蚊に刺されやすい人?;皮膚からのカルボン酸の匂い

10月末のCell誌に「Differential mosquito attraction to humans is associated with skin-derived carboxylic acid levels」という論文が報告されている。「蚊を惹きつけるかどうかは、皮膚からのカルボン酸の量による」という内容である。

 

われわれも蚊に刺されやすい人がいる体験をしたことがあるはずだ。一緒にいるにも関わらず、一人だけが蚊に刺され、他の人は刺されない経験をしたことがあると思う。私はあまり刺されない方なので、どちらかというと後者の方だが、前者の人がいると、不謹慎だがラッキーと思ってしまう。あまりに違いがあると気の毒と思いながらも、なんとなく安堵するのは人間の卑しい性なのか?

 

この論文では蚊に存在する匂いに対する受容体(匂いをかぎ分けるセンサー)の違いによって、蚊はカルボン酸を多く作っている人がいる場合に、そちらに惹きつけられていくという内容だ。カルボン酸はR-COOHで表されるが、酢酸はCH3COOHは食酢に含まれる身近なものだし、酪酸CH3(CH2)2COOHは腐ったバターや銀杏(イチョウ)の臭気の元となっている。蚊にもたくさんの匂いのセンサーはあるが、人間でも味覚の受容体遺伝子やにおいを感じる受容体遺伝子などはたくさんあり、その多様性によって同じものを食べても感じ方に大きな違いが出る。自分には感じられない酸っぱさを、周りに人が強く感じて、みかんを食べることができない場合などがその例だ。

 

同じ雑誌に「Why are some people more attractive to mosquitoes than others?」という論評が書かれている。「なぜある人は他の人よりも蚊を惹きつけるのか?」だ。多くの日本人にとっては蚊に刺されて痒いのは不快だと感ずる程度だが、蚊はマラリアを含め感染症を起こす病原体を媒介する。2020年だけで世界中では2億4100万人がマラリアに感染し、627,000人が命を落としていると、この論評に記載されていたので、蚊が媒介する感染症が頻発している国々にとっては、蚊に好かれるかどうかは大きな問題なのだ。このような蚊に好かれやすい要因がわかれば、もっと虫刺され予防薬の開発も進み、マラリア感染症なども減らすことができるだろう。

 

ちなみに、私は東京ではあまり蚊に刺されないが、沖縄に旅行で行くとよく刺される。汗と共に何かが分泌されて蚊を惹きつけるのか、沖縄の蚊は別の匂いを好むのか、科学は興味深いし、世の役に立つ。






 

古希を迎えた憂鬱

とうとう古希を迎えてしまった。古来は希であったので古希と呼ばれるそうだが、平均寿命80歳を超える今、70歳など稀でもない。もともと数え年(若い人にはこの数え年がすでに理解不能な言葉だが)だったので、正確には昨年古希を迎えたことになるのだが、今はそんな数え方をしないので、とりあえず、今日、満70歳となり、古希を迎えた。12月8日生まれなので、生まれた時から欧米に対抗する気持ちが強いと言っても、それが1941年の真珠湾攻撃の日だとわかる人も少なくなった。今朝、メールボックスには、シカゴ時代の部下2人からの誕生祝のメッセージが届いていた。なんだか、心が温まる。

 

幸いにも元気に過ごしており、今でも水泳は1000メートルは軽く泳げるし、ボーリングも160-170点は普通に記録できる。ゴルフはベストスコアの79は遠い夢となったが100少しでラウンドできる。卓球もバドミントンもそこそこできる。

 

しかし、1-2年先の講演会を依頼されると考え込んでしまう。特に私より若い渡辺徹さんがあっという間に敗血症で亡くなったこともあり、自分の明日には自信がない。内閣府の嫌がらせで血糖は高値安定している状況だし、渡辺さんとは30歳代から糖尿病という点も同じなので、1年以上先の講演会を依頼されても、無事に生活している保証もないし、迷惑はかけられないので、躊躇してしまう。何かあって講演できなかったことを想像すると憂鬱でもある。ただし、最近受けた健康診断の骨密度測定では、私の年齢平均の約2倍もあり、20歳代の平均よりも高かった。肺活量も依然として4000㏄近い。筋力は確実に衰えているが、骨は意外に衰えないものなのか?

 

しかし、この歳になっても、講演会に声がかかるのはありがたいことだと思う。ゲノム・がん・AIなど幅広く取り組んできたのでいろいろな話題を話しすることができるし、ヒトゲノム研究の歴史などを生身の体験として語ることができるのは、絶対に私しかいないという自負もある。ヒトゲノム計画が正式に始まる1990年までの歴史をその中央現場で見聞した日本人は私一人だ。講演をする際のスライドも専門家向けの英語版から、一般の方にも理解できるようなイラストタイプまで5パターンくらい用意している。とはいっても、私の追っかけでもしていない限り、この5パターンのすべてを目にすることもないので、この努力は外からはなかなか見えない。

 

そして、最近コンサルから話を聞かせて欲しいとの複数の依頼があり、煩わしい。前回、拝金主義の出版社の論文審査は引き受けていない研究者の話を紹介したが、私はコンサルからの依頼は受けない主義だ。もっともらしい理由でコンタクトしてくる人は多いが、バカ高い料金で受託している彼らに、貴重な時間を提供して自分の経験や知識を提供する義理はない。

 

70歳の初回も愚痴になってしまった。

英国研究者の憂鬱

英国でこれまでになかった規模で高学歴の人たちのストライキが起こっていることがNature誌で報じられていた。「“An attack on the future of science”: why UK researchers are striking」というタイトルの記事で、英国の研究者たちが、給料と研究環境改善を求めてストライキをしている様子が紹介されていた。

 

研究者組合が13.6%の報酬のアップを求めていたのに対して、大学などの研究機関が研究者の給料の3%アップを提示していた。しかし、物価が年間10%以上も上昇している現状では、3%アップでは、実質的には給料の大幅ダウンに等しい。しかも、年金支給額のカットや不安定な雇用が多い状況など、どこかの国と似たような話だ。

 

一部の大学幹部が50万ポンド(約8260万円)の報酬を得ているのに、大学院生や職員はフードバンクで食料を調達していて、その日の食事もままならないという!キングスカレッジは過去2年間で25%も学生数を増やしたのにもかかわらず、職員数は3.9%しか増えていないそうだ。当然ながら一人当たりの職員に対する学生数は約1.2倍に増加する。一人当たりの学生に割く時間が変わらなければ、研究に割く時間は減ってくるのは誰でもわかるはずだ。あるいは、研究に割く時間を変えないようにすれば、学生一人に割く時間は減り、教育が疎かになる。

 

そして、ある研究者は、商業主義の企業の発行する雑誌に投稿された論文の審査はしないと語っていた。論文の審査に数時間かけても無報酬だ。よく考えれば、出版社は、無償の審査料と研究者が支払うバカ高い出版費用で収入を上げているのだから、この研究者の意見はもっともだと思う。私も、Journal of Human Genetics(日本人類遺伝学会)とCancer Science(日本癌学会)の編集委員長を合計で20年近く務めて、結構な時間を使ってきたが、学会の公式雑誌ということもあり、無報酬でやっていた。大学や研究機関の公式な労働時間としては認められないので、土曜・日曜もなく、毎月150時間以上の時間外労働でこなすしかない。ワーク・ライフバランスなどという、今日の甘くうらやましい、しかし、われわれの世代にとっては腹立たしくもある概念なども思いつかず、犠牲的な精神と肉体的・知的奉仕で乗り切ってきた。

 

資源のない日本という国で成長を支える原動力は人間しかないのだと信じて、大学を卒業して45年間生きてきた。今も、医療現場は、多くの医師・看護師・技師・薬剤師などの犠牲的精神で成り立っている。一部のチャラチャラした拝金主義の医師がテレビのコマーシャルに出てくるとムカッとして、すぐにチャンネルを変えてしまう。そして、研究現場は、英国の状況と変わらないが、日本人は温厚でストライキなどしない。しかし、毎年、交付金が減らされ、定員が削減され、大学や研究機関は四苦八苦だ。

 

イノベーションが大切と言いながら、研究機関や医療機関を真綿で締め続ける間抜けな政府は、救いようがない漫画の世界だ。イノベーションの根源がどこにあるのか、全く理解していない。現場を知らない人たちが鉛筆をなめながら予算を決めていくから、日本はダメになるのだ。利権の甘い汁を吸うと甘さが忘れられずに、それらを守ろうとする人たちの害毒が日本を腐食させている。今も連日報道されているオリンピックの後味の悪さは、まさにその象徴だ。

 

医療現場で、必死で患者さんに向き合っている人たち、治せない病気を治したいと頑張っている人たちが報われる社会であってほしいと願うばかりだ。今の日本には水戸黄門はいないのか?



 

最も高額な(1回3.5百万ドル=約5億円)治療薬Hemgenix;第9因子欠損型血友病治療薬

11月22日に、血液凝固に関わる第9因子の欠損で起こる血友病に対する遺伝子治療薬Hemgenixが米国FDAによって承認された。血友病は薬害エイズの際に注目されたが、血液を凝固する因子の遺伝子異常によって起こる病気で、第8因子欠損型が最も多い。これまでは血液製剤から凝固因子を精製して治療したものが、第9因子を作る遺伝子治療に置き換えられたものだ。しかし、この治療薬は1回3.5百万ドル=1ドル135円で換算すると4.7億円となる。目が点になるどころか、目玉が飛び出しそうな金額だ。

対象となる患者さんが少ない場合には、研究開発費を回収するためにこんな価格になってしまう。治らない病気を治すことは重要なことだし、血液製剤を利用する場合のエイズのような感染症リスクを減らすことにも役立つ。医学研究の観点では重要なことだが、誰がどのようにこの金額を支払うのか?疑問は残る。

前にも触れたことがあるが、第9因子欠損症には、救急医をしていたころに、苦い思い出がある。胸を刺された患者さんが搬送され、到着時に「私には血友病がある」と一言言った後、意識がなくなったというか、心臓が止まった。心肺停止で運ばれるケースはあったが、こんなケースは初めてだった。搬送直後の頻脈が、徐脈になり、心電図が平坦になった(心停止が起こった)。大量の出血で心臓へ血液が供給されなくなると徐脈となり、一気に心停止が起こるのだ(もちろん初めての経験だった)。わずか1-2分での急変だった。

輸血するルートを複数確保して、血液バックを手で押して血液を送りこむのと同時に、外来で開胸手術だ。もちろん、第8凝固因子を薬剤部に依頼して注射する。単に血友病としか告げなかったので、第8因子と思い込んだし、確認する手立ても、時間もなかった。とにかく、直ちに肺の出血部位を縫合して、止血するしか助ける方法はない。血友病+刺傷の組み合わせなど、まずは、遭遇しないだろう。

看護師さんたちも冷静さを失い、若手看護師は患者さんを覆う清潔な布を素手で取り出し(緊急時とはいえ、素手で触れるのはNGだ)、私に渡そうとしたので、私から「アホか、誰かに代わってもらえ!」と罵声を浴びる(今ならパワハラでアウトかもしれないが、目の前で心臓が止まったので、優しく言っている余裕などなかった)。その後、創傷部からの出血が止まり、手術は無事に終わった。

ただし、翌朝に看護師長から、「中村先生、もっと優しく声をかけてくださいね、若い人には。」とおしかりを受けた。しかし、当時血気盛んだった25歳の私は(今でも血気盛んと思われているかもしれないが、当時は今の100倍くらい血気盛んだった)、「まさに人の生死がかかっている時には、新米ではなく、ベテランを外来によこしてください(こんな丁寧な標準語ではなく、過激な大阪弁で)」と反論した。師長さん、看護師さん、生意気で失礼だったと反省しています。でも、同じ場面に遭遇すれば、やっぱり、「ボケッとするな!」と発すると思う。本気で医療に従事している人には、その気持ちはわかってもらえると信じている。

そして、最大の山場は、患者さんが意識を取り戻した後だ。「・・・・さん、わかりますか?血友病はA型ですよね。」との私の問いに、「第9因子です」との答え。全身から汗が吹き出し、すぐに薬剤部に第9因子を依頼する。主治医にも問い合わせたが、第9因子で間違いなかった。手術が終わる頃には血液が凝固していたし、術創からの出血もなかったので、安心していたが、まさに、危機一髪だった。謎解きは簡単だ。血液がすべて置き換わるくらいに輸血していたので、そこから十分に第9因子が供給されていたのだった。あと5分でも搬送が遅れていれば、輸血が十分に確保されていない病院に運ばれていれば、対応できなかったと思っている。

第9因子が話題に上るたびに、この患者さんを思い出すと共に、救急医療は難しいと思う。救急医療に携わっている医療従事者には頑張ってもらいたいと心から願っている。






 

ドーハの奇跡+高齢化社会の医療の変換点

サッカーで日本がスペインに勝った。ボール支配率14%の勝利だ。2点目のゴールのきわどさも含め、ドーハの奇跡だ。もちろん私は夜中にサッカーを見るような体力は残っていないし、今日は内閣府「AIホスピタル」プロジェクトの評価委員会だったので、居眠りなどしていたら大変だ。会議でいつも居眠りしている人はうらやましくも、腹立たしくもある。それにしても、SNSにおける手のひら返しは驚きだ。勝てば官軍、負ければ賊軍と言われてきたが、負ければ人格否定が半端ない。日本人として悲しくもある。

 

しかし、明るい話題もある。今日はAIホスピタルプロジェクトに参加している5医療機関の発表があったが、4年半前にプロジェクトが始まった時には想像もできなかったような進歩があった。病院全体のAI化・デジタル化を目指したが、組織の指導部の意思決定が重要だと再認識した。

 

話言葉のテキスト化は医療現場での負担軽減につながる重要なテーマだが、プロジェクト開始の頃には前途多難であった。「必要だけれど、そのプロセスで自分たちは苦労したくはない」「出来上がった時に使えばいい」という消極姿勢ではなく、自らが医療変革を起こすという強い意志が大きな岩を動かしつつある。

 

医療の変革がなければ、超高齢社会の日本の未来はないが、今日の5医療機関の発表を聞いていて、日本の未来がそこにあると感じた(17日土曜日の午後に、日本医師会館でシンポジウムがあるので是非、聞いてほしい)。このプロジェクトは来年3月で終わるが、何とか皆さんには引き続き頑張って欲しいと願っている。このプロジェクトを何十年後かに振り返った時、日本の大きな変革につながったと評価していただけると確信している。

 

もっと書きたいことはあるが、さすがに東京への日帰り出張はきつい。続きは、後日に。

 

 




 

内閣府 AIホスピタルプロジェクト、あと4ヶ月;心のケアができる医療を!

内閣府の「AIホスピタル」プロジェクトは、あと4ヶ月で終了する。いくつかの目標をもって取り組んできたが、最大の目標は「心温まる医療」を取り戻すことだ。今週の月曜日の全体を取りまとめる会議で、5つの医療機関の代表から発表があった。プロジェクト発足時と比較すれば多くの役に立つ成果が生まれつつあると参加者の皆さんが感じたはずだ。

 

特に、国立成育医療研究センターの梅澤所長からの発表には、コロナ感染症流行下で苦労されている姿が目に浮かんだ。病気の子供さんたちが、両親を含む家族に面会できない面会制限の状況を思い浮かべると切ないものがある。成人でも、病気で一人でいると不安になるが、子供さんたちが両親とスキンシップもままならないのは大きなストレスに違いない。病院にほぼ等身大のスクリーンを設置して、家族と画面越しに話しできるようにしたことは、子供さんたちだけでなく、家族のメンタルヘルスにつながっているようだ。全国の子供病院に同じようなシステムを導入すれば、どれだけ子供や家族の心が救われるのかと思う。政治が悪いのか、官僚が悪いのか知らないが、無駄に税金を垂れ流しする前に、医療現場を思い浮かべて欲しいものだ。

 

そして、子供さんを癒すために、AIロボットも導入されている。進行がんの子供さんがAIロボットと戯れて癒されていると説明された時に、梅澤先生の言葉が少し詰まった(ように思った)。残された時間が限られている患者さんが、家族と過ごすことができずにロボットと過ごしている姿が思い浮かんだ私も胸にこみ上げるものがあった。(こんな時、会議の座長として毅然とした素振りをしなければならないのは少々辛いものがある)

 

さらに、医療的ケア児の健康状態の把握や家族の肉体的・精神的ケアも大切だ。世田谷区と連携して取り組みを行っているそうだが、このような行政的なサポートが重要だ。この5年間弱、この国の医療現場での課題とそれらの解決に取り組む姿を聞かせていただき非常に勉強になった。皆さんの姿に頭が下がる思いでいっぱいだ。医療現場で抱えている課題にひとつひとつ取り組むのではなく、病院全体のAI化・デジタル化に取る組むことが、全体の意識の高まりにつながることも学ばせてもらった。

 

と同時に、残念ながら、この国には医療の将来に対する大きなビジョンがないことを再認識した。役所は自分たちの面子や利権に固執し、目の前の予算を取ることに汲々としている。上記の成育医療研究センターの取り組みが全国に普及すれば、どれだけの子供や家族が利益を受けるのか想像に難くないが、そこに思いが及ばない永田町や霞が関に絶望を覚えてしまう。

 

イーロン・マスク:長時間の激務か、退職か?

ツイッターを買収したイーロン・マスク氏が「長時間の激務か、退職」を迫ったことで議論が沸騰している。何事かを成し遂げるなら必死でやりとげる覚悟が必要だと思うので、よくぞ言ってくれたと思っている。特に、地盤低下の著しい日本には必要だと考えている。

 

私は大阪大学付属病院時代に思うことがあり、大阪府立病院(現・大作府立急性期。総合医療センター)の救急医療専門診療科に身を投じた。1年の半分以上を当直し、自分を鍛えた。激務で辛かったが充実していた。目の前の患者さんを救うために文献を読み漁ったし、夜も寝ずに必死で働いた。おそらく、この1年間が人生で最も勉強をした時期だと思う。

 

府立病院での1年間を経て、怖いものなど何もないという気分になるくらいに、自分の成長を感じた。心臓に刃物が刺さったまま来た患者(助かった)、血友病で到着築後に心停止になった患者(この患者も助かった)、10人の腹部刺傷の患者(全員救命できた)、おなかの両端から棒がつきだしていた患者(開腹時に腹部大動脈から出血―無影灯が真っ赤に染まったー無事回復)と修羅場をくぐったお陰だ。目の前の患者さんを救いたい気持ちだけで日々暮らしていた。

 

医師という職業は現場の経験がものを言う職業だし、緊張感が人間を鍛えるのだと思う。チャラい研修医ドラマを見ていると腹立たしくもある。腫れ物に触るような研修医を育て方で、まともな医師が生まれるとも思えない。米国の若手医師も自分を鍛えるために私生活を犠牲にしている。それは人の命を預かる職業に携わる人間としての倫理観だと思う。患者・家族の必死の思いを受け止めてこその医師だと想う。しかし、最近は時間を切り売りしているサラリーマン医師が多い。緒方洪庵のように、人生のすべてを患者のためにと言っても時代遅れなのだろうが、やはり医療の原点は他者を思いやる気持ちだ。

 

そして、カタールのサッカーワールドカップでは、文化の違いに注目が集まっている。ビールは会場内で販売されなくなった。私がカタール財団に招かれて訪問した際にも、夕食には水だけ、ホテルの部屋で飲んだコーラ代は払ってくれたが、ビール代は請求されたことをこのブログでも書いた。欧米の言うところの多様性を認めるなら、国の文化の多様性も受け入れるべきではないかと思う。欧米の価値観がすべての国の適用されるべきだと言うのは、欧米の思い上がりだとしか思えない。と言いつつ、大阪の喫茶店やレストランの喫煙可は何とかして欲しいといつもボヤいている。