徳洲会グループ50周年;離島医療に果たした貢献は多大

昨夜開催された「徳洲会グループ50周年記念パーティー」に出席した。700名が参加された盛大なものであった。残念ながら、そこにはALSという病気で闘病中の徳田虎雄先生の姿はなかった。私が東京大学医科学研究所で始める予定だったバイオバンクジャパンに協力していただけるようにお願いした今から二十数年年前に、握手をした徳田先生から突然「私はALSと診断された。ここを触ってみてくれ」と言われ、手の親指と人差し指の間の筋肉に触れた。すでに筋肉は委縮気味だった。徳洲会病院を束ねる大きな目標が必要と語っていた眼光は鋭かった。そのような状態でも、離島医療に対する熱い思いは全く失せていなかったのだ。

徳田虎雄先生は大阪大学医学部第2外科、私と同じ医局の出身であり、市立堺病院外科の先輩でもある。私が大学を卒業したころ、徳洲会グループは週刊誌で叩かれていた。衆議院選挙の時にも週刊誌を騒がしていたので、初めてお会いした時はマイナスのイメージだったのだが、2時間近くお話しする内に、離島医療に対する思いは本物だと確信した。この熱意は、「弟さんの突然の病気による死」から生まれている。24時間体制の救急医療はよく知られているが、徳田先生の原点は徳之島に住んでいたころに体験した「医療へアクセスできないままに亡くなった弟の死」に基づく、「いつでもだれでもどこでもが医療にアクセスできるようにしたい」という思いである。

パーティーのお土産としていただいた「命だけは平等だ!」という本を改めて読み進めるうちに、目が潤んできた。徳之島の高校から大阪の高校へと転校し、4年間の高校生活を送ったこと、大阪大学へ入学するまでの2年間の浪人生活、それを支えたご両親の苦労と徳田先生の必死の受験生活に改めて触れて(数十年前にこの本を読んだことはあるのだが、今読むとかなり印象が違う)感動を覚えた。

24時間365日医療を提供する――病気は時を選ばないので当然のことだが、それを当たり前にしたのが徳洲会グループだ。来賓の祝辞にもあったが、鹿児島・沖縄の離島医療は徳洲会グループの存在なくして成立しない。多くの公立病院は赤字だが、徳洲会グループは公的補助なしで、75病院を運営している。公的機関における「コスト意識の欠如」は言われて久しいが、徹底的なコストカットをして、救急医療と離島医療を支えている。国立研究開発法人の長である自分に言い聞かせていることのひとつは、「不必要なコストは無駄に過ぎず、その部分を切り詰めれば、ゆとりは生まれる」だ。

そして、昨日のパーティーでもっとも印象に残った言葉は、現理事長の「徳洲会があってよかったと患者さんや家族に言っていただくのが励みだ」という一言だ。徳田虎雄氏が頑張ったからこその離島医療である。大阪大学卒業者で最も日本の医療に貢献した人は間違いなく徳田先生だと思う。

「医薬基盤・健康・栄養研究所があってよかった。日本の医薬品開発の基盤を支えてきた。そして、医薬品の開発に寄与した」と言われる日が来ることを願って、所員を叱咤激励するしかない。そして、叱咤激励をパワハラと呼ばれないことを信じたい。アホなことをした人間には、自覚を持ってもらうしかないのだ。