花咲く日が遠い遠い日本-43;母の命日22年目+壊れつつある日本社会

WHOが国名がつくと悪いイメージを与えるので、変異株の名称を、地名と関係のないものに変えたそうだ。イギリス株はCovid-alpha(α)、南アフリカ株はCovid-beta (β)、ブラジル株はCovid-gamma(γ)、インド株はCovid-delta(δ)と決めたと報道されていた。アルファを中国株から始めるべきだと思うのだが、これも国際政治の一環か? 

そして、オリンピック・パラリンピックは毎日PCR検査をして安全・安心な環境を確保すると言う。もともと「検査と隔離」が国際的な標準であったが、それを無視して日本モデルを頑なまでに継続してきた日本だが、まずは、これまでの対策が間違っていたことを認めるのが筋ではないのか?検査をして感染者を見つけるのが安全・安心につながると言うなら、なぜ、それを自国民に対して、してこなかったのだ。

鳥インフルエンザなどでは、感染した鶏が確認された時点で、養鶏場の鶏がすべて殺処分を受ける。感染拡大を抑えるために、それが必要だからだ。今回の新型コロナウイルス感染症は、無症状感染者がいて、その人たちが持続的に感染を広げていたのは周知の事実だ。この部分に手を打たず、自粛に依存したのが間違いではなかったのか?

「病床が逼迫して医療崩壊が起こる」「PCR検査は偽陰性がある」などの非科学的な理由で、PCR検査を抑え込んできた。ウイルス量が少ない陰性であれば、感染を拡大を広げるリスクは少ないであろうし、多くなれば偽陰性率は低くなる。これまで否定してきた「WHOの検査・検査・検査」の方針を、オリンピックに対しては肯定するのか?何の納得できる説明もせずに、緊急事態宣言を延長・再延長し、オリンピックも「安全・安心」を繰り返すだけ。これを政治と呼ぶなら、日本は無法地帯に等しい。

 

もう、コロナの話は精神的に悪いので、母の命日の話をしよう。

母は1998年に進行大腸がんと診断され、翌年6月1日に旅立っていった。今であれば、もう少し治療の選択があったと思うが、それも運命だ。以前にも触れたが、がん患者とその息子という立場、母子の会話を通して、20世紀の私と21世紀の私は、研究に対する姿勢や人生観において別人格といっていいほど変わってしまったと思う(他人はどう思っているか知るすべはないが)。 

40代までの私の人生にとって目標であったもの、価値のあったものが、虚しいものとして映るようになってしまった。母の死を通して、緒方洪庵ではないが、「医療・医学は自分のためのものではなく、患者さんのためにあるべきだ」と、確固たる信念になってしまった。

パーフォーマンスとして口先だけで「患者のため」と言っている人たちにとっては、私の頑迷さは迷惑かもしれない。会合などでも、なれ合い主義の参加者にとっては、私の頑なさは鬱陶しいだろう。頑固老人の戯言と考えている人も多いと思う。しかし、今の日本のように精神的支柱もなく、信念もない社会においては、曲げてはならないこと、たとえば、「最後まで患者さんの心に寄り添う医療であること」を嫌われても言い続けるのが、私の使命・天命ではないかと思っている。

母の死後、6月1日は、1年を振り返り、自分のあるべき道を問い直す日でもある。歳月を経るたびに、私の信念と現実との乖離が大きくなるような気がする。母の命日をブログで綴るのも今回が最後となるが、コロナ感染症流行が、医療のあるべき姿を見つめなおす機会になって欲しいと願いたい。

f:id:ynakamurachicago:20210601213742j:plain

f:id:ynakamurachicago:20210601213820j:plain

f:id:ynakamurachicago:20210601213912j:plain

f:id:ynakamurachicago:20210601214003j:plain