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正々堂々たる国家ビジョンの議論を!

「相棒」をビデオで見た。竹下景子が演じる医師が不法滞在の外国人を助けるために罪を犯し、杉下右京に追及される場面で発した、「どんな法も規範も、人を救えなければ、正義でない」と言ったセリフが耳に残った。私もそう思うが、個人個人が「自分の正義」を振りかざすと社会は混乱する。「正義」を看板に「自己主張」した人たちに不快な思いされられたので、「正義」という言葉には敏感だし、自分の「正義」を押し付ける人たちには近寄りたくない。

 

米国の最近の報道を見ていても、「正義」に名を借りたバッシングが横行しているように思えてならない。米国のメディアは、過激な発言を繰り返すドナルド・トランプ氏に対する攻撃を増してきている。しかし、平等を謳っている米国の国是に真っ向から挑戦するトランプ氏が、メディアからの批判を物ともせず、次第に勢いを増している。もはや、泡沫候補ではなく、トップランナーである。

 

法律で何を言おうが、どのような規範を作ろうが、人の心を縛ることはできない。「自分では言えないことを、ズケズケと発言する」、「本音をオブラートで包んでいる人たちの心を投影している」トランプ発言が、ある割合の人たちに受けているからなのだと思う。エスタブリッシュメントに対する不満を募らせている人たちの受け皿になっている。それを非常に危険だと考えるメディアも感情的な発言が目立ってきているように思えてならない。

 

日本の某新聞社系の雑誌が橋下徹氏を叩こうとして、一線を越えてしまったが、次第にそれに近づいてきているのではないかと思える場面もある。報道は公平であるべきだが、自らの考えを発信してもいいのか、意見は分かれている。しかし、事実を正確に伝えることを忘れては報道ではない。伝える側の好き嫌いではなく、「どうあるべきなのか」を冷静に議論しなければ、感情的なしこりだけが醸成される。

 

今回の予備選を眺めていて感ずるのは、ネガティブキャンペーンが飛び交っていることだ。日本の国会ではお馴染みの足の引っ張り合いだが、やはり、政治家にはエビデンスに基づいて、将来に向かった明るいビジョンを示してほしいものだ。「米国にかつての輝きを取り戻す」というその精神は重要だ。私も、「日本という国の誇りを世界に示してほしい」と思っている。しかし、そのような方法で、それが実現可能なのか、具体的な政策が必要だ。

 

ただ、候補者たちの討論会が開催され、各候補者の考え、人となりを知る機会が確保されている点が日本とは異なる。今日の共和党候補者の討論会を見ていて、何となく人格が見えてくるような気がする。やはり、リーダーが何を考え、何を目指しているのかを知ることは重要だ。

 

科学研究の対する方向性でも、同じだ。NIHのトップのフランシス・コリンズ所長の方針も適宜紹介されているし、一流の雑誌に彼のインタビュー記事や論文が掲載される。日本では科学政策に関する記事が非常に限られている。密室での暗闘をするのではなく、正々堂々と日本将来を明るくする議論を繰り広げてほしいものだ。

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