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ヒポクラテスの誓い

シカゴの秋は異常な気候が続いている。今日も、過去最高気温を更新し、26度まで上昇した。これまでの4年間なら、11月ともなれば、ズボン下を履かないと縮みあがるところだが、帰宅時にはコートを着ていなくとも、汗をかくような感じだった。しかし、気温が急激に下がらないためか、紅葉・黄葉が長期間美しい。このような美しい秋なら、ずっと過ごしていたいと思う。

 

今日は、中山七里氏の「ヒポクラテスの誓い」についてだ。9月に日本に帰った時に書店で見つけ、機内で読んだところに、WOWOWで放映されたので、それを観た。北川景子さんさんは本当に美しい人だと思うが、話題は薬剤の誤投与についてだ。

 

普通に利用していた抗生物質を、カルシウム製剤と併用して投与すると、血栓ができやすくなる。その副作用情報に気づかず投与を続けていた。後日、副作用情報を知ったが、引っ込みがつかなくなり、闇に葬り去ろうとしたが、血栓で亡くなった症例が解剖に回され、法医学の教授と北川景子さん演じる研修医が問題を暴いたというストーリーだ。小説とドラマのタイトルに「ヒポクラテスの誓い」とあるが、ヒポクラテスの遺した倫理規範の原型となる文章の中に「自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない」(ウイキペディアより)とある。

 

副作用情報を知った時点で、適切な対応を取れば、副作用死を防げたのに、それをしなかったのは、ヒポクラテスの誓いに反する。自分の保身に走った担当医と内科教授が追及を受け、担当医が自殺、最後に真実が暴かれた。副作用を知らずに投与を続けたことが、「誤投与」と糾弾されるのだが、現場の医療を考えると、かなり切実な問題だと思う。

 

確かに、医療に携わる人間は最大限の努力を重ねるべきだが、情報の氾濫する中で、すべての副作用情報をリアルタイムで入手し、それを自分の知識として保持しておくことは不可能と言っていい。では、副作用情報を知らずに利用し続け、後日に知った場合どうするのか?倫理的には、もちろん、すべての患者に連絡を取って、最善の対応をすべきだ。しかし、副作用情報を2-3か月知らなかったことで被害が出たことがメディアなどに流れた場合、ドラマで内科教授が言っていたように、医療ミスとして大騒ぎになるだろう。現場の対応が不可能な状況が生じているにも関わらず、きれいごとの世界で糾弾されれば、医療はますます疲弊してくるだろう。

 

医療の進歩が速すぎて、すべてに関して最新情報を維持していくことは、人間の能力を超えているのである。ヒポクラテスの言葉には「自身の能力と判断に従って」とある。教科書に掲載されている情報や多くの医師の常識となっている情報を有していないのは論外で、判断する資格さえないだろうが、ごく最近の情報を知らないことがどこまで非倫理的なのか、この小説を読み、ドラマを観て考えさせられた。

 

副作用は医師の責任ではない。しかし、副作用を知らないで薬剤を投与し、副作用で患者さんに害を及ぼすのは医師の責任だ。医師は、どれだけ速やかに、すべての副作用情報を把握しなければならないのか?現場の医師にとって、この小説やドラマのテーマは大きな課題だ。

 

最新の情報をもとに人工知能に投薬の是非を判断させれば、医療現場の負担はずっと軽くなるはずだ。医療現場が疲弊する前に、この小説のような課題を解決するために国レベルで対応すべきではないのか?

 

PS;航空券を予約しようとして、頭にくるような対応があった。20年近く、同じ航空会社を利用しているが、別の会社に変えようか考えるくらい腹が立った。マニュアル通りに対応しているのだろうが、このレベルなら、人工知能で簡単に置き換えられるだろう。

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