数百万人に実施された母体血を利用した胎児の染色体異常診断

New England Journal of Medicine」誌の82日号に「Sequencing of Circulating Cell-free DNA during Pregnancy」というタイトルの論文が掲載されていた。妊娠中の血液(血漿)中に含まれるDNAのシークエンス解析についての総説だ。妊婦の血液(血漿)には、胎児由来(胎盤由来)のDNAがわずかに紛れ込んでいる。この母体血の血漿からDNAを取り出して、シークエンス解析することによって、胎児の染色体レベルでの異常を診断していく方法である。以前は羊水を取り出して(今も半数くらいは羊水を利用していると推測される)、その中に含まれる胎児細胞を調べていたが、この母体血を利用する方法が一気に広がっている。

 

2017年後半までで、すでに推計4-6百万人の妊婦がこの診断を受けたとのことだ。第21番染色体、第18番染色体、第13番染色体トリソミーの検出率は、それぞれ、97%、93%、95%と非常に高い。誤診率は、0.10.3%であったと記載されていた。方法としては、得られたDNAを選別せずにシークエンスする方法と、特定の遺伝子領域だけをPCR法で増やしてからシークエンスする方法の二つが主に利用されている。最近では、染色体異常以外の一つの遺伝暗号の変異によって起こる遺伝性疾患に対しても応用され始めている。

 

擬陽性(陽性と間違って診断されるケース)、偽陰性(間違って見過ごされるケース)もあり、その原因なども列記されていたが、自己免疫病やビタミンB12欠乏症などは、DNAの質に変化を与え、間違いが起きやすいようだ。また、がんのリキッドバイオプシーと原理的には同じであるので、偶発的にがんが発見される場合や、遺伝性のがんの遺伝子異常が見つかることもあるようだ。

 

このようなデータを考えれば、がんに対してリキッドバイオプシーが可能かどうかなどを議論をしていること自体が時代錯誤だと思う。技術的には血漿からDNAを取り出して、そのDNA解析をすることはさほど問題になるとは思えない。問題は、どのように検出感度を上げるのか、どこが検出限界なのかを知ることだ。

 

日本では新しいことに対して、懐疑的なコメントを発し、専門家であるかのようなふりをしてふんぞり返っている人が多い。新しい技術が開発され、実用化された時に、それがどれだけ社会に貢献するのかといったメリットを理解し、実用化する場合に何が問題なのか、課題があればそれらを克服するために何をすべきなのかを考える人が限られている。だから、日本発の診断機器、治療機器、治療薬が世に出ないのだ。

 

そして、「倫理的」と称して、全体像を把握もせずに問題点をあげつらって、医学の進歩を妨げる倫理学者もどきもたくさんいる。何も治療法がなく闇の中で生きているがん患者さんに対しても、安全性を過度に主張し、結果として見殺しにすることに加担していることに思いが及ばないのだろう。想定される利益と不利益を科学的に評価して、希望があれば、問題がないのかを監視して前に進めることこそ、人の道に適うのではないのか、と思っても、このような心の中の叫びは掻き消され、時として闇討ちを受ける。

 

患者や家族が望んでいても、すぐ前に死が迫っていても、100%の安全性の確保がされていることを求めるのが倫理的かどうか、私には疑問だ。外科手術であっても、100%安全であることが保証されているのが必要なら、外科医は患者さんを目の前にして立ちすくむしかない。確立された手術法であっても、絶対の安全性が保証されないのが現実なのだ。正確な科学的な知識と考察に基づいた議論を「倫理的」に行ってこそ、真の倫理学者ではないのか?批判こそ命だと考えているメディアも、自分の主張に沿った意見は取り上げ、そうでないものを切り捨てる人が少なくない。「中立的」という言葉が虚しいことは、報道の実情からは明白だ。上記の母体血による診断は、これまでの羊水などを利用する検査よりも、はるかに、母体にとっても胎児にとっても安全だが、日本ではその導入の際に大騒ぎとなった。

 

知識ギャップを埋めていくことが、日本の医療の進歩に不可欠だ。

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暑い日本の夏をもっと熱くしたい

日本の夏は本当に暑い。7年ぶりの東京の夏は、「とにかく暑い」の一言しかない。昨日、シカゴ大学の友人から、東京はドイツと同じでエアコンがないから(???)、今年の熱波は大変だろうとメールが送られてきた。思わず吹き出しそうになったが、日本の認知度はこの程度なのかと寂しくもあった。

 

この暑さに加え、シカゴの時と比べて数倍の忙しさとなり、本当に目が回りそうだ。「人工知能ホスピタル」関連の説明会で、「医療関係者は忙しすぎて、新しいことを勉強する時間が取れないので、人工知能が必要最低限の情報を医療関係者にわかりやすく正確に伝えて、知識ギャップを埋めていくことが重要」と言っている私自身が、勉強する時間が取れなくなってきているのは悪いジョークのようだ。

 

今日は、午後に大阪市立大学医学部で講演会をするために、今、羽田空港から大阪に向かうところである。大阪市立大学附属病院は約50年前に足の複雑骨折で3か月間入院した病院で、自慢にはならないが、中学2年生の3学期は1日も登校していない。しかし、この入院が、私が医学へと志すきっかけとなったのである。もう、半世紀も前のことであるが、入院していた時のことは今でも鮮明に記憶に残っている・

 

日本に戻り、相も変わらず失望するのは、標準療法というマニュアルがベストの医療であると信じている人たちだ。海外で得られたエビデンスを、日本で再検証し、それを実行していれば自分は日本のトップであると信じきっている。最近では、米国でセカンドオピニオンを受けることを手助けする企業に、患者さんを斡旋している臨床腫瘍内科医もいるようだ。

 

繰り返し述べているが、日本での「エビデンス」は統計学的な差があるかどうかとほぼ同義語である。基礎研究・動物実験などで積み上げられたサイエンティフィクなエビデンスは「エビデンス」とは捉えられていない。この部分の評価能力の欠落が、日本独自で新しいことを生み出していくことを阻んでいる。

 

サイエンスは「信じるか」「信じないのか」といった世界ではない。得られた結果を(もちろん、人為的に操作されたものではなく、正しい手法によって得られた正確な結果が必要である)、曇りのない目で評価し、検証するところから始まる。赤いサングラスをかけて、白い紙を赤色だと判定するような制度ではいけないのだ。

 

そして、正々堂々と学会などの開かれた場で議論することが、科学の進歩には必要だ。陰に回ってひそひそと陰口・悪口を言っても科学の進歩にはつながらない。日本の評価制度には大きな欠陥があると思っていても、自分の損得が優先され、声をあげようとしない。これでいいのか、日本の医学は!科学の世界を真剣な議論で熱くしたいものだ。

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希望が奇跡に変わる日を信じて

がん医療の標準化が進んだ。標準化、均霑化は全体としてみればいいことだが、標準化療法が終わった後の希望が限定的だ。マニュアルに書かれていることにしたがって治療するのが標準医療であり、分子標的治療薬以外は、患者さん自身の多様性やがん細胞で起こった複雑で多様な変化をほとんど考慮しない医療でもある。もちろん、標準的治療法がなくなれば、緩和ケアへと進む標準化が残されている。「緩和医療」という言葉は優しいが、がんに対する積極的な治療はせず、患者さん自身にも家族にも精神的に辛い日々が待ち構えている。

 

「標準医療以外や標準療法以降の医療・希望を求める」患者さんや家族は、白衣を着た詐欺師にはとっては格好の標的となる、と批判してきたが、日本の医療制度、臨床試験研究支援体制が、悪がはびこることに貢献しているのが事実だ。「あなたの場合、平均的生前期間は6ヶ月から1年で、薬が効かない場合には、また考えましょう」では患者さんや家族は不安を募らせるばかりだ。「希望なく生きることを強い、不安になるのはそちらの勝手だ」とマニュアルにしたがっていることを誇りにしている医師も少なくない。希望という救いをもとめる人たちの行き場を国として十分に確保・提供できていないことが大きな問題なのだ。もちろん、心ある多くの医師たちは、患者さんに寄り添う道を模索しているのだが、システムとして機能していないのが現実だ。

 

こんな状況で、私一人があがいても、どうにもならないことはよくわかっているが、誰かがこの閉塞した状況を破らない限り、世界は変わらない。十数年前に、何とか流れを変えようとペプチドワクチン療法のネットワークを作り、必死であがいたが、それは朝日新聞によって阻まれてしまった。あの時のネットワークの流れが広がっていれば、日本は免疫療法で世界をリードしていたかもしれないが、覆水盆に返らずだ。自分が歳を取ってきたと実感せざるを得ない今、再び、一から築き上げるのは大変だし、私が生きている間に実現するのかどうか自信はまったくないが、待っていてくれる患者さんや家族の期待に応えて頑張るしかない。数少ないが、応援団員が存在してくれることが心の支えだ。6月には「週刊新潮」が、そして、今日は「フライデー」が援護射撃をしてくれた。「異端児」・「一匹狼」に私には、本当にありがたいことだ。

 

不器用な人間は、不器用に生きるしかない。直球しか投げられない私が、野球選手になっていたら、ホームランを浴びやすい投手になっていただろう。それでも、直球を投げ続けて、直球で相手をなぎ倒すしか、私には道はなかったと思う。たとえ、ピークを過ぎたとしても、これを貫き通して、駄目ならば、引退するしかない。常に断崖絶壁を背負って生きてきたような人生なのだから、いつでも覚悟ができている。「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」と言うほどの気力も迫力もなくなった。「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず」と思うことができるほど残された人生は長くない。仲間を増やすのが大切だとしみじみ思う。

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人工知能を賢くするにはデータというエサが必要だ?!

内閣府の「AIホスピタル」プロジェクトのディレクターに指名されて3か月が経過した。「AI=人工知能」で思い描く「人工知能」があまりにも多様で日々驚くばかりだ。私は、周辺の医師や弟子たちとの会話から、医療現場での補助機能や最先端医療・医学の教育システムとしての人工知能を重要と考えていたが、多くの人は、データベースからAIは始まると思い込んでいるようだ。大腸がんの増加を背景に、空間を認知しながら、安全に素早く大腸内視鏡を自動的に盲腸まで誘導するAIなど重要だと思うが、どうもかなり突飛な発想のようだ。

 

こんな状況下で、多くの情報を入手しようと思って、AIの講演会に参加した。その場での「AIを賢くするにはデータというエサが必要だ。日本ではデータを抱え込んでいるので、餓死して、ガラパゴス化している」という言葉が印象的だった。「データを抱え込んでいる」のは同感だが、毒を含んだエサを食べたら、中毒になるのではと思った。情報系に人には、生み出されるデータが毒を含まず、すべて栄養になると信じているようだ。私も、もっと素直にならなければと思うが、この世界に生きるとひねくれてしまうようだ。

 

医療をより良いものにしていくためには、多くの患者さんの正確な医療情報やゲノム情報を収集することが不可欠だ。米国ではネットを通して個人から膨大なデータを収集しているし、民間の医療保険企業も医療情報を収集し、それに独自でゲノム解析を上乗せしている。日本では、医療情報などを国が収集することに懐疑的な声が大きく、なかなか進まない。また、電子カルテシステムから情報を収集するのも結構大変だ。各社の利用しているシステムが異なるのでデータ収集は一筋縄でいかない。

 

ゲノムに関しては、全エキソン解析にはデータを保管する場所がなく、解析するコンピューティングが不足だなどという驚くべきレベルの議論をしている。研究者が個人レベルでする話でも、一研究機関がどうするのかという話でもない。国の中長期的なビジョンの中で議論すべきだが、各省庁に、そして、各部局、各課で確保されている予算だという固定観念や前提に基づいて議論されるので、一定の枠を超えるようなプロジェクトを組み立てることができない状況になっている。

 

セミナーでの、「2029年には人工知能が一人の人間の知能を超え、2045年には全人類の知能を合わせても人工知能に勝てなくなる」という予測を聞かされた時には衝撃だった。人工知能が暴走すると、人類の存在そのものが脅かされそうだ。Googleでは萌えキャラとの会話できるようになっているので、引きこもりが増えるのではないか?は冗談の話ではなく、リアルワールドの話だそうだ。中国では膨大な物流システムに人工知能が運用されている。農業では人工知能が自動的に間引きを行い、人工知能がドローンを使って農薬を散布する。8Kになると人間の目の解像度より高くなり、外科手術を人工知能がロボットを使ってするようになるのは、SFの世界ではなくなってきている。

 

 

日本に戻って1か月;これでいいのか、日本のがん医療

613日に日本に戻って、1か月が過ぎた。目が回るような忙しさに加え、この蒸し暑さは大変だ。1か月間、いろいろな方にお会いしたが、期待と厳しい目が背後から突き刺さる

 

昨日は、「がんプレシジョン医療プロジェクト」の発足会を開催した(開催していただいたというのが正しいが)。予想を上回る多くの方に参集していただけた。この会を開催するために尽力いただいた方々に感謝するしかない。来賓の方々のコメントを聞いていた時には、胸の奥底から熱い思いが込み上げてきて、涙が出そうになった。6年前に日本を離れた時の複雑な思いと、昨日の応援メッセージが交錯した。私がどうして日本に戻ろうと思ったのかと頻回に聞かれるが、シカゴにいても送られてきた、患者さんからの多くのメール、それがすべてだ。無神経な医師からの言葉、希望のない日々の苦しさ、わが子の死を待てと言われた親の悶絶するような悲しみ、その暗闇に少しでも灯りを提供したい、単にそれだけだ。日本の患者さんに希望を提供したい、そして、笑顔を取り戻したいのだ。

 

いつまで体力が持つのか自信はないが、倒れるまで走り続けるしかないと改めて心に誓った。手立てがなくなると同時に、希望を絶つがん標準治療は、医療の持つ使命を失った医療だと思う。医療は人を敬愛するところから始まるものだと信じているが、今は、そうではないと感ずることが少なくない。安易に告げる残された時間、それがどれだけ、患者さんの人生の質を下げているのか、それを考えずして医療と呼べるのか?是非、多くの方が考えて欲しいと願っている。

 

この1か月、危機的だと思ったもう一つのことは、個人・企業から失われつつある情熱だ。研究費がもらえれば、社内で認められれば・・・・をしたいという声の多さに愕然とする。自らの情熱で動かそうという気持ちが表現できないのか、伝わって来ないのかわからないが、多くが消極的で、受け身なのだ。研究費や出世が人生の目標では、あまりにも、味気ないのではないのか。自分はどんな足跡を残したのか、それが誇れる人生であってほしい。講演では、市立堺病院での体験をもとに、「絶望の中で生きることの苦悩を知った」ところから私の研究生活がスタートしたことを話したが、この突き動かいしたい気持ちが、もどかしいほど伝わらないのだ。

 

もっとひどいことは、ある医師が、免疫療法を執拗に非難する一方で、米国でのセカンドオピニオンを斡旋する組織と結託していることだ。セカンドオピニオンを受けるだけで百万単位のお金がかかる。自分が臨床腫瘍医でありながら、米国でのセカンドオピニオンを勧めるのはどうしてか?私には理解不能な世界だ。日本で希望がないなら、日本で希望を提供するために尽力すべきではないのか?私の所に来れば、米国の最新医療の情報を提供しますと言うならともかく、海外での高額なセカンドオピニオンを斡旋するなど論外だ。

 

と他人のことを愚痴っていても何も変わらない。患者・医療関係者・研究者・企業が集まって、日本国内で多くの希望が提供できる、そんな明日を目指したい。

頭に来てもアホとは戦うな!

今週の月曜日から、がん研究会・がんプレシジョン医療研究センター所長として勤務している。内閣府のプロジェクトもあり、自宅・内閣府・がん研究会のトライアングルの通勤はかなり体に堪える。シカゴと比較すると気温は少ししか変わらないが、この纏わりつくような湿気はかなり厳しいものがある。移動だけで、日に3時間も使い果たし、想像していたより過酷な日々だ。

 

しかし、懐かしい顔に出会うたびに、「頑張ってください」と言われ、自分の気持ちを奮い立たせるしかない。でも、少なからずの人に、「プレシジョン医療って、オーダーメイド医療とどこが違うのですか?」と聞かれると、答えに窮する。「同じような意味だけど、オバマ大統領には勝てないのです」としか、返事ができず、気持ちは凹んでくる。一市民の言葉など、米国大統領の前では無力だ。

 

20年以上前に「オーダーメイド医療」と命名した際に、築地から「オーダーメイドは英語ではないからテーラーメイド医療にすべきだ」と矢が飛んできた。一般の方にわかりやすい言葉にしたつもりだし、英語の話ではなくて日本語の問題なのだが、「嫌な奴はどんな理屈をつけてでも叩け」の精神だ。日本で2番になってはいけない。世界で10番でも日本で1番でなければならない文化が根付いている。私など、テーラーメイドで背広など作ったことはないので、「テーラーメイド医療」は金持ちの受ける医療というイメージしか残らない。そもそも、オーダーメイドは患者のオーダーによって作り上げるが、テーラーメイドは「テーラー=医師」が中心だ。こんな気持ちでいるから、標準医療=すべての患者にベストな治療だという妄想がはびこっているのだ。世界と関係なく、どうでもいい面子が優先する変な国だ。

 

メディアもこの論争が面倒になってきたのか、お上に逆らわないという本能なのか、「個別化医療」という言葉に活路を見出し、私の「オーダーメイド医療」は死語にされてしまった。患者さんが主役だと言いつつ、「テーラーメイド医療」と言うのは、自己矛盾の塊だ。「テーラーメイド医療」のどこが患者中心なのか、私には全く理解不能だ。

 

とぼやいていたら、「頭に来てもアホとは戦うな!」という表題の本が目についた。思わず購入してしまったが、このタイトルを見ただけで、気持ちが安らいだような気がした。「何がわからないのか」をわからない人と話しても消耗戦になるだけで、気の弱い私など衰弱してくるに決まっている。赤い色のサングラスをかけている人に白い紙を見せても赤色にしか見えない。メガネを無理やり外せば、パワハラだ、暴力だと言われる。心優しい私には、そんな乱暴なことができるはずもない。

 

そして、私の戦う相手は「がん」だと自分に言い聞かせていた時に、10代の患者のお父様から感謝のメールが届いた。患者さんは死に直面した崖っぷちから回復しつつある。読んでいて涙が止まらなくなった。私が生きている間に、がん患者さんや家族に希望を提供するだけでなく、笑顔を取り戻す日が来るかもしれない。

 

日本人の3人に一人ががんで亡くなっているのだ。もっとまともな政策論争ができないものなのか!やればできることを、何故、しないのか、不思議の国アリスだ。野党は安倍内閣に対する倒閣しか頭にないようで、国会のワイドショー化が止まらない。これでいいのか、日本の政治は!

緊急のお願い

71日以降も利用できるはずであったシカゴ大学のメールアドレスが、本日午後突然使えなくなりました。

 

これまでご相談を受けておりました患者さんやご家族の皆様、申し訳ありません。このような事態も恐れておりましたが、油断しておりました。何かありましたら、下記のメールにご連絡ください。

 

また、612日以降にアポイントメントを入れさせていただいた皆様も、申し訳ありませんが、再度ご連絡いただければ幸いです。ご不便をおかけいたしますが、よろしくお願い申し上げます。

 

他の皆様も、今後、下記メールアドレスにお送りいただきたく存じます。

 

中村祐輔

yusuke.nakamura@jfcr.or.jp