読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

高齢進行がん患者、姥捨て山論への伏線か?

時差ボケがひどい。今朝は午前3時に目が覚めた。昼過ぎには目を開けていられず、思わず、眠りに落ちたが、自分のいびきで目が覚めた。短い出張の中、動きすぎたためか、体は鉛のように重くなっている。そんな中、家に帰ってネットニュースを読み、頭に血が上り、覚醒した。

 

今日の産経新聞に「政府と国立がん研究センターが、高齢のがん患者に対する抗がん剤治療について『延命効果が少ない可能性がある』とする調査結果をまとめたことが26日、分かった」「政府は調査結果を基に、年齢や症状ごとに適切な治療を行うための診療プログラムの作成を図る方針。抗がん剤治療の副作用で苦しむ患者のQOL改善に役立てる考えだ」との報道があった。要するに、高齢進行がん患者は何もしない方がいいと言っているようなものだ。私も高齢者に属することが目の前に迫っているので、この記事には違和感を覚えた。高齢者に対するがん治療は大きな課題の一つだと、私も言い続けているが、この記事はどう考えても、高齢進行がん患者への医療費削減の意図が露骨だ。主語の「政府と国立がん研究センター」の「政府」の部分に引っ掛かりを感ずるのは考えすぎだろうか?

 

年齢を重ねるほど、物理的な年齢の差は大きくなる。同窓会に参加しても、驚くほど若く見える人もいれば、こんなに老け込んでいるのかと自分の老いを認識させられるような人もいる。もっと科学的に肉体年齢を評価しないと、70歳という年齢で線を引くのは、あまりにも時代遅れだ。国立がん研究センターには、日本を代表する医療機関として、もう少し、患者さんや家族に寄り添った研究ができないものか、いつもながら残念でならない。70歳を超えた自分の親が、進行がんと診断された時に、何もしないで過ごせるのだろうか?がん研究センターに勤務している人たちは、自分の親に「何も治療しない方が望ましい」と平気で言えるのだろうか? 希望を提供することなく、医療費の削減政策に加担するのか?

 

希望のない中で暮らすと、食欲もなく、味も感ぜず、心から笑うこともできない。治療効果を、いつまでも、時間という長さだけで測っているのがおかしいと気づいてほしいものだ。生きることを長さだけで評価する方法でいいのか、この機会にしっかりと考えて欲しいと思う。効かない抗がん剤治療を受けて、副作用で苦しむ親の姿など見たくはない。かといって、親に「座して死を待て」など言えるはずもない。なぜ、科学的な手法で、効果を予測して、副作用を回避する方策を優先的に考えないのだろうか?十把一絡げの議論は時代遅れだ。個人個人にあった医療を提供するのが、国を代表する研究機関としての国立がん研究センターの使命だと思う。

 

ましてや、厚生労働省では、ゲノム医療の懇談会が発足し、遺伝子情報などを取り入れた、個別化がん医療の在り方が検討されている。その一方で、単に戸籍上の年齢だけで線を引き、医療費を削減すべく、伏線が引かれていることは大きな矛盾だ。それとも、70歳以上の進行がん患者には、抗がん剤を利用せず、免疫チェックポイント抗体を優先的に利用させようという意図があるのだろうか。それならば、このような記事を流すことと並行して、「政府」は高額な抗体医薬の利用の是非について検証する、と希望につながる言葉を付け加えればいい。

 

高齢者が増えれば、患者数は増え、必然的に医療費は増える。これまでの無策のしわ寄せを高齢者に押し付け、姥捨て山論のような議論が出てくるのは、先進国として悲しいものがある。自分を犠牲にして、日本の戦後の復興に貢献してきた人たちにもっと敬意を払う国であってほしいと願わずにいられない。

f:id:ynakamurachicago:20170427112858j:plain