母が亡くなって25年

昨日で母が亡くなって25年となった。先週は相も変わらず、突発的に息苦しさ・呼吸困難が起こる中、忙しい1週間だった。火曜日の夜8-9時カタールの研究者向けに免疫ゲノム学の講義、水曜日には大阪の開明高校で1時間の講演と30分間の質疑、木曜日はオランダからの使節団と30分の講演と1時間の質疑応答、金曜日には東京で学会の特別公演、そして、土曜日(今日)は天王寺高校東京支部会で30分間話をさせていただいた。

カタールでは若手研究者から多くの質問を受けた。話を終わった後、声もなくシーンとして質問がないと疲れが3倍くらいどっと重くのしかかる感じがするが、いい反応があるとあまり疲れが残らない。高校での学生の質問の初々しかったが、「ゲノムは違うし人間は多様なのだ。違っていてもお互いを尊重してほしい。人を思いやる気持ちを失わないでほしい」というメッセージがちゃんと伝わったかどうか自信はない。

オランダの使節団からも、「AIホスピタル」「ゲノム医療」などについて多くの質問を受けた。研究所からも多くの人に出席してもらっていたのだが、質問はすべて私に対するものだった。終わった後、私の右腕である所長が、「中村先生一人でよかったのではないですか?」とポロっと本音を口にしたが、申し訳ないことをしたと思う。会談中、オランダの女性研究者が「ゲノムのリジェンドに会えて光栄だ」と言ってくれた。素直に喜べばいいのだが、「もう引退すべきなのか」とひねくれて考え込んでしまう。

東京での講演は、私の弟子の一人の東京大学医学部神経内科教授の戸田達史先生が主宰される日本神経学会でのもので、座長は戸田先生だった。自分の弟子が学会の会長を務めるようになり、その学会でプレナリー講演ができるのは名誉なことだ。私の40年間の研究生活=ゲノム研究の歴史であることや将来展望を話しさせていただいた。医療に必要なのは最先端い技術に加え、人間力だ。

この5回いろいろな話題を提供したが、すべてに共通した話題は、患者さんや周りの人を思いやる心の重要性だ。国会を見ていても、多くの対案のない批判が繰り返されているが、議論を聞いていて感ずるのは、国の将来に対するビジョンの欠如、先人たちのやったことへの正の評価やリスペクトと負に対する批判ではなく、単なるテレビ・メディア向けのパーフォンマンスだ。多くの議員に人間力がなくなっている。

最後の天王寺高校東京支部会では、十人を超える東京在住の同級生が参加してくれた。高校卒業以来、初めて顔尾を合わす人もいた。高校の同窓生の多くの方から質問を受けたので、同級生とゆっくり話をする時間が取れなかったことが残念だった。しかし、なつかしかった。楽しい2時間を過ごした後帰阪した。今日は、1日遅れで墓参りに行ってこよう。