読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

認知症は予防できるか!?

医療(一般)

今日の「New England Journal of Medicine」誌に、「Framingham Heart Study(フラミンガム心臓研究)」で調査された認知症発症率に関する論文が掲載されていた。このフラミンガム研究は、第2次世界大戦が終わって間もない1948年に、マサチューセッツ州のフラミンガムという町で開始されたものである。その後、約70年にわたって研究が続けられている、世界的に最も有名な疫学研究である。この研究を通して、生活習慣病の「危険因子(リスクファクター)」という言葉が生まれた。

心臓・血管疾患の危険因子として、高血圧・高コレステロール・肥満・喫煙などは今では常識となっているが、この研究はこれらの危険因子を科学的に証明するために貢献してきた。70年近く前に、このような長期間の住民調査の重要性を認識していた人たちがいたことが、米国の奥深さだと思う。日本では今でも疫学研究に対する理解度が高くない。特に、政策決定に影響を及ぼすような高名な生物学者・生命科学研究者に、このような国家の医療政策の将来を見据えることのできる先見性を持つ人がほとんどいないことが、日本という国の致命的欠陥とも言える。知識の幅広さ、先見性、そして国家の将来に対する責任感、これらをすべて持ち合わせた人材の豊かさが、米国にあって、日本に欠けているものだ。

話を戻すが、今回の論文は、認知症の発症率を10年区切りで、4グループ(60歳以上が対象)に分けて調査したものである。結果は、5年間の調査期間内に認知症と診断された人の頻度を、人口100人単位の発症比率として計算したものである。1970年代後半から1980年前半の調査(第1グループ)では100人当たり3.6人であったものが、1980年代後半から1990年前半の調査(第2グループ)では2.8人となり、1990年代後半から2000年前半(第3グループ)では2.2人となり、2000年代後半から2010年前半(第4グループ)では2.0人となっていた。1980年と2010年では認知症になる人の頻度は半分程度に下がってきているのである。

 

しかし、発症頻度はあくまでも一定の人口当たりの割合であって、この数字は全体の認知症罹患者数が減っていることを意味しない。たとえば、日本の65歳以上の人口比率(高齢化率)を見ると、1975年には7.9%、1980年9.1%であったものが、2015年には26.8%と3倍前後に増加している。しかも、1975年の人口1億1200万人に対して、2015年には1億2700万人弱とわずかであるが増加している。したがって、たとえ、このフラミンガム研究の結果をそのまま当てはめて発症率が下がっているとしても、総罹患者数は、30-40年間に2倍前後に増えていることになる。

 

そこで必要になってくるのが、認知症発症率がどのような理由で減少したのかである。確かに、40年前の60-70歳代の人たちと比べて、今の60-70歳代の人たちは若々しい。しかし、この認知症患者の増加を抑えることは、超高齢化を迎えている日本の将来のためには、きわめて重要な課題だ。アプリポタンパクE4の遺伝子多型は、認知症のリスクを高めることが知られているが、今回の研究結果では、この遺伝子型を持っている人に限れば発症率は変化していない。したがって、この遺伝的リスクを持たない人が、環境・生活要因の変化で、発症率が低くなったものと考えられる。これは、予防の観点からきわめて重要なのだ。

 

論文では、いくつかの角度でデータを解析しているが、この減少傾向は、高校を卒業していない集団には全く認められない。学歴がなぜ影響するのかはわからないが、興味深い。また、降圧剤を服用している割合は、第1グループでは33%から第4グループでは62%、高コレステロール治療薬は第1グループではゼロ(薬そのものがなかった)が第4グループでは43%となっており、血圧やコレステロールのコントロールがなされていることを示している。これらの薬の服用を悪と決め付けている出版物もある。医療には「情」が大切だが、医学には「科学的エビデンス」が不可欠であることを忘れてはならない。情緒だけで医療を悪い方向へ煽動するのは、犯罪だ。

 

4グループで、喫煙率は、20%,14% 9%、6%と下がっており、米国の禁煙対策が反映されている。これと認知症の関係は不明だが?、かつて住んでいたユタ州はモルモン教が喫煙を禁じているし、今の米国ではタバコの臭いを嗅ぐ機会も稀だ。日本でももっと強力な禁煙対策が必要だと思う。

 

喫煙や心臓血管疾患のリスクに関係する多くの要因が改善されているために、どの要因が認知症発症率減少傾向に寄与しているのかは明確にされていないが、少なくとも生活習慣病を正しく治療することが、認知症のリスクを下げていることだけは、漠然としてではあるが、理解できる。このようなエビデンスの積み重ねが、健康を守り、質のよい人生を提供するために必要だ。もちろん国の責任で進めるべきことだ。

 

このタイプの研究は、5-10年で評価しても目に見える成果が出るはずがない。しかし、研究内容に関わらず、1-2年で研究成果の報告を求める日本の体制では、研究を継続させること自体が難しい。私も、バイオバンクプロジェクトを始めて3年後に、研究費の半減を言い渡されたことがある。この時には、「50%ならいらない。0か100にして君たちが責任を取れ」と啖呵を切った。もちろん、研究打ち切りのリスクは高かったが、相手に「研究を止めて責任を取る」覚悟が無かったのが幸いした。

 

疫学研究は、スルメを齧るのと同じで、長く噛めば噛むほど味が出てくるのだ。スルメを十分に噛まず、すぐに飲み込んで「これはおいしくない」と評価する人もいるし、「スルメみたいなもん、ワシが食えると思とるんか!アホか」と言う人もいる。人生や学問の味を評価できない人たちが増えてきた。味気ない世の中になったものだ。

f:id:ynakamurachicago:20160212071943j:plain