利を有するそうだ。この起因となったのは、NIHのグラントの一部を受け取っていた武漢の研究所のコロナウイルス研究に関する監査ができなかったことだ。これに対して米国議会が圧力をかけたためにこのような状況が生じたという。

長い研究生活を送ってきた立場で言うと、共同研究は互いの信頼と尊敬が基盤になって成り立つもののはずだ。もちろん予算配分権限を持っている人たちが、圧力をかけて共同研究を強要することもあるし、私は国内でもそのような状況があったことを否定しない。この論文を読んで腹立たしいことは、研究者間の信頼と尊敬で成り立つべきことに政治が介入して研究現場を荒れさせることだ。アメリカファーストではなく、アメリカだけが正しくて外国の研究者は信頼できないと、国が傲慢に宣言するようなものだ。信頼に基づく国際共同研究は、研究者間の心のつながりを醸成し、それは結果的に国家間の結びつきにつながることになる。

かといって、新たに共同研究を開始する際には、思いもよらないことに遭遇することもある。かつて米国の研究者と共同研究した時に、「結果を考えると、サンプルを取り違えているのではないか」と相手に連絡したことがあった。取り間違えたかもしれないと言われると、いつも寛大な(?)私は、「人間誰でもミスをするから、仕方がないよ」と答えたはずだが、なんと「お前が信頼できるかどうかを調べるためだよ」と返事をよこしてきた。人に騙されても、人を騙していけないという教育を受けてきた私は、いつもの冷静沈着さを失い、「信頼していないなら共同研究するな!」と言ってその人との人間関係を終わりにした。間に入ってくれた友人にも、これを伝えたが、彼は素直に「ごめん」と謝ってくれた。

国と国との関係では、騙し、騙されたり、裏切りなどあるだろうが、国際共同研究は信頼と尊敬があって成り立つもの、あるいは、信頼と尊敬を醸成するものだから、このNIHの態度には不快感しか覚えない。昭和と平成を生きてきた人間にとっては何とも住みにくい時代になったものだ。