ある種の大腸がんは手術しなくても免疫療法で治癒できる!?

2週間前のNew England Journal of Medicine誌に「PD-1 Blockade in Mismatch Repair– Deficient, Locally Advanced Rectal Cancer」というタイトルの論文が報告された。特別な条件の直腸がんに対しては、手術しなくてもがんを治癒できる可能性を示した画期的な論文である。 この臨床試験では、DNAミスマッチ修復酵素が欠損しているステージII・IIIの局所直腸癌患者に対して術前に抗PD-1モノクローナル抗体(dostarlimab)を3週間ごとに6か月間投与する予定で始められました。治療後には、標準的な化学放射線療法や手術が行われる予定でしたが、12例では完全に腫瘍が消失し(あと4例は6か月の投与を終えていない。そのうち2例は、まだ、臨床的効果を調べられていない)、その後、最低6ヶ月の経過観察中に画像診断による再発・転移は認められていないとのことだ。

 

一般の大腸がんでは、免疫チェックポイント抗体の効果は5%程度だが、DNA修復遺伝子(あるいは、ある種のDNA合成酵素遺伝子)異常のある大腸がんでは有効率が60-70%という報告があった。これらの試験では、標準療法終了後に免疫チェックポイントが投与されていたので、今回わずか12例であるが、患者さんの免疫力が傷ついていない条件では、さらに有効率が高く、しかも、完全にがんが消えているという結果は驚きだ。

 

1990年前後に大腸がんの多段階発がんモデルがジョンス・ホプキンス大学のボーゲルシュタイン教授とユタ大学のホワイト教授の共同研究で報告された。誰も触れてくれないので、ここで述べておくが、ホワイトーナカムラ多型マーカーが利用できたことがこの先駆的な研究につながっている。多くの年配のアメリカ研究者はこれを知っているが、ほとんどの日本人は知っていても、これに言及しない。とはいえ、こんなことを自分自身で言及しないといけないのは個人的には悲しい限りだし、残念ながら、日本の科学研究の評価が公平・公正でない証でもある。

 

話を戻すと、多段階発がん説では、遺伝子異常が蓄積されるほど、より悪性度の高いがんができるはずだったが、遺伝子異常の多い(ミスマッチ異常陽性)の遺伝性大腸がんの予後が比較的いいのが謎だった。2000年以降、がん免疫に関心を持って研究しているが、この謎は遺伝子異常の極端に多い大腸がんでは、それによって生み出されるネオアンチゲン(がん特異的な抗原)が多いため、ネオアンチゲンを標的とするTリンパ球が腫瘍組織内に多くなっていることで説明が可能だ。

 

がんが大きくなる条件では、腫瘍細胞を介して、がん細胞を攻撃する免疫が抑えられている。抗PD-1抗体や抗PD-L1抗体などの免疫チェックポイント抗体は、このがんに対する免疫を抑えている分子や細胞を抑制する働きがある。簡単に言うと、がんを守っている守備要員を抑え込むのだ。しかし、がんに対する攻撃側が弱いと臨床的な効果は期待できない。ネオアンチゲンが多いと、一般的には攻撃側のリンパ球が多いため、攻守の形勢が一気に逆転し、そうなると、がんを攻撃するリンパ球がさらに元気になって増えてくるのだ。この論文では一部のミスマッチ修復遺伝子や酵素しか調べられていないが、ゲノム解析による遺伝子異常数を基準にするともっと多くの患者に適応可能だ。

 

この論文から学ぶ最も重要な点は、標準療法が終わってからしか、新しい治療法が検証できないという国内の硬直した思考力だ。抗がん剤で免疫力を低下させてから、免疫療法を試みることが正しいと信ずる非科学力思考力は、日本の喜劇であり、がん患者さんにとっては笑えない悲劇である。コロナウイルス感染症対策で、日本は科学力の無さを世界に知らしめた。政治家や官僚の科学リテラシーの欠如がこの国を危機的状況に追い込んでいる。

 

Efferocytosisを標的とした創薬

 


Nature Reviews Drug Discoveryの6月号に「Drugging the efferocytosis process: concepts and opportunities」というタイトルの論文が掲載されている。よく次々と考えつくものだと感心する。

 

病名は同じでも、いろいろなプロセスを経て、同じような症状や検査結果を引き起こすことは、今では常識だ。糖尿病といっても、(1)急激にインスリンが作れなくなるI型糖尿病は遺伝的な要因で、すい臓のベータ細胞というインスリンを作る細胞に対する免疫反応が起こって細胞が破壊されるタイプ(インスリン注射が絶対的に必要となる)、(2)インスリンの分泌が低下するタイプ、(3)インスリンに対する反応性が低下するタイプなど血糖値が上がる原因は様々だ。(3)のタイプも複雑で、いろいろな分子が関わっており、専門外の私にはすでに複雑怪奇としか言いようがない。

 

そして、Efferocytosisの異常が自己免疫疾患、糖尿病、動脈硬化にも関わるそうだ。「Efferocytosis」といっても、私を含めて多くの人にはチンプンカンプンだ。NHKの朝ドラで「ちむどんどん」という似たようなタイトルの番組が放送されているようだが、これも私にはチンプンカンプンだ。

 

Efferocytosisというのは、体内で死んだ細胞を処理するプロセスのことだ。われわれの体では毎日数十億個の細胞が死んでいるという。この数十億という数をどのように算出したのかいつも謎に思うのだが、偉い人が算出したのだから間違いないだろう。しかし、かつて、私の東大の職場仲間が皇族の方に「ゲノムは30億塩基からできており、その解読を行っている」と説明されたときに、「今、解析中なのに30億塩基であることが、どうしてわかったのですか」と質問され、返答に窮して、汗が流れてきたと言っていたことを思い出した。私も、人の体が30~60兆個の細胞からできていると言っているが、根拠を聞かれると冷や汗がでそうだ。学者や教授と名の付く人が、億とか、兆とか、大きな数字を告げると周りは何となく信じてしまうものだ。

 

話を戻すと、死んだ細胞は貪食(どんしょく)細胞によって食べられ処理される。死んだ細胞は細胞膜に特徴的な変化を起こすが、貪食細胞は死んだ細胞の匂い(分泌される分子)を嗅ぎつけ、表面の特徴を見極めて丸呑みするようにして食べ、そして、細胞の中で死んだ細胞を処理するのだ。不思議というか、神秘的な世界がそこにはある。

 

これが正常に働かないと、炎症を起こしたり、動脈硬化につながり、糖尿病にも関係するそうだ。このプロセスをターゲットとした薬剤開発が進んでいる。多くの臨床試験が論文の中で紹介されていた。この論文にあるように可能性のあるものに賭けてみることからイノベーションは生まれる。古い知識、古い基準、古びた過去の経験で評価していても、イノベーションは生まれない。コロナウイルスmRNAワクチンで、権威と呼ばれている人たちの知識の欠如を思い知ったはずだが、この国は何も変わらない。10年後にこの世にいるかどうかわからないわれわれは消え去るのみだが、若い人のチャレンジを支援できる体制を構築して欲しい。

 

ブタの心臓や腎臓を人に移植?!

骨髄移植、腎臓移植、心臓移植、肝移植、肺移植などの移植医療は免疫抑制剤などの格段の進歩によって、安全性が担保され、医療として確立した。しかし、移植を必要としている患者さんの数に比して、移植に提供できる臓器数は絶対的に不足している。生体肝移植や腎移植などは、近親者から提供を受けることもできるが、心臓は脳死移植を待つしかない。そして、日本では子供の心臓移植の可能性は限りなく低い。

 

そこで生まれた発想が、ブタの遺伝子操作をして、免疫原性を抑えて人に移植するアプローチである。最近、ブタの心臓の移植、腎臓の移植が相次いで報告された。二つのグループが操作した遺伝子や胸腺移植の有無など異なる。共通点は、どちらも糖鎖修飾に関連する遺伝子を改変して免疫反応を抑えようとしたことだ。血液型のA・B・Oも糖鎖修飾の違いによって起こっているし、腫瘍マーカーのCEAやCA19-9 も糖鎖修飾を検出しているものだ。血液型を誤って輸血すると急激な免疫反応によって重篤な問題が起こることはよく知られている。

 

日本では、人権無視と騒がれそうな二つの移植であるが、心臓の移植は、このままでは非常に限られた命であることを理由にFDAがゴーサインを出し、米メリーランド州ボルティモアのメリーランド大学医療センターで実施された。当初は順調とのことだったが約2か月後に急変して亡くなった。この間、米国で最も人気の高いスーパーボールも観たそうだ。

 

腎移植は、アラバマ大学で脳死と判定された患者さんに移植されたものである。倫理的な観点で、移植後54時間しか観察は許されなかったそうだが、移植された腎臓は尿を産生し、急性の免疫反応は認められなかったとのことだ。たとえ脳死患者であっても、倫理的に問題があるという声も聞かれるが、心臓移植を受けて亡くなった患者さんの家族が、「終わりでなく、希望の始まりになることを望む」とコメントしている。希望のない患者さんが新しい治療を望んでも、安全性を確認してからという日本のメディアは、健康人の声ではなく、切羽詰まった患者さんたちの声をもう少し取材して欲しいものだ。

 

医療の進歩の過程で、必ず、倫理的かどうかという問題が生ずる。骨髄移植や心臓移植も最初は苦難の道を歩んでいた。日本の心臓移植は、倫理的な疑義が生じたために、大きく出遅れたのは致し方のない面もある。しかし、生体肝移植という日本で生まれた方法で、これまで救うことのできなかった多くの患者が救われた。これも、健康人を傷つけることに大きな反対の声があり、メディアも当初は感情的な議論に終始した。自分の子供や家族がこのまま何もしなければ確実に亡くなるなら、自分の臓器を提供して希望を託したいと願う気持ちを直視し、向き合うことができない者が報道に携わっているから日本はおかしくなるのだ。余命3-6か月と宣告されたがん患者さんでも、安全性が確立されてからと宣う記者たちの神経は信じがたい。

 

私は救えないがん患者さんを救うために研究者人生を賭けてきた。医学研究者にとって、救えない患者を救うために何ができるのか、すべての原点はそこにあると思う。研究費を獲得するためではなく、論文をいい雑誌に書いて自分の出世につなげるためでなく、患者さんに貢献できる研究者が育つことを切望している。

 

母の命日に想う敗軍の将の責任

1999年6月1日に母が亡くなり、23年が経過した。この23年間、山あり、谷ありの人生だった。努力しても必ず報われるわけではないが、努力しなければ報われない。そう信じて過ごしてきたが、世の中にはずるがしこく生き抜いてきた奴がたくさんいる。10億円の給付金詐欺などは日本人の劣化の象徴だ。

 

人が育たない、イノベーションが生まれないなど日本の悩みは尽きない。最大の要因は、評価する側に目利きがいないことと評価者を評価をする仕組みのないことだと繰り返し主張してきた。関係者の利権を鎧の下に隠し、見かけだけの公平で公正な評価と糊塗すれば、イノベーションどころかその芽さえ育たなくなる。若者がサイエンスに目を向けなくなったというが、不公平な評価を続けていれば、若者の気持ちは切れる。若手が育たないのは、当然の帰結だ。そして、霞が関からも若い人が逃げ出している。

 

話を戻すと、1999年6月2日に後にミレニアムゲノムプロジェクトにつながる会が通商産業省で予定されていた。その直前の5月30-31日にかけて母を見舞いに市立堺病院に行った。これが最後の見舞いになると思いつつ、麻薬で意識がおぼろな母に語りかけた。6月2日に東京で重要な会議があるとの話をしたが、うつろな母の状態から記憶に残っているとは思っていなかった。

 

しかし、私が東京に戻った夜、母は父に「私が明日亡くなっても、祐輔には2日の会議には出るようにと伝えて」と言い残し、翌朝、旅立った。危篤の報を聞いて大阪に向かったが、死に際には間に合わなかった。亡くなる直前に意識が戻り、お世話になった看護師さんたちにお礼を言っていたと聞いた時には涙が止まらなかった。そして、父は母の遺志を尊重し、1・2日がお通夜、3日に葬儀という異例の日程を私に告げた。また、泣けた。新幹線から涙で曇る富士山を眺めながら東京の会議に参加した日と母の愛の深さを忘れない。私と違って、温厚で怒る姿が記憶にない母だった。手術前の一言やこの出来事が支えとなり、私の心は寒い冬にも折れなかった。

 

ゲノム研究に冬の時代が訪れた日々、何度も研究を辞めようと思った。しかし、この時の母の想いを思い起こせば、辞めることができなかった。そして、23年が過ぎた。世の中には不条理なことがたくさんある。それでも、努力し続ければ報われることを、私の背中を見た若い人が感じ取って頑張って欲しいと、ねじを巻き続けて頑張り続けてきた。明らかなストライクをボールと判定され、明らかなボールをストライクと判定されても、それを跳ね返し、死球を受けても明るく笑って一塁に向かう大谷選手の姿を眩しく感ずる。

 

しかし、私にとってAIホスピタルショックは大きい。屋根に上がっても大丈夫ですと言われて屋根に上がった途端に梯子を外されたような気持ちだ。特に4年間一緒に頑張っていただいた方々に対して申し訳ない気持ちで一杯だ。経年劣化で錆びついた私の心は、心不全状態だ。人は息を吐くように嘘をつく。過去にも学んだことだが、今度は母もこれ以上無理はしなくと言ってくれるだろう。

 

敗軍の将、兵を語らず。

内閣府のSIP第2期「AIホスピタルプロジェクト」は私が人生の最後を賭けたプロジェクトだ。多くの機関の協力のもと、日本の医療のAI化・デジタル化に貢献し、さらに海外への展開を見据えて、第3期(あと5年)を目指していた。

 

私が国立研究開発法人・医薬基盤・健康・栄養研究所の理事長に就任したため、私はルール上、プログラムディレクターに立候補できる資格を失ったので(研究推進法人として指定されたので、その長はSIPプログラムの責任者にはなれないのが理由だ。利益相反にあたるとのことだが、これまでのディレクターが利益相反上、問題を抱えてきたのだろうか?)、これまで一緒にプロクラムを引っ張ってきていただいたサブディレクターに後任を託すつもりだったが、この度、第3期のフィジビリティ―スタディーのディレクターに第2期の研究開発に縁もゆかりもない人が指名された。下記は3月の予算委員会で岸田総理大臣が、公明党の三浦信祐議員の質問に対して行った答弁だ。

この総理発言も幻なのか?日本からイノベーティブなものが生まれない理由を象徴している。5年で一区切りという制度を硬直的に運用しているから、日本は変われないのだ。種から芽が生えて、若葉が育ちはじめた時点で、「自立せよ」と水をやらなければ、枯れ果てて花も咲かず、実も、さらに栽培を広げるための種も収穫できない。こんな常識さえ、この国では通じないようだ。種の選定からかかわってきた者としてやりきれない気持ちだ。

 

2011年東日本大震災後、政府に「津波被災者の健康をしっかりと調査し、健康維持に努める」ことを訴えたが、この時は某役所と某大学に見事に裏切られた。そして、内閣官房参与を辞任した。今回はその時よりもショックが大きい。11年前は何もないところからの提言だったが、今回は多くの人に協力を得て育てた若葉に価値がないと言われたに等しい。皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

高齢社会という大きな課題を抱えている日本にとって

(1)健康寿命の延長

(2)最適化個別化医療

(3)医療の質の向上

(4)医療費の費用対効果の改善

(5)医療費の増加抑制

(6)労働人口確保・働き方改革

(7)国際的競争強化

(8)大災害対策

のすべてを包含した大きなアプローチをしてきたつもりだったが、虚しく終わりそうだ。高度で先進的で多様な医療を、国内どこに住んでいても、いつでも、だれでもが享受できる社会、しかも、働き方改革を推進して、かつ、心温まる医療を目指していたのだが、残念だ!

 

これだけ、いろいろなことが停滞してきても、その根源となる問題を何も理解せず、何も変えようとしない国に未来があるのか。日本のシステムが根っこから腐ってきているのだ。とボヤいても、利権まみれの人たちには馬耳東風なのだろう。どこに制度の欠陥があるのかわからないが、予算を獲得する手柄獲得のための方便ばかりで、将来を見据えた長期的施策を立てることができない。こんなことはわかりきっていたはずだが、まさか総理大臣の発言でさえガン無視はしないだろうと考えた私が間抜けだった。敗軍の将、兵を語らずだが、責任はある。責任の取り方は、私が決めるしかない。

 

肉を切られれば、骨を切り返す。そして、反撃で首をはねられれば、桜のように美しく散るしかない。醜く咲き続ける人生よりは、潔く散る人生を全うしたい。

大阪に異動して2か月

大阪に異動して2か月近くが経った。31歳の時に米国ユタ大学に留学する前には予想だにしなかった研究者人生を歩んでいる。今でも、私は外科医の人生を送っていたら・・・・と考えることが多い。そして、つい最近まで二度と東京以外で職に就くことはないと考えていたので、人生は何が起こるかわからない。本当は今頃、沖縄の美しい海を眺めながら、泡盛でも飲んで、のんびりと人生の終盤を楽しむ予定だった。

 

私の職歴は一番下にあるように転々としている。フーテンの寅さんなみだ。いろいろな併任もあるので一見するとグチャグチャに見える。(詳細な月については間違いがあるかもしれない)

 

国立病院・府立病院・市立病院・小豆島・民間病院・内閣官房で勤務していた経験は、AI化・デジタル化された医療を考える上で大きな財産となっている。一定の立ち位置でしか医療を眺めることができなければ、日本の医療の抱えている複雑な課題が見えてこない。一部の方にはこの貴重な経験の重要性を理解していただいているが、多くの方には理解していただけないことが残念だ。日本の医療は多面的な課題を抱えているが、それらの課題は複合的に絡み合っているので、個別の課題の解決では、綻びが大きくなるだけで、医療システムそのものを新築するようなレベルの発想転換が必要だ。

 

診療情報データの収集も、医療機関を通して集めるのは、日本の現状では難しい。形ばかりのインフォームドコンセントでは必ず問題が生ずるし、慎重に時間をかければ、医療機関における負担が大きくなる。画像や血液検査の結果を患者本人に戻し、患者さん自身が自由意思でデータベース登録すれば、医療機関の負担軽減につながると思う。データを患者さんに戻すシステムの構築は大変だが、みんなでデータを集めて、医療をよくしていくという国家目標があってもいいとのではないだろうか。そうすれば、いつでもどこにいても自分の検診・診療情報へのアクセスできるので、旅行や出張中に急病にかかっても病歴に基づいた対応が可能となる。主治医に気を使いながらビクビクしてセカンドオピニオンのための診療情報提供書を依頼する必要もなくなる。

 

内閣府のAIホスピタルプロジェクトでは、医療現場でのニーズをとらえ、企業と医療現場の連携を推進して、かつ、日本医師会にも協力をしていただき大きな枠組みを構築してきた。日本医師会・医療機関・企業をつながなければ、日本の医療の改革はできない。「働き方改革」も待ったなしで、デジタル化が急務である。

 

1977年6月-同年12月      大阪大学付属病院第2外科研修医

1978年1月-同年12月      大阪府立病院救急医療専門診療科

1979年1月―同年6月        町立内海病院外科(香川県小豆島)

1979年7月―1981年3月      市立堺病院外科

1981年4月―1984年9月      大阪大学医学部付属病院第2外科研究生・医員

この間、谷病院(生野区)、藤本病院(羽曳野市)などでアルバイト。福島区の福島病院で1か月近く院長代理をしていたこともある。

1984年10月-1989年9月    ユタ大学ハワードヒューズ医学研究所研究員

                                           (途中でユタ大学の助教授となる)

1989年10月―1994年9月     財団法人癌研究会癌研究所生化学部長

                                            (36歳で研究室のトップに据えていただいたことには感謝                                                    し かない)

1994年10月―2012年3月    東京大学医科学研究所教授

                                            1995-2011年 同ヒトゲノム解析センター長

                                            1996-99年大阪大学医学部臨床遺伝学教室教授

                                             2000-05年理化学研究所遺伝子多型研究センター

                                             2005-10年 同上ゲノム医科学研究センター長

                                             2010年 国立がん研究センター・研究所長

                                             2011年 内閣官房参与医療イノベーション推進室長

2012年4月―2018年6月     シカゴ大学医学部教授

2018年7月―2022年3月     がん研究会プレシジョン医療研究センター所長

2022年4月―                      国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所理事長                                                  (こんな高齢者でもいいのかと思う)

 

学会で200字以内の略歴を求められるが、すべてを記載するのは無理な話だ。

 

世界から正義が失われたのか?

ウクライナのゼレンスキー大統領の米国議会に対するスピーチを見た。当初、真珠湾攻撃を例にロシアの理不尽さを訴えた部分はで少し不快な気持ちがしたが、流されたビデオ、そのスピーチの内容に心を打たれた。ウクライナで100人を超える子供が命を落とし、責任を感じていると切々と訴えていた。アメリカやヨーロッパが飛行禁止区域を設定しないままに、多くの命が失われていることに、疑問を呈していた。NHKではウクライナ語でスピーチをしたと解説していたが、最後は英語だった。

 

米国は第3次世界大戦を恐れている。ロシアというヤクザに「逆らったら、おまえもぶっ殺すぞ」と脅されて、みかじめ料をウクライナに払わせているようなものだと思う。ウクライナ人だけが血を流す様子を黙って見ていることが世界の正義なのか?

 

それにしても、SNSなどを駆使して闘う姿を見て、ゼレンスキー大統領は戦時のリーダーの演じ切っていると思う。ウクライナの東部や南部は食料もギリギリだと伝えられている。このまま見殺しにしていいのかと強く感ずる。西側諸国がすくんでいると、ヤクザは、ますます増長するのではないのか。

 

ロシア大統領はこの戦争に敗れると自分の身が危ないのだから、文字通り、死に物狂いだ。それに対して本気では闘わないと宣言していれば、ヤクザはやりたい放題だ。目の前で、弱者がボコボコに殴られていても、その人にナイフを渡すから頑張って、一人で頑張ってと言っているようなものだ。悲しい。

 

世界の正義はどこに行ってしまったのだろうか?