国家プロジェクトとしてのがん免疫療法の推進を!

今年のシカゴは冬が長い。4月に入って4度も雪があり、今朝の気温も1度まで下がった。来週も、最低気温が5度前後で東京の真冬のような天候が続きそうだ。例年なら、この時期には木々が緑色に色づくはずだが、真冬のような気候で緑の欠片もないままだ。出勤も、寒くてコートがなくてはとても歩けない。

そのような中、長い冬の時代が終わり、一気に真夏のような燃え上がる様相を示しているのが、がん免疫療法である。「Science Translational Medicine」誌(4月11日)に「Personalized cancer vaccine effectively mobilizes antitumor T cell immunity in ovarian cancer」という論文が掲載されていた。患者自身の卵巣がん細胞を利用して、免疫の活性化を図る治療法で、方法そのものは新しくない。樹状細胞と破壊したがん細胞のエキス(あまり科学的な表現ではないが、わかりやすく言い換えた)を一晩混合しておき、がん特異的抗原を表面に持った樹状細胞をリンパ節に注射する方法である。

 

一部の患者には、投与に際して、抗VEGF抗体(商品名:アバスチン)、あるいは、抗VEGF抗体+シクロホスミドを加えている。抗VEGF抗体は、がん治療薬として利用されているが、血管新生を抑えて免疫細胞が腫瘍組織内に入って行きやすくすることが期待されている。また、シクロホスミドは免疫抑制細胞の数や働きを抑えることが知られている。これらの薬剤も特に新しいものではなく、25名の患者のうち、腫瘍縮小が認められたのはわずか1例だけであった。

 

目新しい事は、ネオアンチゲン(遺伝子変異によって生じたがん特異的抗原)に反応するリンパ球が増えていたという事実だけである。今や、免疫療法については、この程度でも、ある程度のレベルの雑誌に掲載される時代だ。私がシカゴに異動した6年前、免疫療法はまがいものだという声が依然として強かったが、今や、猫も杓子も免疫療法の時代である。それにもかかわらず、日本では、「免疫療法」という言葉に強烈なアレルギーを示し、科学的な評価ができない人たちが少なからずいる。上記の論文も25例中1例であり、腫瘍が縮小した例は、抗VEGF抗体+シクロホスミドも投与されているので、腫瘍が小さくなったのは、ネオアンチゲンを標的とするリンパ球によって起こったのではなく、これらの薬剤が効いただけかもしれないと批判するだろう。

 

しかし、最近の科学的エビデンスを無視して、患者さんのがんい対する免疫能力を高める方法を完全に抹殺しようとするのは、医学の進歩に逆行する考えである。私は「白衣を着た詐欺師たち」は許せない。彼らが科学的に患者さんに接しているのではなく、金儲けのために接している態度は、医の倫理に反していると思う。しかし、それと免疫療法の全面否定は筋が違う話である。

 

患者さんの持つ、抗がん免疫能力をいかに高めるのかを世界中が競っている時代である。凛として、信念を持って、がん患者さんを助けようと免疫療法に取り組んでいる医師や看護師さんの気持ちを、心を折ってはならない。今の日本の免疫療法は、悪貨が良貨を駆逐しているような状況だ。馬鹿な医師たちが、それを後押ししている。5年後、10年後の日本はどうなっているのか、心配だ。日本のがん患者が、隣国にがん免疫療法を受けに行く。そんな姿は絶対に見たくない。

 

NHKの「坂の上の雲」は、「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」というナレーションから始まった。まことに小さな国が、世界に伍する国になった。やればできるはずだ。ワイドショーのような国会議論をやめて、国の将来や病気で苦しんでいる人たちのために真剣な議論ができないものなのか。情けない限りだ。国の総力を持って、がん免疫療法に取り組み、日本から世界にがん免疫療法を発展させていく、こんな決断ができないものなのか!

 

「わたしは信じる 新たな時がめぐる
凛として旅立つ 一朶の雲を目指
し」

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Stand Alone;凛として生きる

昨日の市民公開講座で、神崎亜希さんというソプラノ歌手の歌を聞いた。私は救い難いほどの音痴なので、歌唱力の優劣をつける資格はゼロだが、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の挿入歌であった「Stand Alone」という題名の歌は、その歌詞(小山薫堂 作詞)と共に心に響いた。

 

「ちいさな光が 歩んだ道を照らす

希望のつぼみが 遠くを見つめていた

迷い悩むほど 人は強さを掴むから 夢を見る

凛として旅立つ 一朶の雲を目指し」

 

幕末から明治にかけ、日本は植民地化されず、「Stand Alone」でいることができた。今年は明治維新から150年目の記念日にあたる。日本が欧米列強に踏み荒らされずに済んだには理由があるはずだ。凛として人生を歩み、希望のつぼみを育ててきた先人の歴史に学ぶべきではないかと思う。

 

忖度がどうのこうのと騒いでいる野党政治家の中には、民主党政権時に間近で見た人が少なからずいる。大阪弁だと、「どの面を下げて、そんな偉そうなことを言うとるんや。自分の過去を振り返ってみいや」と叫びたくなるような人たちだ。凛として、人としての矜持を持って、国の将来のために生きる政治に臨んで欲しいものだ。

 

財務事務次官のセクハラ発言など、決して褒められたものではないが、、週刊誌で取り上げられたからと言って、ここまでバッシングをする必要があるのか、疑問でならない。発言に問題はあっても、魔女狩り的に辞任を迫るような事態は異常だと思う。どの組織においても、しっかりとした検証をしていくところから始まるはずだ。これでは、メディアによる人民裁判ではないのか?こんなことがまかり通るなら、人を罠にはめ、貶めることなど簡単にできてしまうのではないのかと思えてくる。もっと客観的に議論をして欲しいものだ。

 

このようなあまりにもワイドショー的で知性のない国会の議論を聞いていると、悲しくなってくる。国会とワイドショーが金太郎飴のようにどこを切っても同じような議論・話題だ。本当にこれでいいのか?がん医療だけを見ても、困っている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人たちがたくさんいる。議員はいったいどこに目を向けているのだ。国の将来に関わる議題で、凛とした人たちの、凛とした真剣な議論が聞きたいものだ。

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人工知能と医療

今、京都から東京へと向かう新幹線の中だ。京都で開催されている日本内科学会の特別講演と市民公開講座の発表を終えたところである。がん医療は、リキッドバイオプシー、全エキソン解析、新たな免疫療法をキーワードに大きな変革を起こしていることを紹介してきた。そして、このような状況で不可欠なことが、医療現場への人工知能の導入である。

 

私のかつての部下や知人から、「書類で大変だ」「患者と一生懸命に接すれば、接するほど、説明やその記録で時間がとられ、新たなことを学ぶ時間が取れない」などと、愚痴がこぼれてくる。米国のような契約社会でのシステムを取り入れても、日本の医療システムにはなじまないのではないかと、この数十年間疑問を感じている。

 

医療費を制限し、人的資源を制限するなかで、患者さんや家族への説明、種々の委員会への出席、書類作成と業務が年々増えているのである。日本の医療関係者はよく頑張っていると思う。しかし、現在のようなあり方では、まじめな医療関係者の心は燃え尽き、いい加減な人たちはプロトコール化した医療をさらに血の通わないものにし、患者さんや家族の不満が蓄積するだけだ。

 

パソコンの画面を見つめて患者の目を見ない医師、マニュアルを読むかのように淡々と説明をする医師、患者さんから、「セカンドオピニオン・・・・」と言った言葉が出た途端に不機嫌になる医師、これが珍しいものではなくなってきたのが実情だ。

 

しかし、これらの事態を医療関係者の怠慢と一方的に責めるのは間違っている。アナログ的な仕事量が人間の処理能力を上回っている現実を直視しなければ、さらにひどい状況を招くことはあっても、改善は期待できない。同じ説明を淡々と繰り返す方が楽だし、パソコンを見ながら診療する方が時間を節約できる。「予約時間なのにまだか?」と他の患者さんから責められることもなくなる。セカンドオピニオンなど、診療情報を患者さん自身が共有すれば、好きな時に他の医師の意見を聞くことができるのだ。データベース化と人工知能の導入を考慮した医療制度の抜本的な改革が必要なのである。

 

人工知能の助けを借りる事ができれば、患者さんへの説明や会話が記録されるし、人的なエラーも回避できる。家庭用の小型のものでも、「イージーリスニングの曲をかけて欲しい」と言えば、好みの音楽を選曲してくれる時代だ。囲碁や将棋など人工知能は名人級の思考をすることができるのだ。どうして、医療現場で積極的な導入がないのか、不思議だと思う。

 

インフォームドコンセントも、人工知能から説明してもらい、簡単な質疑応答をして、最終的に残った疑問・質問を患者・医師が向き合って話し合えば、もっと心が通える対話が成り立つのではないかと思う。スマートフォーンに医療情報が収納されていれば、旅先での事故や大災害対策としても役に立つ。

 

人的資源が豊かで、最新の医療情報に接する医療機関だけが優遇されるのではなく、みんなが、いつでも、どこでも世界で最先端の医療にアクセスできるような仕組みを作っていくことが大切だ。

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障がい者差別が生んだ悲劇

産経新聞に「息子閉じ込めた『おり』入り口に南京錠 自宅隣接のプレハブ内に設置」という表題の記事を読んだ。知的障害のある42歳の長男を自宅敷地内にあるプレハブの中に檻を設置し、そこに閉じ込めた罪で、父親が逮捕されたとあった。16歳のころから檻に監禁していたようだ。他のメディアの記事にも目を通したが、いかにもひどい父親であるかの印象を与えるような記事ばかりであった。

 

上記の記事の最後には「昨年12月、精神疾患があると診断された娘が監禁されて死亡し、両親が保護責任者遺棄致死と監禁の罪で起訴された事件があった。」ともあった。これらの事件は、「無情な家族がいた」と済まされるものではないと思う。両事件の親は、違法行為をしていたことは間違いなく、法的責任を問われるのは致し方ないことだと思う。しかし、私はこのような事件を目にするたびに、日本という社会そのものに責任はないのかと考え込んでしまう。

 

親族に知的障がい者や精神疾患に罹患しているという理由で結婚差別につながる例など決して珍しくないのが実情だ。私も少なからず、知っている。子供が大きくなって、親の手に余るような暴力的状況になった時、社会はそれを十分に支援しているのか、われわれ自身が問いかけるべき課題ではないのかと思えてならない。本来は、遺伝病などを含め、いろいろな病気が、人間の多様性の一部なのだと理解し、人権を尊重しつつ、相手の尊厳を認めるような社会であるべきではないのだろうか?困っている人たちがいれば、国が、そして、みんなが助け合うべきだと思う。しかし、この国では、遺伝学、遺伝病の教育が差別を生むという理由で回避されてきたし、今も、十分な教育がされていない。隠すことで差別がなくなるはずがないのだ。

 

隠せば隠すほど、闇が濃厚さを増し、人知れず差別する心が生まれているかもしれないと思う。知らないことに対して、われわれは不必要に恐れを感じ、心を閉ざしがちだ。真実を知り、事実と向き合い、理解し、どんな人でも尊厳を持って接する、そんな教育をすべきなのだ。わが子を監禁して、心が痛まない親などいるはずがないと信じたい。親を非難して責めれば、それで終わる話であろうか。我々の社会が目を背けている問題を意識しない限り、このような不幸は繰り返されるように思えてならない。

 

この事件の父親の悲痛な心、苦悩を少しでも踏み込んで考える記事があってもいいのではないのか、そう思えてならない。

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微少残存病変を叩き、がんの治癒を目指す

今年のシカゴは春の到来が遅く、今朝も最低気温が氷点下で薄らと雪化粧していた。10日くらいまで、最低気温氷点下が続きそうで、来週の月曜日・火曜日も雪の予想が出ている。今住んでいるアパートは築50年くらいで、窓枠の取替え工事が順次進んでいる。そのため、カーテンを取りはずすようにと言われ、28日に取り外した。当初の工事予定は330日だったが、どんどんずれ込んで現時点で49日となっている。カーテンがないと、夜中に屋外が冷え込むと、室内の温度も一気に下がる。今朝は、夜明け前に寒さで目が覚め、ホッカロンを張り、靴下を履いて、再び布団に潜り込んだ。米国では予定などあってないようなもので、約束時間が1時間以上ずれ込むことなど日常茶飯事で起こる。しかし、東京の真冬よりも寒い気温なので、予定通り工事をして欲しいものだ。大学のオフィスも寒いので暖房を入れたが、過電流となったためか、暖房機と同時に突然、パソコンの電源が落ちた。論文の校正に費やした2時間以上が、露と消えた。気を取り直して再チャレンジと思ったが、2時間分のロスに唖然呆然で気合が入らず、このブログを書くことにした。

まじめな話に移ろう。今月号のNature Reviews Cancer誌に、オピニオンとして「微少残存病変を叩くのが、がんの治癒への道?」というタイトルの論文が出ていた。白血病などでは、一定の抗がん剤治療後に、微少残存病変が検出されると、追加の抗がん剤治療が行われる。微少残存病変というと難しいように聞こえるが、簡単に言うと治療をした後に、画像検査や顕微鏡検査でがん細胞(がん組織)が無くなっているように見えても、感度の高い検査法(RNADNA)で調べると、がんが潜んでいると考えられる状態だ。

白血病の分野では日常臨床に応用され、高感度の検査では陽性だが、目に見えない(画像で見えない)ような段階で抗がん剤治療をすることで、治癒率が向上した。今、固形がんに対して、リキッドバイオプシーなどを利用して、目に見えないがん細胞を捉える可能性が高まってきた。がん治療はモグラたたきのように、一つの治療法で治療し、それが利かなくなると次の治療法へ移っていく。治癒を目指さなければこれでもいいだろうが、治癒を目指すにはパラダイムシフトが必要だ。常識的に考えれば、がん細胞が少ない方が完璧に叩きのめす可能性が高い。数十人規模の暴動は抑え込むのが簡単だが、これが1万人規模、10万人規模になると、収拾を図るのが難しくなる。もっとひどくなると内乱状態となる。進行がんと言うのは、内乱となってがん細胞の活動を抑えるのが難しくなった状況である。

当然ながら、リキッドバイオプシー陽性でも、本当に活発ながん細胞が潜み、それを放置すると内乱状況まで達するかどうかは、神のみぞ知るだ。ただし、ジョンスホプキンス大学の大腸がんのデータでは、大腸がん手術後にリキッドバイオプシーで陽性だった症例は2年以内にほぼ全例再発していた。これが再現されるなら、やはり、リキッドバイオプシー陽性・画像検査陰性である時点で、手を打つことが必要になると思う。しかし、このような時点で副作用の激しい抗がん剤治療を行うことは患者さんに取って負担が大きい。リスクとベネフィットの慎重な評価が必要だ。ネオアンチゲンなら、副作用リスクは非常に低いと思うが、効果的であるというエビデンスはない(調べていないからわからないという意味であり、効かないというエビデンスではない)。

新しい技術が生まれた時に、新しいコンセプトの治療体系を考えるべきだと思うのだが、標準療法が金科玉条のごとく幅を利かせている。抗がん剤で免疫系を痛めつけてから、免疫療法を利用するのは、論理的に考えてもおかしいと言い続けているが、標準療法絶対主義が大きな壁となり、科学的な議論が難しい。この壁を崩すことができるのは患者さんの力だと思う。それに期待して、私も、もうひと踏ん張りしたい。

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乳がん治療薬タモキシフェン処方に対するガイドライン

今日のASCO(米国臨床腫瘍学会)からのニュースに「CLINICAL PHARMACOLOGY & THERAPEUTICS」という雑誌に「Clinical Pharmacogenetics Implementation Consortium (CPIC) Guideline for CYP2D6 and Tamoxifen Therapy」という論文が公表されたとあった。以前にも触れたが(プレシジョン医療入門―2)、タモキシフェンという乳がんに対するホルモン療法の効果がCYP2D6という遺伝子の多型によって影響されるため(CYP2D6は酵素であり、遺伝子多型がこの酵素の量や働きに影響する)、遺伝子タイプによる使い分けガイドラインを示したものだ。

 

それにしても、ここに至るまでには長い歳月がかかったものだ。メイヨークリニック(Mayo Clinic、マヨクリニックと訳していた人がいたが、それは間違いだ)やわれわれは、CYP2D6の遺伝子タイプによってタモキシフェンを使い分けるべきだと主張していたが、別のグループはCYP2D6の遺伝子多型はタモキシフェンの効果に影響を及ぼさないというデータを出していたため、収拾がつかない状況だった。詳細はプレシジョン医療―2を読んで欲しい。

 

科学的な雑誌にはすべてが正しいデータを報告しているのではなく、悪意でない間違いや捏造などが混在している。ビッグデータの中に、「AがあるとBとなる」と「AとBは全く関係しない」というデータがあると、コンピューターは混乱する。そして、多くの場合、調べた患者数の多い方を信頼することになる。ビッグデータを扱う際の重要な課題のひとつがこれだ。タモキシフェンの場合、まさに、数の多い方が信頼度が高いという判断で、タモキシフェンの効果とCPYP2D6の関連性は否定されていた。しかし、数の多い方で致命的な欠陥が見つかり、すったもんだの末、ようやくこの論文にたどり着いたのである。患者さんの立場になれば、当然の結果だと思うが、多くの場合、患者さんの利益より、研究者の面子が優先される。

 

一般的に医学の世界では、特にがん治療の分野では、患者数の多いランダム化試験を絶対的に正しいと信ずる人が多い。これだけがんの多様性が科学的事実となっていても、この傾向は変わらない。しかし、単に統計学的な数字だけでなく、患者さんと正面を向いて向き合わないと、真実を見落としがちだ。タモキシフェンの場合、この薬剤は肝臓にあるCYP2D6という酵素でエンドキシフェンに作り変えられ、女性ホルモンの働きを抑え、乳がん細胞の増殖を止めることが知られている。科学的な思考ができれば、CYP2D6の働きが悪ければ、体内のエンドキシフェンの量が減り、薬は利きにくくなると判断できるはずである。

 

何も考えずに目の前にあるというだけの理由で研究手法を利用することは、使い方の知らない道具を使うのと同じで危険極まりない。先週の金曜日にNHKラジオに出演した時に、番組内でいい加減な腹腔鏡手術がニュースとして流れ、キャスターが批難していた。これなど使い方を知らない道具を、患者さんの危険を顧みずに用いる典型だ。医療は科学的であるべきだが、医療現場で人間愛がなくなれば、医療行為は空虚で機械的なものになってしまう。患者さんに対する尊厳の気持ちがあれば、無謀で危険な手術に挑まないはずだ。医学研究者も研究は単なる研究者の自己満足でないことは言わなくてもわかるはずだ。

 

話を元に戻すと、CYP2D6によって分解されるうつ病の薬剤をタモキシフェンと同時に服用すると、その薬剤がタモキシフェンと競合関係となるため、エンドキシフェンの産生が落ちることも知られている。腫瘍内科と精神科で連携が取れていないと、二つの薬が同時に処方されることになりかねない。薬剤の処方をデータベースで管理するシステムが確立されれば、簡単にチェックできるはずだが、できていない。常に自分が患者さんに対して最善の治療法を提供しているのか、自問自答することが重要だと思う。

 

シカゴで6年ー遺伝子パネルが全エキソン解析か?;全エキソン解析はがん患者や家族に希望が提供できる!

6年前の2012年3月29日に東京を経ち、シカゴに向かった。早いもので、もう、6年になる。まだ、50歳代だった私だが、60歳代の半ばになってしまった。そして、東京大学医科学研究所の凋落は著しく、理化学研究所ゲノム医科学研究所は名前が消え、バイオバンクジャパンも終わる。これから、ゲノム解析に基づいたプレシジョン医療が本格化するにもかかわらず、日本で起こっている、時代の潮流に逆らう動きはどうなっているのだろう?

 

私は、1996年にPHP新書「遺伝子で診断する」を発刊し、その中で遺伝子を診断に利用し、遺伝子情報で薬を選ぶオーダーメイド医療の将来像を提示した。当時は、個別の遺伝子を調べることを想定したものであったが、20数年の時を経て、全ゲノム解析・全エキソン解析が、安価で短時間にできるようになった。私の想像をはるかに上回る速さで、DNA解析技術が向上した。そして、20年前には奇異の目で見られたオーダーメイド医療は、プレシジョン医療と名を変えて、大きな流れとなった。

 

また、シカゴで過ごした6年間で、血液や尿を利用したリキッドバイオプシー技術が一気に臨床現場で応用される気配を見せている。血液中にがん由来のDNA断片が含まれていることは疑いようもない。日本では「リキッドバイオプシーなど時期尚早」と批判のコメントを発して、わかったような振りをしている評論家がたくさんいる。20年前には、「全ゲノム解析など100年先の話だ」と言って、ゲノム研究をゲテモノ扱いした人もいた。できそうにもないから、難しそうだから、何もしない日本文化が、必要だからやり遂げるという米国のチャレンジ精神に、コテンパンに負けているのだ。がん由来DNAが血液中にある事実は曲げようもなく、あと少しの技術進歩と標準化で、臨床現場に応用されるのは確実だ。

 

そして、この6年間で最も変化したことは、がん免疫療法である。がんの第4の治療法になるかどうかといった議論が遠い昔のような気がするくらい、免疫療法はがん治療のど真ん中に鎮座している。しかし、日本では、今でも、味噌と糞を一緒にして、免疫療法を否定する馬鹿医師が少なからずいる。7年前に、「がんの免疫療法など効くはずがない」といった人が、今や、免疫療法の大家のような顔をしている。日本は変な国だ。

 

しかし、免疫チェックポイント抗体の成功は、患者さん自身の免疫力が非常に重要であることを、科学的なエビデンスとして明示することにつながった。そして、米国で発刊されている「サイエンス」誌の最新号が「免疫療法」の特集を組んだ。その一つに、個別化ネオアンチゲンをまとめたものがあった。そこに“…a personalized mutanome vaccine has the potential to become a universally applicable therapy irrespective of cancer type.”というコメントがあった。和訳すると、「個別化ネオアンチゲン(mutanome vaccine=mutationを元に作られたワクチン)は、がんの種類に関わらず、普遍的に利用できる可能性を持っている」だ。

 

がんの全エキソン解析と遺伝子発現解析をすれば、遺伝子変異数が極端に少ない場合を除いて、ネオアンチゲンワクチン候補が見つかる(ただし、がん特異的な抗原をがん細胞の表面に示すHLAやその関連分子に異常があれば役立たない)。これを利用した臨床試験が急速な広がりをみせている。わずか100-200遺伝子を解析して(遺伝子パネルで)分子標的治療薬を見つけることなど、時代遅れのガラパゴスなのだが、日本では、これが時代の最先端だという。これも、変な国、日本だ。

 

しかし、変な国だと嘆いていても、患者さんや家族には何も届かない。私も前向きに進まなければと自戒する。そして、シカゴの生活もあと3ヶ月で終わる。変化を起こすことができるのか、潰されるのか、どちらに転ぶのかわからないが、挑戦することにした。この歳になれば、何も失うものはない。坂本竜馬のように、死ぬ時も前のめりで死んで生きたい。もちろん、患者さんや家族には希望の光を残したい。桜のように美しい花を咲かせて、綺麗に散ることができれば本望だ。