ゲノム医療入門―5:リキッドバイオプシー

内閣府の「AIホスピタルによる高度診断・治療システム」プロジェクトの中で、リキッドバイオプシーの実装化に取り組んでもらっている。日本は、海外で実用化された技術に周回遅れで取り組んでも、それが世界の最先端と大ぼらを吹ける人たちが国をリードしている。こんな姿勢で、世界に先んじたことができるはずがない。

数年前のがんゲノム医療懇談会の報告書は()の段階では、リキッドバイオプシーの「リ」の欠片さえなかったことは以前にも紹介した。ゲノム領域の技術の進歩を理解しないで、5年先・10年先の医療を語ることはできないが、この不思議の国アリスでは、ストライクとコールされてからバットを振っても、何ら責任を問われることはないようだ。プロ野球なら、直ちに2軍行きを命じられるようなことを平気でしているのだ。

リキッドバイオプシーが、がん医療のあり方を変えると再三紹介してきた。ようやく、認知度が高まってきたものの、技術的な課題を理解しない人たちが見よう見まねで取り組むと、混乱は必至である。血液(血漿)中のDNA量には限りがあり、7ccの血液から取り出すことのできるDNA量は3000細胞(6000ゲノム)分程度である。もちろんもっと多いこともある。しかし、このような場合、血液内の白血球は壊れて、それらのDNA成分が混じっているケースが多い。そして、異常DNAの検出感度は悪くなってしまう。特に、血清(血清は血液の血球部分が凝固=塊となったあとの液体成分で、血漿は血液が凝固しないようにして、遠心機で分離した上澄み部分である)を利用する場合では、血液が凝固する過程で一部の白血球が壊れ、混入することが知られている。

そして、無知とは恐ろしいもので、自分の技術では、1億ゲノムに1分子の異常DNAかあっても、それを検出可能だと嘯いている研究者がいる。ハッキリ言って実臨床もゲノムも理解できていないレベルだ。体中の血液を全部取ってきても、1億ゲノム分のDNAを得ることはできない。しかし、研究費の審査現場では、専門家でない、基礎的知識に欠けた評価委員が「素晴らしい!」と称賛するのが我が国の実情だ。

そして、血漿中のDNAの長さは150-160塩基対と短い。これは、少し専門的だが、おそらくヌクレオソームというDNAがヒストンなどのタンパク質に折りたたまれた状態で切断されるためと考えられている。したがって、がんの遺伝子パネル検査のシステムを利用しても解析はうまくいかないのだが、そんな理屈などお構いなしの人たちがたくさんいる。嘆かわしいことだ。

そして、次世代シークエンサー(いつまでこの次世代という言葉が使われるのかわからないが)は一定の割合で解析エラーが起こるため、解析の最初の段階で1分子ごとに分子目印をつける必要がある。もし、このステップがなければ、出てくるデータはゴミと化す。正常細胞由来のDNAに比して、がん細胞由来のDNAの割合は0.1%レベルから数%レベルである。シークエンスの間違いはこの頻度より高いため、ひとつひとつの分子を区別することは絶対的に不可欠だ。

基礎的な知識を身に着けずに、リキッドバイオプシーに取り組むのは、マニュアルを読まずに、解剖学的な知識もなく、ロボット手術に取り組むようなものである。ロボット手術は命に関わるので無謀なことはしないと信じているが、リキッドバイオプシーを診断に応用する段階になれば、命に関わる事態となる。研究をして論文を書くことだけが目標であればで、「お好きにどうぞ」で済むかもしれないが、臨床応用を考えれば細心の注意が必要である。注意すべきことはこれ以外にもたくさんある。 

ゲノム研究とゲノム医療では、技術的に求められるレベルが数段異なってくる。基礎研究は重要であるとの声は正しいが、臨床応用に向けたハードルを乗り越えていくことは人の命に関わるものだ。薄っぺらい言葉で「基礎から臨床へ」と叫ぶのではなく、本気で、真摯に臨床応用を目指すことが重要だ。