花咲く日が遠い遠い日本-47;皇国の興廃この一戦にあり

体操の内村航平選手がオリンピック体操・鉄棒の出場権を獲得した。少々微妙な最後だったので、本人も完全に納得できた出場権獲得ではないと語っていたが、これまでのリジェンドとしての実績や体操界・日本のアスリートの精神的支柱として頑張って欲しいと願っている。池江璃花子選手も頑張っている。われわれは、少なくとも私は、感染を抑え込む対策が実行可能であれば、オリンピックという場で内村選手や池江選手の姿を見たいと願っている。 

しかし、コロナ感染の現状を客観的に眺めれば、6月20日に緊急事態宣言が終わっても、オリンピックの開催によって再拡大するリスクを憂慮せざるを得ない。インド株の拡大は、これまで感染を抑え込んでいた国でも脅威となっている。当然ながら、「安全安心」をお経のように繰り返すだけで、具体策も見えない、失敗しても責任を取る気配もない国や都のトップに対して不安がいっぱいなのだ。

「勝負の3週間」「短期間の集中的な対策」との言葉が見事なまでに空振りしても、誰も全く責任を取ろうとしない。そして、総理の横に立って政府の施策を説明していた人物が、今頃になって、見事なまでに反旗を翻したドタバタ感満載の政治状況である。「辞職」につながった不祥事を繰り返しても説明責任も果たさない政治家たち、国民の自粛に依存したコロナ対策の失敗やPCR検査をしなかった事実に頬かむり専門家たちなど、立派な大人たちが責任を取ることもなく、自粛しない若者を非難していて済むことではない。

どうしてもオリンピックを開催するなら、国のトップが「安全安心が実現できなかった時に責任を取る」覚悟を示すことが必要でないのか?覚悟が見えない人に(あるのかもしれないが、表情や言葉からは全く伝わってこない)、どうして、国の命運を託すことができるのだろうか?

もちろん、オリンピックの開催には、これから1か月、国を挙げてワクチン接種を死に物狂いで進めていく体制の確立が超急務だ。打ち手が不足しているというなら、医師免許を持っている研究者を現場に引っ張り出せばいい。法的に何の問題もないはずだ。コロナウイルスという敵と戦争をしている時に、研究など後回しでもいい。コロナに敗れれば、国の信用がなくなれば、日本の未来はない。「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」だ。

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