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失望した「Moonshot」最終案

雑事

先週の土曜日、大学のすぐ近くで発砲事件があったと連絡があった。被害者はお尻と両足を撃たれたようだが、事件の起こった時間が夕方の6時、その2時間前には、現場から50メートルくらいの所にいたので驚きだ。被害者がどうなったのかはわからない。週末ごとに十人前後が射殺されるような状況なので、特別な例でない限り、事件として報道されることもない。暗くなると外出しないのが、危険を避ける基本だが、午後6時となると、普段の帰宅時間より早いので、穏やかではない。最近は、午後6時にはすでに暗くなっているので、昨日も今日も、大学の循環バスで帰宅した。家のすぐ近くで殺人事件があり、その発砲音を聞いたことがあるが、これが日常となっている場所に住んでいることが不思議な気持ちだ。私の弟子の柔道3段は、見かけに関わらず、怖がりなので絶対にこの近辺には住めない。シカゴ市は射殺事件の急増を受けて、警察官を9000人増やすようだが、不安は募る。

 

昨日の腫瘍内科のセミナーでは、フェローがナイジェリアの医療事情を紹介した。医療関係者のストライキが多発しており、その大きな要因のひとつが医師の団体(組合?)と医師以外の医療関係者団体の対立だと説明していた。医師と看護師が仲良くできないことが、なぜストライキにつながるのか、今一つよくわからなかった。一緒に働きたくない医師、あるいは、看護師がいるからといって、ストライキに発展する理由になるのか?と突っ込もうと思ったが、どうもそんな雰囲気ではない気がして、シャイな私は黙ってしまった。

 

そして、バイデン大統領のオフィスから公表された「Moonshot」計画最終案に目を通した。正直なところ、かなりがっかりだった。詳細は述べないが、まるで日本のお役所仕事のような総花的な案で、米国癌学会が提案した科学的な内容と比べて、関連する役所に配慮したような政治的な内容であった。日本では、各省庁の各課・各部局レベルでまとめたもの(ホッチキスで止めたようなもの)が省庁案となり、複数の省庁が関連する場合、それを束ねたものが国家戦略となる。今回の案は、まさに、関連省庁に予算が偏らないように配慮して、すべてを盛り込んだような日本の役所仕事のコピーのような内容だった。

 

日本では「各省庁が連携して」という言葉がよく使われる。この「連携して」という言葉は、霞が関の世界では「各省庁の権益を冒さないように」という意味であり、対財務省向けの言葉である。トップダウンが必要な方策であっても、専門家がいない場合、各省庁に案を募るため、必然的に総花的なものになってしまう。また、日本医療開発研究機構(AMED)のような機関の場合、人材の多くが省庁から派遣されているので、きれいごとを言いながらも、結局は実家(派遣された省庁)の顔色を見ながら、その意向に沿って動くことになる。元の省庁に呼び戻された時の出世に関わるのだから、これも当然ともいえる。

 

米国の国立衛生研究所(National Institute of Health=感染症が死因の1位だった時に、健康=衛生対策からこのような訳になったのだろうが、いつも違和感がある)には研究費担当の専任の係官がいる。公平な判断をしないと責任を問われるので、彼らは実直な対応をする。AMEDが本当に国の将来にかかわる政策などに関わるなら、単なる出向先ではなく、専任の人材を育てない限り、「省庁の連携」という「権益確保のための」組織のままで、その使命を終えるかもしれない。

 

話を戻すと「Moonshot計画案」を読む限り、日本は十分に闘えると思う。ただし、本当にがんの専門家が権益を忘れて、国の存亡をかけて真剣に国家戦略を練ることができればだが?!

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