刺激を受けた都立立川高校での講演会

先週の火曜日、都立立川高校で高校1・2年生を対象にオーダーメイド医療に関する講演を行った。できる限りわかりやすい図を利用して説明したが、どこまで理解してもらったのか自信はない。私が何故メスを捨てて研究者の道を選んだのかという人間物語、遺伝子(ゲノム)を研究することで臨床医の時に抱いていた疑問を解き明かそうとしている、研究者としての動機などを40分間話をした。

 

最後には、「遺伝子差別」という言葉がいかに理不尽なものであるかを伝えた。みんな同じであるから平等であるという前提がおかしく、みんな違っていても平等であることを力説した。遺伝子がわかって差別が生まれるのではなく、すでにある差別に遺伝子を結び付けているだけである。SMAPの「世界で一つだけの花」のようにみんな違った種(ゲノム)をもっていることや自分の種を大事にすることと同時に、違っていてもお互いを尊重して、尊厳を持って接して欲しいと言って締めくくった。

 

その後10分間の質疑の際に、「コロナ感染症に利用されているmRNAワクチンはがんの治療に使えないのでしょうか」という「お主なかなかやるな」と感じた鋭い質問が出た。科学に関心のある高校生では当然なのかもしれないが、「コロナmRNAワクチンを開発したビオンテック社は、もともとはがん治療のためにmRNAワクチンの利用を目的とした会社として出発した」と回答した。もう、5年もしない内に、がん治療用のmRNAワクチンは常識になるだろう。

 

その後、高校1年生の理系クラス(約40名)に移動して、質疑応答が続いた。皆さん、優秀で予想していた以上に鋭い質問が続いた。若い人に少しでも刺激になればと思った講演と質疑応答だったが、私が大いに刺激を受けた。若い人に科学を教えることは大切だと再認識した。そして、楽しかった。日本人で、ゲノム研究の歴史を実体験として語ることができるのは私一人だけなので、この歴史として伝えていくことは、私の責任だし、いろいろな意味で重要なことだと思う。

 

そして、私が返答するのに一番考え込んだ質問が、「先生が若い時に死を看取られた若い二人の患者さんが、今おられたらどのように説明されますか?」だった。市立堺病院外科に勤務していた時に看取った20歳代・30歳代の患者さんの死が、私を遺伝性のがんの研究に導き、今日の私がある。あの時、治療法もほとんどなく、進行すれば、ただ看取るしかなかった胃がんと大腸がんだった。少し考え、「今であれば、今日頑張れば、明日光が差すかもしれない。医療は日進月歩以上の速さで進んでいるので、希望を失わずに、今日を頑張って欲しいと伝える」というニュアンスの返事をした。多くのがん患者さんは、希望のない数ヶ月から1年を過ごした後に旅立っていく。

 

患者さんにとって、生きる希望があればこそ、食事をおいしく食べることができ、面白い話題に対して心から笑うことができるのだ。医療は医学と言う科学が基盤だが、心を支える気持ちを失えば、AIロボットに置き換えられる。医療界そのものが、ロボットで十分置き換え可能な医療に向かっている。