ChicagoMed

いつも悲観的観測をしている私でさえ、東京の2400人超、全国の約7500人には驚いた。1週間前の大晦日と比較して、1.5倍を大きく上回る。1週間後の数字を考えると恐ろしい。こんな限定的な緊急事態宣言で収まるような気がしない。日本国内で変異したウイルスが広がっている可能性はないのか?

 

でも、今日はコロナの話題は避けよう。

 

私は年末年始は珍しく日本の暦通りに休んだ。3が日に勤務しなかった自分がを信じがたい。何を隠そう、医師免許を取ってから初めての経験である。しかし、趣味なし人間の私には、何もしない休日の過ごし方がわからない。テレビ番組を眺めても、芸人が自分の仲間と楽しんでいるだけの番組が多く、元旦に放送された「相棒」しか見る気になれなかった。預かっていた2編の論文を校正する合間に(仕事をしなかったことにはならないのだが)、ネットで「Chicago Med」というドラマを見て、これに、はまってしまった。

 

時おり流れるシカゴの街の風景が懐かしかったし、医者をしていたころ、特に救急医をしていたころを思い出しては感傷的になって見ていた。終末期医療を望んでいない進行がん患者が急変した際に、研修医が蘇生処置をした場面があった。複数の化学療法を受けて苦しみ、それ以上の治療を望まない患者とそれに同意している夫の意思を無視して、「進行中の臨床試験があるので、それを受けるべきだ」と処置をしたのだ。患者の夫は激怒し、可能性はあるからそれに賭けるべきだと主張する医師と対立した。訴えられて当然だとは思う。しかし、今の私なら黙って看取るだろうが、この研修医の気持ちがよく理解できる。

 

あまりにも標準化、プロトコール化されたがん医療は、多くの医師から、患者と共に戦おうという熱意を奪い去ってしまった。決められたとおりにしていれば、軋轢も起こらないし、責任も問われない。患者を救いたい、わずかでも可能性に賭けたいという情熱があっても、それは周りとの摩擦を生み、うまくいかないときには患者や家族の非難に晒される。均てん化、標準化と言葉は美しいが、暖かい思いやりが消えていく。昭和世代の私がついていけない世界が広がりつつある。

 

そして、ドラマではこの患者は新薬の治験を受けることになったのだ。そして、何と、この研修医は先輩医師や企業のMRを利用して、患者が臨床試験で偽薬を受けていることを知り、それを患者に伝えようとする。もちろん、それは周りに引き留められる。訴訟の最中に、患者は息を引き取った。研修医は彼女の葬儀に向かい、その様子を遠くから眺める。それを見つけた夫が研修医に歩み寄る。一触即発と思ったが、患者の夫は研修医に手を差しだし、優しい眼差しで握手を求めて、静かに立ち去る。患者を救いたいと想う研修医の気持ちが夫に伝わったのだ。その瞬間に目が潤んできた。殺伐な場面が多いドラマだが、心が温まった元旦だった。