コロナデータベースの危機

Nature誌の5月4日号のニュース解説欄に「GISAID in crisis: can the controversial COVID genome database survive?」という記事が出ている。私がコロナ感染症について語る時に利用していたGISAID(Global Initiative on Sharing Avian Influenza Data)というデータベースに関しての記事である。矛盾をはらんだコロナウイルスゲノム感染症データベースは生き残れるのか?と、刺激的なタイトルだ。

このGISAIDは2008年に設立された新型インフルエンザに関する情報を共有するための世界的な取り組みであり、今回のコロナ感染症に当たっては、全世界からコロナウイルスゲノムの情報を収集してオープンに?提供していた。この刺激的記事の元となる記事は4月28日号のScience誌に掲載された「Control Issues」タイトルの記事である。

このGISAIDには2023年5月6日現在、1550万件以上のコロナウイルスゲノムの情報が収集されており、データのオープンアクセスを謳い文句に生命科学分野のゲームチャンジャ―と評価されてきたが、サイエンス誌にはこの創設者の怪しげな実態が紹介され、資金の流れと運営の透明性に疑義が呈されている。

サイエンス誌の記事では、創設者のピーター・ボグナー(Peter Bogner)氏の経歴の怪しげさが浮き彫りになっており、運営の透明性のどこに問題があるのかという観点の客観性がぼやけている。GISAIDに対して批判的だった研究者のデータアクセスが制限されていたそうだが、内情は今ひとつよくわからない。サイエンス誌はボグナー氏の過去から、その人物像に疑義を呈していたが、かつて怪しげなことをしていたので、GISAIDが怪しいという論調はあまり科学的でないように感じた。GISAIDを批判するなら、研究者個人の感情的なコメントではなく、運営上の課題を客観的に示してほしい。

Nature誌は一歩引いた形で解説していたが、このような形の感染症ウイルスの情報を世界中から集めて公開する仕組みを構築した点では画期的だし、個人的には高く評価できるのではないかと思う。ロックフェラー財団は約7億円の資金をGISAIDに提供しており、その対応に注目が集まる。

米国NIH所長であったフランシス・コリンズ博士とGISAIDの間には、シークエンス情報提供者の権利を守る観点で摩擦があったようだ。この問題は国際ハップマッププロジェクトでも大きな議論となった。われわれを含む研究機関が生み出した遺伝子多型結果を即時提供したのだが、第3者がそれを情報解析して論文にまとめると研究機関には謝辞以外に何も残らなくなってしまう。参画機関は日々のデータを生み出すことに必死でそれを日々コンピューター解析していくような余裕はなかったのだ。私も文部科学省に対して説明ができなくなるので大変だった。データに対するオープンアクセスを確保しつつ、国際プロジェクトの参画機関の権利も保証するといっても口で言うほど容易ではない。当時は第3者の研究者倫理に期待する方法を取って問題はなかったが、コリンズ博士はウイルスゲノムシークエンスデータを提供する研究者たちの権利を守る方法を模索していた。

感染症対策として、ウイルスゲノムや細菌ゲノム情報の速やかな収集とオープンアクセスは極めて重要だ。コロナ感染症対策でゲノム情報の重要性がほぼ無視し続けた日本の専門家にとっては、ゲノム情報は「ブタに真珠」的だが、真珠の価値がわからないのは3年経っても変わらない。人工知能と同じで、新しい技術や仕組みには、国際的な活用ルールが必要だが、各国の思惑や利害が対立するために一筋縄では行かない。思惑でルール作りが遅れると、技術の進歩が先行して、抜き差しならない状況が生ずる。ChatGPTがまさに、それに相当する。グローバル化はいいが、日本という国が埋没しないような思考が政治家には不可欠だ。