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人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし

医療(一般)

昨日の日曜日から、夏時間が始まった。日本では「夏時間」と呼ぶが、米国で「Summer Time」と言っても通じない。少し長いが「Day light saving time」と呼ばれる。「太陽の光を大切にするための時間」、すなわち、仕事が終わった後でも、日の光を楽しむ時間を増やすためのものである。先週末は、朝起きると明るかったものが、今朝起きるとまだ薄暗いため、今ひとつ、気合が入らない。その代わりに、帰宅時間でも、まだ、明るく、日光を浴びながら歩いて自宅まで戻ることができるのは有難い。

しかし、昨日、親しくさせていただいていた知人が亡くなられたという知らせが届き、少し気が滅入る。長年にわたって肺がんと闘病された末の、残念な結末だ。彼も、私たちが創り出した薬剤に希望を持って、待ち望んでおられた患者さんの一人だ。このような残念な知らせを聞くたびに、もどかしさと胸の痛みを覚える。決して、私自身が怠けているわけではないが、薬剤の開発は予想以上に時間がかかる。患者さんの期待と、現実のギャップの板ばさみ状態は、もうしばらく続くのだろう。

「薬を作りたい」と考えているがん研究者は少なくない。しかし、分子標的を自分で見つけ出し、少なくとも治験レベルのすべてのプロセスに携わった研究者は、世界中で数えることができるほど少ないだろう。がん治療薬のための分子標的を発見し、それを利用した化合物スクリーニング計測(アッセイ)法を作り上げ、何十万という化合物をスクリーニングする。その中から、分子標的物質の働きを抑える可能性のある薬剤の元の元(ヒット化合物)を見つけ出す。ほとんどの場合、このままでは薬剤というには、ほど遠い。そこから、何年もの歳月をかけて、改良を続け、ようやく動物試験に利用可能な化合物を作り上げる。

今から考えても気の遠くなるような作業だ。気の短い私が、辛抱強く、一歩一歩、歩み続けてきたものだと思う。しかし、まだまだ、道のりは遠い。まさに、徳川家康の世界「人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」だ。これは、「急ぐべからず。不自由を、常と思えば不足なし。」と続くが、がん患者さんには、「急ぐべからず」は通用しない。急がなければ、間に合わない。不自由度が、日々、増して行くばかりだ。自分の荷物だけを背負うのではなく、「患者さんや家族の期待」という重荷は、想像するより重いものだ。患者さんが多くなればなるほど、その重さは加速度的に積み重なっていくような気がする。

化合物に戻るが、がんの培養細胞で効果があっても、動物試験で効くとは限らない。体内で早く分解されると効果が出ないし、思いもよらない副作用に遭遇すると前には進めない。動物と人とでは同じでないと思うが、動物実験での副作用は、時として大きな壁となって立ちはだかる。さらに、地道に改良を重ねるしかない。

それらをすべて克服して、ようやく、臨床試験(治験)にたどり着けるのだ。もちろん、この臨床試験で、安全性、有効性を確認できないと、薬剤としての承認は得られない。私の実感としては(まだ、承認を得ている薬剤はないので、偉そうなことはいえないが)、臨床試験にたどり着けば、登山にたとえると5合目―6合目に来たような感覚だ。まだまだ、道は険しいが、背中に背負った重荷を頂上まで届け、荷を降ろすまで頑張りつつけるしかない。足腰は弱ってきたが、軟骨が擦り切れて悲鳴を上げても、歩みを止めるわけには行かない。「己を責めて、人を責めるな。及ばざるは、過ぎたるに優れり。」

すでに、旅立っていかれた患者さんたちには間に合わないが、今、がんと闘っておられる患者さんに笑顔を取り戻す日が早く来ることを願いつつ、知人の冥福を祈りたい。

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