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数字に弱い研究者

シカゴはようやく、冬に終わりを告げ、心地よい天候となった。シカゴに移り住んで5年目の春となったが、5月にこんなに雨が続いたことがなかったので、気が滅入っていた。来週には、日本の夏日に相当する25度を越える気候となるようで、暖かさと共に気持ちが軽くなる。

今日は、知っているようで、なかなか出てこない数字の話をしたい。研究室で会議をする時に、時折、数字の質問をする。たとえば、「10ng(ナノグラム)のDNAを利用した」という説明に、「それは細胞にすると、何個分のDNAに相当するのか」と言った質問である。これに対して、即座に答えることのできる研究者はほとんどいない。答えは「約1500個」だ。正解をしたものでも、その根拠を数式で示すように言うとほとんどお手上げだ。

精子や卵子以外の人の細胞ひとつひとつには2ゲノム分(父親と母親から1ゲノムずつ)が存在する(ミトコンドリアには数千コピーのミトコンドリアDNAが存在するが、これはとりあえず無視する)。1ゲノムは3X10(30億)塩基対であるので総塩基数はこれを2倍して(ワトソン・クリックで有名な2本鎖(対)になっているので)、さらに2倍(2ゲノム分)すると、全塩基数は12X10塩基(120億塩基)となる。ひとつの塩基の平均分子量は330であるので、総分子量は3.96X1012(約4兆)となる。これをアボガドロ数である6.02X1023で割ると細胞1個あたりに含まれるゲノムDNA量が約6.6X10-12g、すなわち、6.6pg(ピコグラム=10-12グラム)として計算される。したがって、10ng(ナノグラム=10-9グラム)(10,000pg)のDNAは10,000/6.6=約1500個分のDNAと算出される。

時々、がんを診断するために、血液(血漿)中に含まれる5ngのDNAを利用して、1万ゲノム相当のDNAシークエンスした、と自慢げに書いている論文を目にする。もともと細胞数で750個程度、ゲノム数で1500しかないのだから、1万ゲノム相当のシークエンスで、5個くらい同じ遺伝子変異が見つかっても、遺伝子増幅を含めたシークエンスに至るまでの操作中に起こるエラーで疑陽性になっている可能性は否定できないのである。こんな常識のない論文が、ゴロゴロとあふれている。

そして、例えば、バイオプシー(針で組織を取ってくる)で10mgの組織を得るとする。これは、細胞何個分に相当するのか?人間の体は60兆細胞(37兆個という説もある)からなる。体重を60㎏と仮定すると、1㎏で細胞1兆個、1gで10億個、1㎎で100万個となる。したがって、10㎎は細胞1000万個と計算される。ゆえに、DNAをこの10㎎の組織から完全に回収すると66mg(マイクログラム)となる。ちなみに、RNAは1細胞当たり約20pgであるので、10㎎の組織からは、200 mgが取れる。mRNAは全RNAの1-2%程度なので、2-4 mg含まれることになる。

ちなみに直径3㎝の腫瘍があると、約14gであるので、細胞数は140億個となる。がんが3㎝の大きさになっても、全細胞数60兆個と比較すると、わずか数千分の1にしか相当しない。10㏄の血液の血漿成分に含まれるDNA量は5-10ngであるので、細胞数にすると千個前後しかない。それなのに、目に見えないがん細胞が検出可能というのは事実のようだ。

目に見えないのは、塊となっていないだけで、潜んでいるがん細胞総数は、本当は数百億個単位で存在しているかもしれない。あるいは、がん細胞は分裂と共にたくさん死ぬので、その「かけら」からDNAが混入してきているため、潜んでいる細胞数はそれほど多くないかもしれない。しかし、常識的に考えれば、目に見えなくても、血漿DNA内にがん細胞のかけらが検出されれば、少なくとも数億から数十億個のがん細胞が潜んでいると考えられる。

私は血漿内にがん細胞が検出されれば(リキッドバイオプシー陽性であれば)、治療を開始すべきと思うのだが、意外に、反対の声が大きい!!基礎研究と臨床応用のギャップのひとつは、数字に弱い研究者だと思うのは間違いか??

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