シカゴからニューオリンズへ

熊本では、相変わらず大きな地震が続いているようで心が痛む。全壊した家屋や崩落した阿蘇大橋などを写真で見ると、地震の衝撃の大きさが伝ってくる。できる限りの手段で、家屋の下敷きになっている方々を早く助け差し、被災者の支援に万全を期してほしいと願っている。

 

私は、今、米国癌学会に参加するため、シカゴからニューオリンズに向かう飛行機の中にいる、普段なら機内では論文の手直しをしているのだが、今回は手持ち分を仕上げてきたし、研究室員に、「私が飛行機に乗るまでに送るように」と申し渡した論文も届いていないので、久々にゆったりと飛行機に乗っている。

 

しかし、日本にいた頃は、約束した時間を守らない研究員などいなかったので(遅れると罰金だったから??)、少し寂しい思いだ。もちろん、考えていたより、手間取ってしまうことはあるだろうし、不測の事態も起こるだろうが、明日までと言っていたのが、1週間後、2週間後になることに対して、何とも感じない人たちの中にいると、自分の今までの生き方を否定されているような気がしてくる。

 

これまでは、みんなが約束を守ることを前提で自分のスケジュールを立ててきたので、何となく生活のリズムが崩れてくる。車を買いに行ったときに「あと2-3分」が1時間だった経験もあるが、これは日本で過ごしてきた私には、受け入れがたい感覚だ。時間を守る、約束を守ることは、私が受けてきた教育・私が過ごしてきた人生では当然のことなのだが、そうでない世界が存在するのは事実だ。日本の新幹線など、1分どころか、数秒遅れても乗り過ごしてしまう。

 

10年ほど前、先輩のパーティーが大阪であり、最終の新幹線で横浜に帰る予定をしていた。パーティーからの帰り、先輩に呼び止められ数分間立ち話をした。そして、タクシー乗り場にも列ができていたし、道路も予想以上に混んでいた。私は、余裕をもって行動するのだが、その時は色々なことが重なり、予定より15分ほど遅れて新大阪駅に到着した。ギリギリだし、次の新幹線はない。タクシーを飛び降り、駅構内を必死で走り、心臓の鼓動を感じながら階段を駆け上ったとたん、あと5-6メートルで無情に扉が閉まった。息が切れ切れの中、新幹線がホームから去っていくのを呆然と立ち尽くしていたことを今でも鮮明に覚えている。もちろん、大阪で一泊し、特急指定券は買い直しだった。

 

しかし、これが日本なのだ。時間を守り、約束を守る。これを貫き通して、われわれの先人たちは、日本という国への信頼を築き上げてきたのだと思う。たとえ、周りがどのような人たちであっても、自分は時間と約束を守るという日本人としての誇りを示していきたい。

 

ようやく、ホテルに着いた。タクシーの中で、「タクシー運転手を殺害した場合には、1級殺人となり、死刑になることもある」と表示されていた。こんな表記を読むと、背筋がぞっとする。遅れていた論文も届いた。もっと早く・・・・と思うが、仕方がない。時間を見つけて手直しするしかない。

(PS) どうも日本でも、メキシコでも、そして、米国でも、ホテル運がない。今日は高級ホテルに泊まっているのだが、椅子が突然傾いて転倒してしまった。よく見ると、足が一本欠けている。5本足なので、体重のかけかたによっては問題ないのだが、欠けている足の方に体重をかけた途端に傾いて転んでしまったようだ。フロントに交換するように2回依頼したが、まったく対応が悪く、3回目は怒りを込めて言ったところ、ようやく代わりの椅子を持ってきた。腰が痛くなってきた。このサービスで、この宿泊代はないだろう!

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