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東北大震災から5年

今朝のシカゴは、気温は6度でさわやかに晴れ上がっていた。5年前の3月11日、東京も、今日のシカゴのように、冷え込んでいたが、さわやかに晴れていた。

そして、早いもので、大震災から5年が過ぎた。当時、私は内閣官房医療イノベーション室長という立場にあり、地震発生時には、竹橋のホテルで医療機器開発に関わる会議に参加していた。1月に辞令を受け、日本発の医薬品・医療機器開発を推進するための方策を立てる作業に当たっていた。もちろん、高齢化社会に対応するためのゲノム医療の重要性も盛り込まれていた。

しかし、この大震災で、私の置かれていた立場は大きく変わった。大震災で被災された方々と比べれば、私の環境変化など取るに足らないことだったのかもしれないが、医療イノベーションの優先順位は大きく下がり、私は目標を失った。それでも、被災者の方々のために何かをできればと足掻いたが、発足2ヶ月の内閣官房の小さな室には、できることは何もなかった。医療イノベーションという言葉と、震災復興というミッションとでは、大きく異なるので当然だったかもしれないが、一人の人間として何もせずにはいられなかった。何か貢献したいという気持ちは、被災地をこの目で見てもっと強くなったが、被災地のために何かをしたい気持ちと、何もできない現実とのギャップは大きく広がるばかりだった。

夏が終わり、秋が訪れた頃には、無力な自分との心の葛藤が限界に達した。そして、日本から離れるという結論が導かれた。その前年から続いていた、大きなストレスも重なっていた。自分が愛する日本という国のために必死でもがきながらも、人災・天災の前に成すすべをなくした自分がいたように思う。

そして、シカゴに移り、もう、4年近くが過ぎた。ここで、研究に没頭し、若い人たちと議論をし、米国のシステムを学び、日本にいた時の何十倍もの論文を貪り読み、日本の現状を眺めている。そして、ますます日本という国が好きになったが、日本の医学研究の状況、特に、がん研究の環境は悪くなっていることを憂慮している。

マウイ島で開催された日米合同がん会議の様子を紹介した際にも触れたが、日米の格差はどんどん広がってきている。1980年代の日米格差に戻ったような感がある。日米の交流も、次第に少なくなり、両国間の学術的連携は縮小している。まだまだ、米国から学ぶべき点、吸収すべき点はたくさんある。いろいろな意味で、日米間の医学協力を発展させて欲しいと思う。

私の願いは、医療分野での日米「お友達」連携を通して、日本が世界の医療に貢献することだ。大震災の時に受けた支援・応援に対する恩返しをするためにも、是非、医療分野で「日の丸」を世界に示して欲しい。被災地のためには何もできなかった私だが、日本の国の誇りのためには尽くしていきたい。

大震災で命を落とされた方、依然として行方不明の2千人を越える方々の冥福をお祈りするとともに、被災地が速やかに復興を遂げることを願ってやみません。

PS: ドナルド・トランプ氏の演説会がシカゴ(イリノイ大学シカゴ校)で開催予定だったが、数千人単位のアンチ・トランプが演説会場を取り囲み、一部が会場に入り込んで大騒動となり、演説会が中止になった。最近はトランプ反対の声が大きいメディアも、生中継でこの騒動は非難している。言論の自由を封じるこの動きは米国にとって大きな問題にあるだろう。