(続)挑戦を許さない日本社会

前回の「挑戦を許さない日本社会」の続編だ。少し古くなるが3月10日号の「New England Journal of Medicine」誌に「Survival Benefit with Kidney Transplants from HLA-Incompatible Live Donors」という論文が掲載されていた。臓器移植・骨髄移植ではHLA(白血球の型)が一致していることが非常に重要だ。もし、一致していない場合、拒絶反応が強く出て、移植の失敗につながる。また、骨髄移植の場合、移植された白血球が、移植を受けた患者さんの皮膚や消化管を敵と見做して攻撃し、重篤な状態に陥る危険性が高くなる。

 

したがって、ガイドラインには、白血球の型が一致していることが、移植の条件に盛り込まれている。日本では、徳洲会宇和島病院で騒ぎになったように、ひとたびガイドラインができると、それを守ることが最優先され、ガイドラインに当てはまらない場合には、患者さんは諦めるしかない。リスクが高い患者さんを救う道を閉ざすことにつながる。それを越えると、学会は総力で、ガイドラインを守らない医師を批難する。生殖医療でも、学会とガイドラインを超えた医師との倫理観を巡る戦いが続いている。日本では、依然として「ベルリンの壁」が権威を誇っている。

 

そこで、本題の論文に戻る。この論文は、HLA型が一致しなくとも、生体腎移植を試みた結果をまとめたものである。腎移植を受けなかった患者さんと、HLAが一致していなくとも生体腎移植を受けた患者さんの、生存率を比較した結果が示されている。話を単純にするために、HLAは一致していなかったが生体腎移植を受けた患者(生体移植群)と移植待機リストに載っていたが、移植を受けられなかった患者群(非移植群)の生存率の比較だけを紹介する。生体移植群と非移植群の1年後、3年後、5年後、8年後の生存率は、それぞれ、95.0% 対 89.6% 、91.7% 対 72.7%、86.0% 対 59.2%、76.5% 対 43.9%であった。説明するまでも無く、HLA型が一致していなくとも、生体肝移植を受けた患者群では、圧倒的に予後がいい。

 

これらの背景には、免疫抑制剤の開発を含め、医学の進歩があることは確実だ。腎移植待機リストの患者さんは、当然だが腎機能が悪い。移植を受けなければ、6-7年でその半数が死に至る。1997年―2011年のデータなので、現状とはあまり乖離していないと思う。技術や薬剤の開発によって、医療の限界は変わってくる。しかし、挑戦しなければ、限界を超えることはできない。新たな挑戦には、必ずリスクを伴うが、リスクゼロが最優先する日本社会では、挑戦すること自体に否定的だ。患者を守ると言いつつ、生きる希望を奪う人たちの偽善がまかり通るのだ。

 

医療の進歩とは、治せない病気を治す病気に変えていくこと、苦しまなければ治せない状況を、苦しむことなく治す治療に変えていくことでもある。腎不全患者には数年が残されているが、がん患者の場合には、数ヶ月しか残されていない。しかし、挑戦することによって、この限られた命を数年の延ばす、あるいは、治癒させる可能性が広がってきている。

 

しかし、多くの場合、医療の進歩に貢献する技術開発や薬剤開発は、特に最近では、欧米の企業によって成されている。それが、治療用医療機器(たとえば、手術用ロボットや心臓ペースメーカー)や画期的医薬品などの輸入の急増につながっている。「日の丸」の貢献は限局的だ。

 

挑戦を許さない社会を変革しない限り、日本は欧米諸国の医療植民地であり続ける。挑戦しなければ、可能性は生まれない。可能性は無限大なのに。

(2003年にNatureに掲載されたABIの広告)

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