現実を直視しないコロナ対策

1日の感染者数が15万人を超え、プロ野球の球団でも次々とクラスターが発生し、試合中止を余儀なくされている。プロ野球はお休みできても、エッセンシャルワーカーに集団感染が起きると社会活動の支障に直結する。重症者数があまり増えていないが、濃厚接触者の自主隔離のような制度が残っているので、すでに社会活動に問題が生じている。

 

1日15万人で、仮に一人の陽性者に2人の濃厚接触者がおり、その人たちが7日間待機を要すると、1日(の感染陽性者+濃厚接触者)45万人X7日で、日々300万人が社会活動を停止となる。これが毎日繰り返されるので影響はとてつもなく大きい。1日の陽性者数が50万人に達すると、日々1000万人以上が働けなくなる。この数字に達する前に減少を始めると予測しているが、毎日1000万人前後だと、日本人の5-10%が働けない状況になり、社会の混乱の重篤さは想像に難くない。

 

火事が起こっても、熱射病が起こっても、消防車や救急車の活動を停止することはできない。警察署も署員の10%が勤務できなくなると機能不全となる。そして、その状況がすでに起こっているのが医療機関だ。手術室に勤務する人の10%が感染者・濃厚接触者になれば、手術の調整がかなり厳しくなる。医療従事者から患者さんへ感染が起こることは絶対に避けたいので、濃厚接触者の勤務再開には慎重を期さなければならない。過去の波と違って、今回は働き手の供給不全が起こっている。

 

そのようになると、外来制限、入院制限となり、お盆休みの頃には救急医療へのアクセスがかなり難しくなる。心筋梗塞や脳梗塞など一刻を争う患者さんにアクセス制限がかかることは、助けられる命を助けることができなくなることを意味する。これは天災ではなく、人災だ。現在のコロナウイルス感染症の重症化率と今起こっている医療逼迫を天秤にかければ、常識的には現在の無症状者の隔離・自主規制や濃厚接触者の社会活動制限はどう考えても理に合わないのだ。

 

今でもコロナウイルスが2類か5類かの愚かな議論があるが、日本という国は現実を見て判断できないものかと腹立たしい。分類よりも、ウイルスの特性に合わせた措置を考えるべきなのだ。科学的判断と社会的判断ができてこその専門家だが、真の専門家でない人たちが日本という国を歪めている。科学的判断に責任を負うことのできる人が専門家なのではないだろうか?経済活動・社会活動を制限せず、マスクで乗り切る決断をすべきだと思う。

嘘をつくな、現実を見よ、そして信頼を取り戻せ!

今日のNatureに「Memo to Boris Johnson’s successor: tell the truth, respect evidence and restore trust」というタイトルの出版社からのコメントが掲載されていた。日本語に意訳すると「ボリス・ジョンソン首相の後継者へ;嘘をつくな、現実を見よ、そして信頼を取り戻せ」となる。Natureはイギリスの出版社であり、同国首相への強烈なメッセージである。

The Johnson government’s three years were characterized by a shocking and persistent disregard for rules, for the truth and for expert evidence — all of which culminated in extreme positions on a number of policy issues.

ジョンソン政権の3年間は「衝撃的かつ継続的に、規則、真実、専門的な証拠を無視し続けた」と特徴づけている。これらが、多くの政治的な課題に対して極端な(いい意味ではなく)姿勢につながったと批判している。ジョンソン首相は2日間で50人もの大臣・官僚が辞任したことによって、首相辞任に追い込まれだ。このような大規模の辞任ドミノは、英国の政治史上で最も大きな混乱だったという。

英国の研究者たちは、EUのHorizon Europe基金から研究費を支給されなくなる危険性に直面している。英国のEUからの離脱は、科学研究費にも暗い影を投げかけているのだ。EU離脱は英国民が決めたことなので、ジョンソン首相個人を非難するのはおかしいと思うのだが?

「嘘をつくな、現実を見よ、信頼を取り戻せ」は日本のあらゆる分野にも当てはまるかもしれない。コロナ感染症の対応については、多くの国民は専門家会議のコメントにあきれ果てている。3回目のコロナワクチン接種が進まないのは、副反応に関してごまかし、現実隠しがあると疑っているからだ。今日も若い人から友人がワクチン接種後に急死したという話を聞いた。政府に信頼がなければ、デマやフェイクの可能性があると思いつつも、リスクを回避してワクチンを受けないのは自然な流れだ。私も、3回目のワクチン接種後、左手の薬指・小指がしびれている。症状は改善してきているが、尺骨神経に何かが起こったのだ。

小さな組織であっても、大きな組織であっても、基本的な関係は個人の信頼関係が元となる。嘘をつく相手に応対すると、真っ正直な人の応対をするより、10倍以上の疲労が残る。現実・真実を見ないで、自己主張を続ける人も然りだ。この手の人は、自分が絶対正しいと信じ、相手の話を聞こうとしない。聞いているふりをしても、最終的には、自分の都合のいい部分だけを(意識している、していないに関わらず)切り取って作り上げる人が多い、信頼できない相手とやり取りをするのはかなりのストレスだ。特に私のようにど真ん中の直球しか投げられないし、受け止められない人間には、カーブ、スライダー、フォークボール、そして隠し玉をするような相手には体にボールが当たり、痣だらけになり、胃が痛くなり、そして、血圧と血糖が急上昇する。

何があっても、嘘をつかず、現実・真実を直視し、誠実に対応することが信頼を獲得するために不可欠だ。と青臭いことを言っても、白い紙を見せても、相手が赤色のサングラスをかけていれば赤に見えるし、青色のサングラスをかけていれば青に見える。実社会はなかなか厳しい!

コロナ感染陽性者数が11万人を、そして、これまでの総計が1000万人を超えた。過去最多は真実だが、数字が現実的にどこまで意味があるのか疑問だ。明らかに1年前とは異なっている。政治は、「生活制限なしで、社会活動は止めない。マスクはして欲しい」とはっきりと言えないものなのだろうか?



 

安倍元総理の遺したもの;敗者復活ができること

前の日曜日、大和西大寺駅に行ってきた。平城京跡を訪れたいと思っていたこともあるが、元総理が凶弾に倒れた場所で冥福をお祈りしたい気持ちがあり、行ってきた。駅前の献花台に遺影が置かれており、献花をする人の長蛇の列が続いていた。平城京跡の方向に少なくとも五百メートルほどの列ができていた。

 

毀誉褒貶があった方だが、声をあげない多数の安倍支持者がいることを実感した。私にとっての安倍元総理は、失敗しても再び立ち上がることができる社会であることを示した存在である。私がシカゴに旅立ったころ、日本は私を大いに失望させた民主党政権下にあった。自分の無力さを痛感して2012年3月29日に成田空港を後にした。当時の官房長官は、記者からの質問に「給料がいいからアメリカに行ったのでしょう」と言い放った。この自らを反省しない意識こそ、年末に無残に政権を失った要因なのだ。

 

もう、日本に戻るつもりはなく、シカゴのハイドパークのミシガン湖と科学博物館を眼下に眺めることのできる築50年のアパートの一室を買ったのは、2012年の秋だった。当時1ドル80円弱であり、東京よりもはるかに安かった。その後、安倍自民党は、年末選挙に大勝利して政権に返り咲いた。これは日本にとっては幸いだったと思う。その後の安倍政権は多くの批判を浴びたが、日本の存在感を高めたことを忘れてはならない。

 

第1次安倍政権の失敗は、それ以外の人物であったら二度と立ち上がれないくらいのダメージだったはずだ。しかし、失敗すれば終わってしまう日本社会の常識を覆し、一度失敗しても、真面目に努力すれば、復活できることを示したことは意義深いと思う。

 

米国永住権を持っていたにもかかわらず、2017年ころから、「もう一度日本に戻って、自分も日の丸を世界に示したい」と考えるようになったのは安倍元総理の影響が大きかったと思う。近畿大学の入学式で「大切なことは失敗から立ち直ること」というメッセージを残している。これこそ、今の若者たちに送る必要な言葉だ。失敗を忘れず、チャレンジし続けて、日本を変えて欲しいと願うばかりだ。

 

「七転び八起き」というが、日本では「一転び、それで終わり」が大半だ。失敗して立ち上がるには、普通に立ち上がるよりも辛い。それでも、立ち上がって前に向いて歩き続ける人を支援できる体制が必要だ。努力している人を見守り、支援できる社会にしたい。4月以降、しんどい思いをして、気持ちが折れかけているが、献花台の写真を見て頑張るしかないと思った。日本のために!

 

改めて、心より安倍元総理のご冥福をお祈りしたい。そして、一度だけであるが食事をご一緒させていただいたことのある元総理のご母堂、安倍洋子様の健康を願わずにはいられない。

 

病院の正式な死亡確認時刻より数時間前に死亡発表;これこそマスゴミのおごりだ!

悲劇は起きた。4日の産経新聞正論欄で、安倍総理のコロナ流行初期の学校休校は危機管理の観点から正しいと書いたが、まさか、このような危機管理に欠けた警備体制下で安倍元総理が射殺されるとは思わなかった。かなり批判を受けた総理だったが、日本の国際的な存在感を高めた意味では、立派な総理だったと思う。

 

それを示すエピソードとして、私の友人である元駐日メキシコ大使のツイッターを紹介する。「Shocked by murder @AbeShinzo, former Prime Minister and most important political leader #Japan in the 21st century. Great friend 🇲🇽. My condolences to wife Akie, family, friends and noble Japanese people. Japan 🇯🇵 and Asia lose a pilar of peace and stability. @EmbFukushima @SRE_mx @CsocialTec」とショックを受けた状況をコメントしている。

 

米国で過ごした6年間、安倍総理のニュースを度々目にした。米国内の報道からも日本の存在感が高まったのは事実だ。国際的な不安定さが増す中でのこの悲劇は日本に取って大きな痛手だ。

 

悲劇そのものは痛ましいが、医師が正式に死を宣告する前に、報道で先行して死亡が報道されたのは嘆かわしい。あるジャーナリストは事実を確認して情報を流したと言うが、本当に馬鹿かと思う。死亡を宣告できるのは医師だけなのだ。誰に確認したのかわからないが、法的には正式な医師による死の宣告時間が死亡時刻だ。こんな基本的なことがわかっていない記者など、記者と呼ぶに値しない。

 

たとえ、状況的には厳しくても、夫人が到着し、納得した上で死亡を告げるのが「人の道」なのだ。夫人が死に立ち会って最後の瞬間を看取るのか、死が宣告された後で死者となった安倍総理に会うのかでは、遺族の気持ちは大きく異なる。医療が単なる科学でない部分がそこにある。夫人の心情を思いやる心が大切なのだ。「家族が到着するまで延命治療を続けて、家族に死を宣告する瞬間を共有してもらうこと」、すなわち、「家族が死を看取ること」は医療現場では少なくない。報道にもこのような医療現場での心のケアを理解する常識が必要だ。何が、早く報道するのが、メディアの使命だ!。

 

どのような確認をしたのかわからないが、法的な死の定義も知らず、家族の気持ちも慮れない人が報道に携わっているから日本はおかしくなるのだ。人間の情がわからない報道記者など退場すればいい。

 

医師の暴言や暴力が企業より深刻?!;記事のタイトルに喝だ!

共同通信に「医師の暴言や暴力、横行 パワハラ、企業より深刻か」というタイトルのニュースが掲載されていた。日本小児外科学会に所属する医師に対するアンケート結果で約280名が回答したそうだ。内容としては、暴言が89%、差別的な発言71%、暴力行為が65%、情報遮断(仲間外れ)59%、休暇中の出勤強制50%、理不尽な人事49%、飲み会の強制48%と続く。

 

メディアは何を主張したいのかわからないが、子供の命を預かっている外科医がミスをすれば人の命に関わるのだ。記事に「専門家は病院は上に逆らえない風潮が強く、ハラスメントへの意識が企業に比べて低いことが影響していると指摘する。」とあった。何の専門家か知らないが、適当なことを言うなと思う。部下が間違っていたり、トロトロとしていれば、どやしつけて何が悪いのだと、私のような昭和人間は思わずにいられない。自分の子供の主治医が厳しく教育されておらず、しっかりとしていなければ、子供の命を危険にさらすのに、何を寝ぼけたことを言っているのだろう。これをパワハラ意識が低いの一言で評価しようとするメディアの小児外科医という職業に対する無理解さに鳥肌が立つ。

 

私も大阪府立病院に勤務している時に、研修医の胸倉をつかんでつるし上げたことがある。当直明けで昼間に深く眠り込んでいたところ、看護師さんが飛び込んできて「・・先生を止めてください」と叫んだので、一目散に病棟にかけつけたところ、信じられない光景が目に飛び込んできた。小さな子供の熱傷患者の鎖骨下静脈に、研修医がカテーテルを入れようとしていた。何とすでに複数の大きな針穴が開いていた。経験したことのない医療行為を指導医もいない中で試みていたのだ。ひとつ間違うと大出血や肺に穴が開くので、技術力が必要な医療行為だった。体の半分以上に火傷を負っていた重篤な小児患者に、未経験の医療行為をしていたので、看護師さんが信頼のある私に助けを求めに来たのだ(といっても1年しか差がないのだ。一人自慢の褒めてなしだ)。もし、合併症が起こっていれば、言葉通り、命に関わることだった。

 

即座に「アホか!すぐにやめろ!」とどやしつけ、胸倉をつかんで「何を考えているんや!ここから出ていけ」と大阪弁でまくし立てた。私は医師として、患者を実験対象のようにしているとしか思えないこの医師の行為に、怒り心頭であったが、何も事情を知らなければ、周りは暴言・暴行に見えるだろうし、本人はパワハラと受け止めていたのかもしれない。手術中にもたもたしていても命に関わるので、瞬時に注意する必要があるし、当然言葉は荒くなる。

 

一人前の外科医、特に小児外科医になるためには覚悟が必要だ。記事の数字を見て、ミスをすれば命に関わる職業に携わっている人間として、覚悟や緊張感が足らないのではと思ってしまった。この職業を選んだ時点で、休暇中に呼び出されるくらいの覚悟をしていなくでどうするのだ。警察官、自衛官、消防士も緊急事態では休みなく働いでいるのだ。記事のミスリードかもしれないが、企業よりパワハラが深刻だと伝えている、近視眼的な記事のタイトルに喝だ!誤植や変換ミスは訂正すれば済むだろうが、小児患者相手のミスは「ごめんなさい」では済まないこともある。「このタイトルこそ、何を考えているんや。アホか」と言いたい。

「こんなブラックな環境でも、使命感に燃えて頑張っている」くらい書けないででどうする!

 

大阪に引っ越して3か月なのに参議院議員選挙投票は東京で?!

東京の旧居住地から、参議院議員選挙の案内が届いた。そこには東京でしか投票できないことが記載されていた。新住所の選挙人名簿に載っていないのが理由だが、引っ越して3か月も経つのに、大阪で投票できないとはどういうことだ。しかも、東京に出向くか、投票用紙を送る手続きをする必要がある。東京に行くとして、交通費は自己負担だし、投票用紙を送ってもらうのも書類が同封されていない。憲法にも保証されている参政権の否定に等しいようなルールだ。

 

いったい、マイナンバーカードは何のためにあるのだ。マイナンバーカードの居住地登録は4月初めに行ったが、選挙人名簿には手作業で入力されているというのか?住民票や印鑑証明は、マイナンバーカードを利用するとコンビニで入手可能なのに、国民の権利である投票権が、3か月経っても選挙人名簿に掲載されていないことを理由に行使できないのは納得しがたい。4月1日付で移動した人は多いはずだが、選挙の公示日から3か月前までに住民登録をしていないと新住所で投票できないのは、行政の怠慢だ。

 

文句を言っていても血圧・血糖が上がるだけなので、話を変えよう、Natureの6月21日号News欄に「Many researchers say they’ll share data-but do not」が報告されていた。282のBMC系の雑誌に報告された1792論文(著者がデータセットを提供できると書かれていたもの)にデータ提供を求めたが、実際にデータが提供されたのは、わずか120件だったという。データの提供には結構な手間がかかるので、このような研究は迷惑だと思うが、1670件は無視か、データ提供拒否だったのは、「データシェアリング」が掛け声だけに終わっていることを示す結果だ。

 

日本でもデータの共通基盤化が検討されているが、データの共有化プロセスに大きな壁がある。たとえば、どのレベルまで利用可能かを記載した、インフォームドコンセントが必要かである。インフォームドコンセントにはいつ、だれが、何をするかを記載する必要があるが、10年後、あるいは、数年後であっても、急速に進む技術革新を見通して利用目的を書き連ねることなど不可能だ。

 

今の知識の範囲でインフォームドコンセントを取得しても、いつ、だれが、どんな解析をするのか予言するのは非現実的だ。この20年間、われわれは驚異的な技術革新を目の当たりにしてきた。もっと科学リテラシーを高めて、研究推進のための仕組みを作ることが必要である。しかし、政府を信用していない国ではワクチン接種率が低いとの報告がある。研究者は自分の論文と出世のことしか考えていないと、多くの人は冷たい視線で研究者を見ている。研究成果が還元されれば、治らない病気が治るようになるはずだし、新規産業の創出で国家経済にも寄与するはずだ。

 

いつまでも知的好奇心が重要だと叫んでいるだけでは、医学研究は進まない。医学研究の入口も出口も患者さんであることを自覚し、協力を求めない限り、この国は変わらず、昭和を生き続けるしかないのだ。

 

NHKジャーナル出演; 人間力のある医学教育を

6月22日の夜、久しぶりに「NHKジャーナル」というラジオ番組に出演した(オンデマンド配信https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=0045_01_3790326 25分を過ぎたころから約9分間)。今回のテーマは「AIホスピタル」だったが、約8分の時間枠で私がAIやデジタルを駆使して目指すものがどこまで伝わったのか、自信はない。これまではスタジオでの出演だったが、今回は自宅から電話で出演した。前回まではNHKのスタジオで担当デスクの岩本裕さんの向かいに座って、岩本さんからのアドリブ質問を受けつつ、いろいろなことを解説していたが、今回はどこで合いの手が入るのかわからず、少し二人のやり取りがかぶってしまった。

 

特に相手にサインを送るわけではないのだが、スタジオにいると、何となく、アイコンタクトをしつつ、質問と回答のキャッチボールができていたが、電話だと表情を読み取ることができないため、間合いが難しかった。顔を見て話をすることが大切だと感じた。番組内でも言及したが、診察室で医師が患者さんの目を見て話をすることの重要性を再認識した。

 

最後の質問コーナーでは紹介されなかったが、「AIとロボット機能を持ったアンドロイドがいつになれば生まれるのか?」といった質問もあった。50-100年後には人間の機能を上回るアンドロイド型の医師ができるだろう。人間の記憶容量には限界があるが、AIロボットは膨大な記憶容量を持つはずなので、科学的な側面では人間より優秀な診断・治療ができるはずだ。ただし、個々の患者さんの多様性・複雑性(たとえば、血管の微妙な位置など)を考えると、記憶だけでなく、瞬時の判断が求められるので、意外に難しいかもしれないと個人的には思っている。

 

また、番組でも述べたが、医学教育において不可欠のはずだが、今、欠落しているのは、思いやりのある人間力を身に着ける教育の仕組みだ。医学は科学ではあるが、医療には人間関係、患者・家族―医師・看護師間におけるさまざまなコミュニケーション(人と人とのふれあい)が重要である。知識のない医師は論外だが、知識があってもコミュニケーション力の欠如した、心のない医師は医療に携わる資格があるかどうか疑問だ。がん診療の場においても、機械的に発する何気ない医師の言葉に、心の傷ついた患者や家族はたくさんいる。標準療法を振りかざすだけで、心に寄り添わない医師が胸を張っているようでは、医療はよくならない。こんな一般のひとでもわかることを感じ取れない人が多い世の中を何とかしたいものだ。