東日本大震災12回目の記念日

3月11日の昨日、福岡で開催された第87回循環器学会で真下記念講演を行った。内容は「AIホスピタル;AIとデジタルで心温まる医療を」だ。

 

2011年3月11日の東日本大震災は私の人生を大きく変えるきっかけとなった。2011年1月7日に内閣官房参与としての辞令を、当時の菅直人首相から受け取った。そして、内閣官房医療イノベーション推進室長として勤務を始めた。医療イノベーションとは言うものの、当時抱えていた医療の課題克服・創薬推進のための大きな青写真を作ることを目指していた。AMEDのような予算配分の組織を目指していたわけではない。

 

医薬品の輸入超過が1兆円を超えたので、その打開策をいくつか打ち出したが、ほとんど何も実行されないままに、2022年度の赤字額は4.5兆円を超えることになった。東日本大震災時に、津波などで診療情報が失われて、医療継続性が失われ、健康被害につながった。診療情報のバックアップ、あるいは、個人でスマートフォンへの移管を提言したが、今も何も手つかずに近い。

 

震災の復興会議には医療関係者がおらず、今の総合科学技術・イノベーション会議からも医療関係者が消えた。健康医療戦略室は、役人が中心だ。これだけでも、この国の医療福祉施策に対するいい加減さが見えてくる。医療や科学がわからない人たちが、施策を決めているのだから、この国がよくなるはずがない。

 

そして、講演の話に戻るが、私が下記のスライドを示したのは午後2時46分、まさに、東日本大震災が起こった時刻だったのは天の思し召しだ。学会の講演の内容として適切ではなかったと思うが、3月11日の講演だったので、一言触れずにはいられず、金曜日の夜にスライドを追加した。依然として3万人もの方が避難生活を送っているという。火事場泥棒的な復興策に、今でも多額の税金が費やされているという現実をどう理解したらいいのか?このことに心も痛まず、鉄面皮のような主張をつつけている輩がたくさんいる。

私は当時、津波被災者の健康管理のために温かい手を・・・と主張したが全くの無力だった。政治家・官僚の人を大切にしない態度に心底失望して日本を去った。再び心を奮い立たせ、今、AI化やデジタル化で心温まる医療を取り戻したいと頑張っているが、5年間頑張ったチームAIホスピタルはあと3週間で解散だ。この馬鹿な国に嫌気がさしているが、今回は死ぬまで頑張るしかない。

 

しかし、東日本大震災の時に何もできなかった自分への後悔・無念さは今でも強く残っている。心が通った医療を・・と講演では話をしたが、血が通った政策で「日の丸」の誇りを取り戻してほしいと心から願っている。