マウイ島での遺体身元確認の難しさ

7月は7回も講演会があって疲れが溜まっていたにも関わらす、8月4日に大阪から那覇に飛んだ。沖縄では7月31日から台風6号の影響があった。記憶にないような進路で、沖縄を通過したにもかかわらず、東シナ海から沖縄に戻ってきたため、多くのフライトが欠航となったが、行って戻ってくる間の間隙をぬって4日だけ、大阪からは飛行機が全便飛んだ。

休暇をずらすことも予定がいっぱいで無理だし、ホテルのキャンセル料が無駄になるのを惜しんで行ったのだが、停電が長引き、悲惨な休暇だった。もちろん、海には行けず、城址めぐりの旅だった。休息をとるというよりも、疲労を蓄積しに行ったようなものだ。

しかし、勝連城跡や中城城跡は世界遺産に含まれており、城壁と海が融合した眺めは美しかった。観光客ももちろんおらず、貸し切り状態だった。私の同級生の出身地域であろうと思われる安慶名城跡にも行ったが、整備ができておらず、少し寂しかった。そして、海軍の指令部跡地やひめゆりの塔も訪ねた。ひめゆりの塔に展示されている日記を読むとこみ上げてくるものがあった。犠牲となった若い高校生の死を悼むと共に、戦争の愚かさを改めて実感した。戦争の足音が近づきつつある今こそ、沖縄戦の犠牲者に思いをはせて欲しい。

そして、さらに心を痛めたのが、マウイ島ラハイナの悲惨な姿だ。ラハイナの少し北にあるカアナパリで日米がん合同会議が開催された時に、2回ほどラハイナで食事をしたことがある。歴史を感じさせる美しい街並みにあったレストランで、美味しいシーフードを食べた記憶がある。テレビで映し出される姿には言葉が見つからない。

まだ、多くの行方不明の方がおられるようだが、遺体の身元確認が進んでいないことが私の心を痛める。身元確認には歯型・指紋やDNAが用いられるが、町全体が焼き尽くされたので歯科医院も焼かれているし、遺体の損傷が激しければ、歯型の比較は難しい。DNA鑑定も本人の毛髪などがあれば容易だが、それも現状では難しい。それではどうするのか?血のつながった人がいれば、それら方々のDNA型と比較することで身元が確認できる。

DNA型と言ってもわかりにくいが、血縁関係のない他人を比較すると数百万-1千万か所も遺伝暗号が異なっている。これをDNA多型と呼ぶが、すでに膨大なDNA多型情報が収集されている。親子や兄弟姉妹では50%のDNAを共有しているので、DNA多型を比較することで、かなりの確率で判別が可能だ。祖父や孫では25%共有している。

理論的には可能だが、血縁者が見つからなければ、これもできない。やはり、不幸な災害の犠牲になった方々を、血縁者が弔えるようにしてあげて欲しいと思う。犠牲者のご冥福を心からお祈りしたい。