先を読めない指導者たち

先週の「Nature」誌に「Analysis of protein-coding genetic variation in 60,706 humans」というタイトルの論文が掲載された。6万人の遺伝子多型情報(エキソン解析結果)をまとめたものである。結果そのものには、驚くような内容が含まれているわけではないが、今後の医学研究に有用な基盤情報としてきわめて重要である。 

日本でも、クリニカル・シークエンスの重要性が叫ばれているが、30年以上も遺伝子多型に関わり、遺伝子多型のデータベース化プロジェクトである国際ハップマッププロジェクトにも貢献した立場で語ると、日本の医学研究者はあまりにも遺伝子多型に関して知識が欠けていると思う。

 人間のゲノムには膨大な遺伝子多型が存在する。これまでにデータベース化した情報と比較しても、一人の人間のゲノム配列を新たに決定すると多数の新規の遺伝暗号多型が見つかる。したがって、稀な疾患のゲノム解析をしても、病気の原因となる遺伝子変異を見つける事はきわめて困難である。クリニカル・シークエンスと称して、稀な疾患の患者のDNAシークエンスをするプロジェクトが重要視されているが、そもそも、基盤として数万人単位の遺伝子多型データベースを構築することが前提になければならない。

 その観点では、先週の「New England Journal of Medicine」誌には特別寄稿として掲載された「Genetic Misdiagnoses and the Potential for Health Disparities」というタイトルの論文は一読に値する。これまで肥大型の心筋症の原因と報告された遺伝子異常には、全くこの疾患とは関連がない遺伝子多型が含まれているので、注意が必要だという論文である。あたりまえのことだが、間違って病気の遺伝子を持っていると診断された人のことを考えると、人生に関わる重要な問題の指摘だ。日本では基盤が必要だといっても、自分の研究や自分の論文のことしか頭にない研究者が多く、先の先を読むような大型研究が成り立ちにくい。

 多くのHLAタイプを揃えたiPS細胞を作れば、多くの人に利用可能だとの声があるが、これも遺伝子多型を全く理解していない発想で、ゲノム研究者から見れば、どこかおかしい。骨髄移植の際に、HLAがマッチしていても、提供者であるドナーのリンパ球が、移植を受けたホスト患者の細胞を攻撃するするのは、遺伝子多型によってホストの細胞上には、移植したリンパ球が敵と見做す抗原が提示されているからであり、遺伝子多型を研究してきた立場からは、HLAだけで語れないのは常識だ。もちろん、タンパク質がさまざま修飾を受けて、それらが抗原となっているケースもあるだろうし、HLAが合致していれば拒絶反応は起こらないと考えているのは、非科学的だ。

 最初の論文で6万人のデータを解析したことは、非常に膨大で日本で同じようなことをするのは困難なことのように聞こえるが、現在のDNAシークエンス解析能力では、1台の器械で1年間フルに稼動すれば、それに近いデータを得ることができる。疾患情報とリンクしたバイオバンク試料を用いて、研究予算を効率的に利用すれば、日本の医療政策に重要な意味を持つデータが得られたであろう。

 人のゲノム配列を決める国際プロジェクトが1990年に開始された際、日本では自分の研究予算が削減されることを恐れた研究者を中心に反対する声が圧倒的に強かった。1000人のゲノムを解析する国際プロジェクト(1000人ゲノムプロジェクト)では「ゲノムなどくだらん」という鶴の一声で、役所は沈黙し、日本の貢献はゼロとなった。一つのプロジェクトが人類の将来にどれほど大きなインパクトがあるのか理解できない人たちが日の丸を萎ませたのだ。

陸上400メートルリレーでは、100メートルの決勝に進めなかった4人が全力でバトンをつないで、米国を破り、ジャマイカにあと一歩まで迫った。ボルトから、わずかの差で日本がゴールを切った時は、感動した。「たすき」をつなぐ駅伝も日本の文化だ。「たすき」をわずかの差でつなげなかった選手の嘆きに、われわれは心を打たれる。でも、医学研究ではバトンがつなげない。医療は個人プレーではなくなっているのに、医学研究者は古き良き時代を謳歌している。

 生命科学研究には大きな流れがあり、常に先を読んだ動きをしなければ、大きな潮流からすぐに取り残される。遺伝子多型研究では、日本が潮流のど真ん中に存在していたが、今や、世界のゲノム研究から大きく取り残された。今の体制では、絶対に画期的・先端的・革新的なものは生まれない。

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