5月に2回目の発砲事件

先週の土曜日から月曜日まで最高気温25度を超える快晴の天気が続いた。今日は少し曇っていたが、といとう今年初めての30度超えだ。1年中でベストな季節だ。通勤路には、美しい花が咲き誇り、木々に葉が生い茂り、緑色のアーチができている。朝夕の20分が清々しい。

 

と気持ちがいいと言っているだけで終わらないのが、さすが、アル・カポネの町シカゴだ。今日は大学から40キロくらい南の町でFBIの職員2人が(何の容疑かわからないが)逮捕状の出ていた男に射撃された。このあたりに行くことはないが、物騒だ。

 

そして、もっと心配なのが、大学周辺で起こった発砲事件だ。医学部から大きな道路を挟んで南に行くと大学構内でも少し危険なのだが、今月は、大学からわずかに外れた地域で2回の発砲事件がおこっている。大学関係者は巻き込まれていないのだが、オバマ大統領が講演をした会場のある法学部は、この発砲事件現場からすぐ近くにある。

 

私も月曜日に法学部の隣にある公共政策に関係する学部に会議で行っていたので、他人ごとではない。携帯を見ながら歩かないのが大切だ。怪しい人が近くに歩いている時は、空手の動作をしながら、歩いて隙を見せないようにしている。もちろん、足など蹴りあげると、バランスを崩して弱弱しく見えるので、腕を振るだけだが(周りにどのように映っているかは自信がないが)、ジャッキー・チェンを知っているなら、少しは警戒し、抑止力になるだろう。

 

医療の話に関しては、大きな話題はない。昨日のセミナーでは、がんの終末期の人生プランニング、日本で言うところの「終活」の話があった。限られた命であることを告げ、残された時間をどう生きるのかを話し合うのは、患者さんや家族だけでなく、医師にとってもつらいものだ。この患者さんや家族なら大丈夫だろうと思って告知した際に、告げられた相手があまりに動揺する姿を見て、私も動揺した記憶がある。臨床腫瘍医は必ず必要な手技だが、際めて微妙で難しい。しかし、故の人生プランニングは残された家族が悔いをの残すのを軽減するようだ。

 

私は、母に対して、限られた時間をどう生きるのかと言い出せないままに、母の死を迎えた。そして、母が自宅に、死後の旅で自分が着る白装束と草履を入れていたのを見て、母の覚悟に言葉を失った。母は、私が言い出せなくても、私の言動から、自分の死を悟っていたのだろう。最後まで医師らしい振る舞いができなかった自分が今でも恥ずかしい。

しかし、この母に何もしてあげられなかった悔しさ・悲しさが、私のがん患者さんを救いたいという原動力でもある。医師として、息子として、がんとの闘いに敗れた屈辱感が、私を突き動かし、その力で若者を叱咤激励してきた。「功名心なき暴君」というタイトルの私の紹介記事が掲載された雑誌が販売された時、多くの弟子たちは、その名称に頷いていたのも懐かしい(もちろん、私は、心の中で涙ぐんでいた)。

 

しかし、最近では、私の情熱はなかなか伝わらなくなってきた。ジェネレーションギャップだろうか、「馬に念仏」「糠に釘」「暖簾に腕押し」、まさに、ことわざの同義語リストに象徴される事態が起こっている。「学習能力がない」「君たちは小学生か!」と言っても、言葉が伝わる前に気化して消滅し、伝わらないのだ。パワハラと言われるような発言も、彼らの叱責無力化兵器の前ではお手上げだ。薄っぺらい「申し訳ありません」を乱発されるたびに、私の血圧は上がり、今日など、頭が重くかなり危険領域に達しているような気がする。

 

そろそろ人生の幕引きの時間が来ているのでは、という弱気がよぎる。

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