読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

科学の信頼を揺るがす論文出版ビジネスの巨大化

医療(一般)

シカゴは依然として暖かい。昨日も過去の最高気温記録(11)8度も上回る19度であった。2月に入って、数時間だけ雪がちらついたが、本格的な雪景色にはならず、今後1週間も雪の予報はないので、2月に積雪なしという珍しい光景だ。

そして、昨日の内科講演会はJAMA (Journal of the American Medical Association)編集委員長Howard Bauchner博士によるものだった。どのような対象の論文をどのような基準で選択しているのかを含め、医学雑誌の編集方針などについて紹介があった。かなり退屈な講演だったが、二つだけ、私の記憶に残ったコメントを紹介したい。

まずは、ネガティブデータの取り扱いである。ネガティブデータも掲載するべきだという声が編集部に寄せられているが、この取り扱いは難しいと言っていた。私の専門とする範囲で、ネガティブな結果とはどのようなものかを紹介する。たとえば、ある遺伝子の中にAというタイプとCとタイプのちがいが見つかり、Aのタイプの人が乳がんの薬が効きにくいという結果が報告されたとする。

研究者の中には、同じ結果が得られても、反対の結果が得られても、論文が書けると考えて、自分が同じような試料(たとえば、患者さんのDNA)を持っているとすぐに飛びつく人たちがいる。報告された結果と異なる、すなわち、「遺伝子の違い(A、または、C)と薬の効果に差がない」という関連を否定する結果が得られれば、鬼の首を取ったかのように勇んで報告するケースが少なくない。

もちろん、最初の結果が間違いであることも少なくない。しかし、一般的に言って、関連がないこと、すなわち、ネガティブであることを証明するのは難しい。特に、遺伝暗号のちがいには人種間差が大きいので、集めた試料の集団(病気の人と健康な人;薬が効いた人と効かなかった人)に少しでも偏りがあると、間違った結果につながってくる。

また、試料の数が少なければ、そもそも解析すること自体が意味を成さない。日本には、これが多い。たとえば、臨床試験をする場合には、一定の差があると仮定(期待)し、それを証明するためには、どの程度の数の患者さんを調べれば、意味のある結果が得られるのかといったシミレーションが必須だが、それも軽視されがちだ。数が少なければ、ネガティブ(関連がない)と判定することに学問的意味がないのだが、とにかく有意差があるかどうかを検定して、検定基準を満たさなければ、関連がないと大声で叫ぶ人がいる。これは単に自分の無知をさらけ出しているだけだ。

また、研究対象が自分の目的に適っていなければ、そもそも調べる意味がないのだが、そのようなことを全く考えない研究者も少なくない。ネガティブなデータと称するデータの多くが、目的に適った研究デザインになっていないので、それを雑誌で取り上げるのかどうかは非常に頭の痛い問題なのだ。私も多くの論文の審査に携わっているので、彼の問題意識はよくわかる。

そして、二つ目は、論文出版業界の乱立である。私のところには、「この雑誌に投稿してください」というメールが、毎日20通近く送られてくる。「この雑誌の編集委員になってください」というメールも毎日2-3通ある。米国のNIHなどの公的機関の支援で行われた研究は速やかにデータ共有する義務が課せられている。それに伴い、オンラインで自由閲覧(オープン化)が世の流れである。世界的な研究人口の増加に伴って、既存の雑誌だけでは不十分になってきたことと、オンラインだと大掛かりな印刷設備や輸送経費を削減できるので、出版業界の形態が大きく変貌しつつある。

問題は、科学の世界の基盤であった、公平・公正な審査が保たれなくなってきたことにある。バイデン前副大統領が指摘したように、超一流雑誌の結果でも、必ずしも、その結果を全面的に信頼できるとは限らなくなってきている。論文を出したい研究者と、出版でお金儲けをしたい出版社の利害が一致すると、審査は甘くなり、研究者はどんな形でも論文を発表できることで安堵し、そして、出版社は儲ける。しかし、間違いなく、論文の質は低下してくる。演者によると「新しい雑誌では、投稿した論文の60-70%が採択されている」とのことだ。基準が甘いのではと心配になる。科学の進歩に貢献しない論文が増えてくることは決して望ましいことではない。

f:id:ynakamurachicago:20170224055306j:plain

f:id:ynakamurachicago:20170224055408j:plain