古希を迎えた憂鬱

とうとう古希を迎えてしまった。古来は希であったので古希と呼ばれるそうだが、平均寿命80歳を超える今、70歳など稀でもない。もともと数え年(若い人にはこの数え年がすでに理解不能な言葉だが)だったので、正確には昨年古希を迎えたことになるのだが、今はそんな数え方をしないので、とりあえず、今日、満70歳となり、古希を迎えた。12月8日生まれなので、生まれた時から欧米に対抗する気持ちが強いと言っても、それが1941年の真珠湾攻撃の日だとわかる人も少なくなった。今朝、メールボックスには、シカゴ時代の部下2人からの誕生祝のメッセージが届いていた。なんだか、心が温まる。

 

幸いにも元気に過ごしており、今でも水泳は1000メートルは軽く泳げるし、ボーリングも160-170点は普通に記録できる。ゴルフはベストスコアの79は遠い夢となったが100少しでラウンドできる。卓球もバドミントンもそこそこできる。

 

しかし、1-2年先の講演会を依頼されると考え込んでしまう。特に私より若い渡辺徹さんがあっという間に敗血症で亡くなったこともあり、自分の明日には自信がない。内閣府の嫌がらせで血糖は高値安定している状況だし、渡辺さんとは30歳代から糖尿病という点も同じなので、1年以上先の講演会を依頼されても、無事に生活している保証もないし、迷惑はかけられないので、躊躇してしまう。何かあって講演できなかったことを想像すると憂鬱でもある。ただし、最近受けた健康診断の骨密度測定では、私の年齢平均の約2倍もあり、20歳代の平均よりも高かった。肺活量も依然として4000㏄近い。筋力は確実に衰えているが、骨は意外に衰えないものなのか?

 

しかし、この歳になっても、講演会に声がかかるのはありがたいことだと思う。ゲノム・がん・AIなど幅広く取り組んできたのでいろいろな話題を話しすることができるし、ヒトゲノム研究の歴史などを生身の体験として語ることができるのは、絶対に私しかいないという自負もある。ヒトゲノム計画が正式に始まる1990年までの歴史をその中央現場で見聞した日本人は私一人だ。講演をする際のスライドも専門家向けの英語版から、一般の方にも理解できるようなイラストタイプまで5パターンくらい用意している。とはいっても、私の追っかけでもしていない限り、この5パターンのすべてを目にすることもないので、この努力は外からはなかなか見えない。

 

そして、最近コンサルから話を聞かせて欲しいとの複数の依頼があり、煩わしい。前回、拝金主義の出版社の論文審査は引き受けていない研究者の話を紹介したが、私はコンサルからの依頼は受けない主義だ。もっともらしい理由でコンタクトしてくる人は多いが、バカ高い料金で受託している彼らに、貴重な時間を提供して自分の経験や知識を提供する義理はない。

 

70歳の初回も愚痴になってしまった。