権力と権威の狭間

今朝の通勤電車の乗客数も年末と比べてわずかに減少している程度だった。どうして今回はブレーキが効かないのかと思いを巡らせていた時、本郷和人氏の著作「歴史のIF(もしも)」の源頼朝に関する部分にあった「権力」と「権威」の違いが思い浮かんだ。。

 

「権力」に「権威」が伴っていない時、罰則もなく、力を振りかざすだけでは、「権力」の求める自粛に敬意を払わないのではないのかと思う。ましてや、国会議員の多人数会食がこれだけ報道されると、若者ではない私でも「ふざけるなよ」と言いたくなる。マスク会食をすれば5人以上の会食でも問題がないと言っていた知事が、患者が多すぎて濃厚感染者追跡ができないと言う。こんな無責任な政治をしていては、発言の重みも、発言者の「権威」もあるはずがない。「先ず塊より始めよ」という言葉にあるように、指示を出す側が範を示さないで、若者に責任を押し付けては物事は動くまい。「権威」なき「権力」の行使、「責任の転嫁」は、事態の悪化を招く。

この状況では、ワクチン接種を急ぐ必要はあるが、日本人に対する安全性はワクチン接種を開始して初めて確認される。もし、副反応で不幸が起これば、ワクチン接種に急ブレーキがかかる。副反応を追跡するのは厚生労働省の仕事だ。まったく不可解なワクチン担当大臣の任命である。ワクチンは注射で終わりではない。安全性の確認はどのように追跡するのか?【正論】ワクチン副反応即時把握の準備を がん研がんプレシジョン医療研究センター所長・中村祐輔 - 産経ニュース (sankei.com)

また、「不要不急」の定義もあいまいである。4月の際には、未知のウイルスに対する恐怖心が強く、職場に出かけること自体が自然に「不要不急」の範疇に入ってしまっていたが、今回はそのような環境にない。政府が命と生活を守るためにできることをせずに、テレワークを7割にというのは難しい。エッセンシャルワーカーに加え、自らの手で物作りをしている人たちは、仕事場に足を運ばなければ仕事にならない。生活を守るために、仕事をしなければならない場合、当然ながら「不要不急」ではない。

「金を出すからコロナ病床を用意しろ」という手法は、医療従事者の誇りを大きく傷つけたように感ずる。日本医師会長・東京都医師会長は早くから感染症拡大に対して警報を発していた。医療崩壊を回避するために、感染者を減らす必要性をメディアを通して訴えていたはずだ。現実を追いかける形で後追いで策を打って、収拾がつかなくなってから、「病床を増やせ」は納得できない人が多い。ボヤで消せば消防車は少なくて済む。山火事のように広がってから、もっと消防車を用意しろといっているのが現状だ。すべての病院でコロナ患者を受け入れさせれば、院内感染のリスクが高まり、さらなる医療供給の低下を招く。当然ながら、コロナ感染症以外の患者の方が圧倒的に多いのだ。導線を考えれば、病院を機能別にする方が理にかなっている。

謎の分科会は何をしているのだろうか?

科学なき、コロナ対策に終止符を打ってほしいと願うばかりだ。

 

 

すべてが科学・事実・真実に基づいて

 

AFPがアメリカ合衆国科学技術政策局の局長にMITのエリック・ランダー博士を指名したと伝えた。バイデン大統領の科学顧問にも就任するとのことだ。ネットを見ていて、面影のあるランダ―博士に目が留まり、このことを知った。

米国NIHの所長はフランシス・コリンズ博士なので、これで米国の科学行政のトップの二人がゲノム研究者ということになった。この二人と初めて会ったのは、私がユタ大学に留学していた1980年代後半である。コリンズ博士は当時、ミシガン大学の准教授であり、われわれと共同研究をしていた。1989年には、コリンズ博士から、ミシガン大学に来る気はないかと声をかけられた。それが2003年に始まった国際ハップマッププロジェクトに私が参加することにつながった。ランダ―博士は当時、MITで経済学から遺伝学に転向した駆け出しの遺伝学(ゲノム学)研究者だった。先見の明があったことは確実だ。彼が、ソルトレークにいた私のもとに、DNA多型マーカーを見つける方法を教えてほしいと訪ねてきた日が懐かしい。彼ら二人は偉くなってしまったものだ。

この二人に共通しているのは、話が分かりやすく、伝える力のあることだ。日本の多くの研究者は、専門家相手でも、一般の方相手でも、同じ話しかできない。一般の方に英語のスライドで話をする人も少なくない。彼らの専門家向けのスピーチと一般向けのスピーチは、全くと言っていいほど異なり、うまく使い分けすることができる。彼らが今のポジションにいるのは、科学者に対してだけでなく、政治家にも、一般向けにもメッセージを伝える能力に長けているからだと思う。

もちろん、聞き手側の政治家のリテラシーにも大きな格差がある。「ヒトゲノム」という言葉は、2021年の日本でも、依然として政治家にほとんど通じない。したがって、ゲノム研究の「国家」レベルの重要性が伝わらない。われわれ研究者の能力が欠けているのかもしれないが、5-10年前でも日本の大御所生物学者はゲノム無用論を展開していたので、その影響もあり、政治家は聞く耳を持たなかった。20年前2000年にヒトゲノム配列のおおよそが明らかにされた時に、当時NIHのゲノム研究所・所長であったコリンズ博士は、ホワイトハウスでビル・クリントン大統領と一緒に記者会見を行った。当時の英国トニー・ブレア首相もテレビ画面を通して参加した。科学、特にゲノム研究の医療へのインパクトを認識しての英米トップの記者会見同席であった。このリテラシーの差は大きい。

AFPには「バイデン氏はランダー氏ら専門家の任命について『科学は常にわが政権で最も重要視されるだろう。(中略)われわれが実施するすべてが科学、事実、真実に基づいていることを世界的に著名な科学者らが保証することになる』と述べた。」とあった。日本学術会議に象徴される科学者の在り方にも問題はあるが、科学なき国家は次第に国力を失うのは、科学的な摂理である。

科学・事実・真実を無視したトランプ政権。その結果が、アメリカのコロナによる壊滅的状況につながっている。日本の国家的な対策も科学からは程遠い。外出を控えることを念仏のように唱えても、戦争中の精神論のようなものだ。中小民間病院にコロナ患者の受け入れを迫るのは愚の骨頂だ。医療施策としては、最悪手で、医療壊滅を招く。メディアも中小病院を非難する論調になってきたが、日本のメディアも馬鹿だ。各地にコロナ専門病院を作るべきだ。中国ができて、なぜ、日本ではできない。日本の政府が科学を重要視するバイデン政権と連携して、このコロナ流行から脱却することを願わずにいられない。島と島は勝手につながらない。つなげる施策が必要だ。

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コロナ感染から1年;未来に向けた科学的なウイルス対策を!

日本のコロナ対策を批判しても生産的でないという声があるが、批判は科学的側面を持ち、非難とは異なる。今のままではコロナ感染患者だけでなく、助けられるはずの多くの他疾患の患者の命も失われてしまう。現在の惨状を改善するために、人の動きを止めることは当然だが、中途半端に緊急事態宣言を解除すれば、同じことが繰り返される。当然ながら、どこでボタンを掛け違えたのかを検証せずして、この危機的状況から早期に脱出する方法を導き出すことは難しい。 

昨年の2月以降、最大の失敗をあげるとすれば、PCR検査を拡充できなかったことである。感染対策の基本である「検査と隔離」を無視して、「検査で感染者を見つけると医療崩壊が起こるので、検査をすべきでない」という本末転倒の声が専門家からの意見として強かった。梅雨のころには4-5月の緊急事態宣言と気候の変化で一息ついたが、このウイルスは手強かった。これによって、専門家たちは、「PCR検査を徹底してしなくてもいい。医療供給体制は何とかなる」という、「日本モデル」という虚構に自ら酔って油断をしてしまった。

そして、昨秋の欧米での急速な感染拡大を横目に見つつも、抜本的対策をとることなく眺めていた。医療関係者からの発せられた再三再四の危機意識が共有できていなかったことも響いた。そして、今日に至るまで、自分たちの大失策を改めることもなく、100万人当たりのPCR検査数が、世界の150位前後というお粗末で、無様な状況が続いている。「最初に決定した方針を守り抜くという」面子のためだけだとしか思えない。自分の説を曲げなかったと言われている森鴎外を想起させる専門家集団がそこにいる。そして、とうとう、クラスターを追い続ければ感染を抑え込めるという幻想は消え去り、感染数は急拡大となっている。

昨年3-4月の時点で、すでに下記のことがわかっていた。

(1)一定の割合(20%前後)で無症状感染者がおり、この人たちも感染を広げうる。

(2) 症状が出現する約2日前から、他者に感染を引き起こすことができる。

(3) 熱帯地域でも感染が広がっていたので、インフルエンザのように暑くなれば感染が収まるとは考えにくい。(トランプ大統領の楽観説は、夏場になるとウイルス感染は収束すると信じていたところからきている)

(4) 感染症2類に分類したために、コロナ感染陽性者を、症状の有無にかかわらず、全員入院させなければならない制度上の欠陥(あの時点で、軽症者を自宅療養やホテル療養できるような制度にすれば、医療崩壊を防ぐためにという本末転倒の議論は消えていたかもしれない)

(5) そして、PCR検査を偽陰性ですり抜ける患者がいることも、クラスター追跡でわかっていたはずだ。

(6) 米国の東海岸と西海岸のウイルス型の差が、感染の拡大と重症度に関連する可能性も示されていた。

(1)(2)(6)から、症状が出てから濃厚接触者を見つけて抑え込めばいいという、これまでの感染症の常識からクラスターを追いかけ続けることが非科学的であると、多くの人は判断したのだが、日本の専門家はそうでなかったことは歴史の教訓として残すべきである。検査を徹底しなければ無症状感染者からの感染は止まらないのは、難しい推論ではない。

ただし、中国のように徹底したPCR検査体制がどうしてできなかったのかという闇を今追及しても何も生まれない。そして、医療供給体制をどのように整備するのかは行政と医療関係者の使命感に任せるしか手はない。医療側の努力が限界にきていることは否めない。補助金で何とかなるというのは幻想であり、人的資源が尽き果てつつあることを前提での対策が必要だ。ワクチン接種が行き届けば、事態の改善が期待されるが、調査では半数が副反応を恐れて受けないという。もっと少なければモグラたたきのような危機的状況は何年も続く。現在は崩壊したともいえる状態の医療供給体制を維持するための議論が中心だが、コロナを完全に抑え込むための方策の準備も不可欠である。

それには

  • 1日数百万検体レベルでのPCR検査体制を構築する。全自動検査機器を用いて整備すれば、1か月に50万ずつ増やすことは間違いなく可能だ。全自動なので人的資源の確保は最低限でいい。検査のコストももっともっと下げられるはずだ。テレビで放映されている検査の姿などあまりにも前近代的である。
  • 今は難しいが、少し落ち着いた時点で、感染者周辺のPCR検査を徹底して行う。しかし、この際の対象者の選別が容易ではない。COCOAという感染者の近くにいたことを見つけ出すアプリがあるが、どの程度利用されているのか不明だ。COCOAの導入を義務付けると保健所の負荷を抑えることができる。プライバシー侵害は確実に起こるが(国は起こらないと言っているが、こんな誤魔化しは通じない。国に対する信頼感が揺らぐ中で、プライバシーを侵す危険性も周知すべきだ)、ごまかしではなく、命を守るために重要であることを呼びかけてほしい。それほど事態は悪化しているのだ。ただし、この近くにいたかどうかという情報だけでは、日本の通勤電車という特殊環境の中では収拾がつかなくなる可能性がある。
  • 保健所への問い合わせや救急搬送システムをデジタル化、自動化する。医療機関や検査センターへの問い合わせのかなりの部分は、人工知能で置き換えることが可能だ。われわれのコロナ人工知能相談アバター(英語・中国語の対応も可能)は2週間ほどで準備できた。必要な情報を集めれば、有能な技術者はすぐに実用的なものを作ることができるはずだ。
  • ワクチンの副反応をリアルタイムで集めるシステムの構築。これもQRコードやスマートフォンをうまく活用すればできる。頭の中のアナログシステムを断捨離しなければならないが、役所でなく企業に任せればできる。
  • ウイルスゲノムを全例解析するシステムの構築。現在利用されているワクチンは、コロナウイルスのスパイク蛋白を利用したものである。ウイルスが変異すれば、感染力や重症化率にも影響を及ぼすだけでなく、ワクチンが効かなくなる可能性もある。たとえそうであっても、ゲノム情報をもとに、日本人のためのワクチン開発にすぐつなぐことができる。抗体にばかり目が向いているが、感染細胞を殺すT細胞の強化も必要だ。そして、言うまでもないが、副反応に要注意だ。もし、重篤な副反応の頻度が高ければ、ワクチン接種を受ける割合は激減する。これは最悪のシナリオであり、日本の経済的ダメージはさらに大きくなる。

小出し、場当たりの後手後手策; 大胆にゼロコロナの戦略を!

1月8日から1都3府県に緊急事態宣言が出ている。これから1週間足らずで、関西3府県に緊急事態宣言を発出するという。そして、愛知、岐阜、栃木、福岡の4県もも緊急事態宣言を求めるという。これを、小出し対策、場当たり策、後手後手と言わずして、何と言う。トランプ大統領は事実と科学から目を背け、米国を世界最悪の感染国にした。科学を無視した結果、米国の新規コロナ感染者数は、累計2,300万人を超え、死者数は40万人に近づきつつある。最近では1日30万人を超える日もあり、連日20万人を超える新規感染者が見つかっている。世界全体でみると今月中に累積患者数は1億人を超え、累積死者数が200万人を超えることが確実である。 

日本の1日の新規感染者数は、世界で20位以内にランクされるほど急増しているが、100万人当たりのPCR検査数は、世界で150位レベルでとんでもなく低い。これは、日本のコロナ対策が世界とはかけ離れた状況であることを如実に反映している。感染の抑えこみに成功した国は、ゼロコロナを目指して徹底的に無症候感染者を見つけた国である。中国では1000万都市で全住民にPCR検査ができる体制ができている。日本にはPCR検査を受けることができない検査難民が街中にあふれかえっている。38度を超える発熱があっても、様子を見るように指示される。これで感染がコントロールされるはずもない。

東京医師会の尾崎会長は、今日の記者会見で「コロナ病床を増やすように言われても限界にきている」とコメントしていた。打ち出の小槌のように、振れば病床が増える訳でもない。ベッドそのものはお金で買えるが、診療し、看護する人材には限りがあるのだから当然である。医療関係者からの警鐘は随分以前から鳴らされていた。病床を増やしてと言われても、医療の人的資源は無限ではない。今、心筋梗塞や脳卒中になれば死を覚悟する必要があるほど、医療は逼迫を超えて、破綻している状況になってきている。命を救うと口では言うが、現実は救うことのできる命を救うことができなくなっている。

こうあって欲しいと願う言霊主義で、政(まつりごと)ができるはずがない。新成人の目を背けたくなるような場面を見ると唖然・呆然となってしまうが、これが現実だ。ウイルス感染の特徴という科学的事実を積み重ね、最悪を想定した前提での対策が不可欠である。かつて、「同情するなら金をくれ」と言ったドラマがあったが、「対策するなら、事実に目を向けて」が必要だ。政治家に科学的リテラシーがなさすぎる。

 

デジタルでリアルタイムでの感染状況の確認

PCR検査の拡充(最低でも100か所、1か所1日1万件)

徹底的なウイルスゲノム解析

 

の具体策とその工程表が求められる。

このコロナ感染症には専門家などいない!深い洞察力のある科学者が必要だ!

コロナ感染症が驚くべき広がりを見せている。ある分科会の専門家が「異常な増え方だ」と説明しているが、そんなことは素人でもわかることだ。

なぜ急速に拡散しているのかを洞察しない限り、この異常事態は継続し、さらに指数関数的に拡大し、欧米と同じ経緯をたどる。

この専門家は若者が検査を受けるようになったからでは?と馬鹿な推論をしていたが、インフルエンザを見れば1-2月に急増するのは教科書にも載っている常識だ。問題はそれ以外の要因がないかどうかを科学的に考察すべきなのだ。

この事態を解決するには

  • イギリスや南アフリカで起こった変異株を追跡するだけでなく、日本国内でウイルス変異が起こっていないか大至急調べることが不可欠だ。これによって対策は大きく異なるはずだ。米国では感染率が2倍高い変異ウイルスの可能咳が示唆されている。英国型、南アフリカ型、ブラジル型の変異株を心配するのなら、日本国内で変異が起きていないかどうか、少しは心配するべきだ。
  • PCR検査の大拡充。盛り場の検査を拡充するようだが、もっと大規模な解析が絶対的に不可欠だ。人口に比例して、1日1万人検査できる体制を最低100か所整備する。もっと多い方がいいが、体制整備もそんなに簡単ではない。保健所は手一杯なので、民間で全自動PCR検査所を設置する。これだけ大規模にやれば、一人1000-2000円でできるはずで、1億人が5回調べても5000億円―1兆円である。感染が長引けば長引くほど、経済のダメージが指数的に大きくなり、何十兆円、ひょっとすると百兆円を超える補助金が必要となり、底なしになってくる。立ち直れないほど、大きなダメージとなれば日本沈没が現実となる。どうするのが国益につながるのか、答えは明快なはずだ。ゼロコロナを目指すくらいの気構えが求められる。
  • 無症状感染者を追跡できない現状では、冬場に感染拡大が起こることは、科学的な思考ができれば明らかであったはずだ。秋口の低空飛行の数字が、現状の危険性を示していた。危機管理がなさすぎる。これが、理解できていなかった専門家など専門家ではない。そもそも、このような無症状感染者がいる一方で、高齢者には致死率が高い感染症など、今生きている人は経験がないのだから、このような形の感染症の専門家などいないのだ。必要なのは、事実から対策を組み立てる洞察力のある科学者である。 
  • 昨日、不要不急でない用件で近くの駅に行ったが、人出は先週とほとんど変わっていない。レストランの前では待っている人の行列ができていた。国会議員の行動がテレビで批判を浴びていたが、君たちは自粛せよ、私たちが気を付けつけながら会食をするでは、自粛要請が聞き入れられるはずもない。みんな、怖いけど大丈夫かもしれないと思って自制が効かなくなっている。もっと強い言葉でメッセージを送り、自分たちも律しなければ大惨事が起こる。いや、すでに起こりつつある。救急搬送困難者が急増しているのに、国会はまだ始まらない。日本医師会や医療関係者の危機意識を共有できないトップではこの事態は収まらない。何なのだ、政治家と国民との、この大きな意識の乖離は?

命の選別

ChicagoMedの続きとコロナ感染下の命の選別について話をしたい。

ドラマでは、大雪によって起こった多重交通事故の場面から始まる。シカゴ市内のインターチェンジ、特に、高速道路から湖岸ドライブに移行する部分では傾斜のきつい急なカーブがあるので、極寒下で雪が降れば超危険だ。

車両火災で全身の95%の火傷を負った患者が運ばれる。何とか治療しようとする研修医に対して、指導医は助かる可能性の高い患者の治療を優先するように指示する。多くの外傷患者が発生した現場では、トリヤージという名の選別が行われる。患者は全身浮腫(やけどをすると腫れあがるが、それが全身で起こるのだ)に見舞われるが、研修医は患者に死が近づいていることを告げる。患者は、一緒でなかった奥さんが到着して「ありがとう」告げるまで生かしてほしいと懇願する。しかし、気管にまで浮腫が及び、呼吸困難になった状態で、医師は気管挿管を勧める。患者は、「それでは、妻に、『ありがとう』が言えない」と拒否する。それに対して、「ありがとうを言う瞬間には、気管チューブを外すから」と応ずる。そして、気管挿管したが、妻の到着を待たず、患者は旅立ってしまう。死後に奥さんが到着した際の、もの悲しい研修医の表情が何とも言えない。

そして、同じ事故で、二人の重傷の子供(いとこ)の患者が運ばれる。二人ともO型Rh(-)型で輸血が必要となった。しかし、稀なRh(-)型なので一人分しか血液はない。交通渋滞ですぐに追加の血液が届く状況にはない。同じ事故でけがをして入院していた一方の母親に「どちらに輸血を望むか?」と聞く医師たち。母親は、姉の子供を見捨てるような選択になることを恐れて返事ができない。結果として、医師団が「助かる可能性のある姉の子供に輸血をする」ことを決断する。その後に運ばれてきた父親に「自分の子供を見捨てたのか」と責められた母親の苦悶が見ていて辛かった。父親にすれば、自分の血がつながっていない、いとこの子供より、自分の子供を優先する気持ちは自然かもしれない。母親は、お姉さんの顔が思い浮かび、選択ができなくて当然だ。結果として、医師の一人が同じ血液型で、彼から輸血を受けて二人とも助かるハッピーエンドなのだが、命の選別を考えさせられる場面だった。

そして、今、コロナ感染症が急激に広がり、テレビを見る限り、すでにいろいろな意味で命の選別が始まっているのだと感ずる。救急やICUのベッドがコロナ患者で埋められていると、病院は脳梗塞や心筋梗塞の患者を受け入れられなくなる。近くの病院で処置を受けることができれば助けられる命が、搬送に時間がかかれば助けられなくなる。テレビではコロナ患者を収容できなくなっている問題についての議論が多いが、すでにコロナ以外の病気の治療に問題が波及している。救急隊から病院に収容される段階で、命が選別されているかもしれない。そして、人工呼吸器や人工心肺装置がすべて使われている段階で、同じ病院内で一人の中等症患者が重症化する場面を思い浮かべてみよう。医師はすでに装着されている人工呼吸器を外すことには抵抗がある。人工呼吸器を外せば、その患者の死のリスクが格段に高まるからだ。その患者が別の疾患で余命いくばくもないことがわかっていても、自分の行為で死の引き金を引きたくないのだ。中等症から重症化した患者は、他の疾患はない。こんな場面がすでに起こっているかもしれないし、これから、起こるかもしれない。

政治家や行政は、そんな姿を思い浮かべることができるのだろうか?感染症の爆発的な広がりと今の対策は、あまりにも乖離している。以前にも述べたが、すぐにウイルスゲノム解析をすべきではないのか。アメリカでは2倍の強さで感染するウイルスが広がっている可能性が示唆されている。経済を元に戻すには、まずは感染症の制御だ。困っている方々にはお金を印刷して配布するしかない。ハイパーインフレのリスクがあっても、それを伝えて日本人に覚悟を求めるしかないと思う。

ChicagoMed

いつも悲観的観測をしている私でさえ、東京の2400人超、全国の約7500人には驚いた。1週間前の大晦日と比較して、1.5倍を大きく上回る。1週間後の数字を考えると恐ろしい。こんな限定的な緊急事態宣言で収まるような気がしない。日本国内で変異したウイルスが広がっている可能性はないのか?

 

でも、今日はコロナの話題は避けよう。

 

私は年末年始は珍しく日本の暦通りに休んだ。3が日に勤務しなかった自分がを信じがたい。何を隠そう、医師免許を取ってから初めての経験である。しかし、趣味なし人間の私には、何もしない休日の過ごし方がわからない。テレビ番組を眺めても、芸人が自分の仲間と楽しんでいるだけの番組が多く、元旦に放送された「相棒」しか見る気になれなかった。預かっていた2編の論文を校正する合間に(仕事をしなかったことにはならないのだが)、ネットで「Chicago Med」というドラマを見て、これに、はまってしまった。

 

時おり流れるシカゴの街の風景が懐かしかったし、医者をしていたころ、特に救急医をしていたころを思い出しては感傷的になって見ていた。終末期医療を望んでいない進行がん患者が急変した際に、研修医が蘇生処置をした場面があった。複数の化学療法を受けて苦しみ、それ以上の治療を望まない患者とそれに同意している夫の意思を無視して、「進行中の臨床試験があるので、それを受けるべきだ」と処置をしたのだ。患者の夫は激怒し、可能性はあるからそれに賭けるべきだと主張する医師と対立した。訴えられて当然だとは思う。しかし、今の私なら黙って看取るだろうが、この研修医の気持ちがよく理解できる。

 

あまりにも標準化、プロトコール化されたがん医療は、多くの医師から、患者と共に戦おうという熱意を奪い去ってしまった。決められたとおりにしていれば、軋轢も起こらないし、責任も問われない。患者を救いたい、わずかでも可能性に賭けたいという情熱があっても、それは周りとの摩擦を生み、うまくいかないときには患者や家族の非難に晒される。均てん化、標準化と言葉は美しいが、暖かい思いやりが消えていく。昭和世代の私がついていけない世界が広がりつつある。

 

そして、ドラマではこの患者は新薬の治験を受けることになったのだ。そして、何と、この研修医は先輩医師や企業のMRを利用して、患者が臨床試験で偽薬を受けていることを知り、それを患者に伝えようとする。もちろん、それは周りに引き留められる。訴訟の最中に、患者は息を引き取った。研修医は彼女の葬儀に向かい、その様子を遠くから眺める。それを見つけた夫が研修医に歩み寄る。一触即発と思ったが、患者の夫は研修医に手を差しだし、優しい眼差しで握手を求めて、静かに立ち去る。患者を救いたいと想う研修医の気持ちが夫に伝わったのだ。その瞬間に目が潤んできた。殺伐な場面が多いドラマだが、心が温まった元旦だった。