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他人由来のiPS細胞を治療に;神格化された再生医療???

医療(一般)

シカゴはようやく平年並みになり、昨日、今日の出勤時はマイナス5度程度となった。この寒さでも、完全装備で朝は歩いて出勤している。シャツやズボンの下に、ダウンの下着を着ると意外に暖かく、顔と頭はヒンヤリだが、首から下は到着することにはポカポカだ。前回のブログで紹介した患者さんに月曜日に朝一番で(もちろん私の基準ではなく、常識的な朝一番の時間に)電話を入れた。わずか10分ほどで、何か特段役に立ったわけではないが、彼女に希望を与える臨床試験にたどり着くことを願っている。電話を切る頃には、患者さんの声が少し明るくなったような気がした。私の気持ちも少し軽くなって、カリブ海の悪夢とはさよならだ。

読売新聞に「他人のiPS細胞を心臓の筋肉(心筋)の細胞に変化させ直径数センチ、厚さ0・1ミリのシート状に加工したものを、心筋梗塞などで心臓の血流が悪化した重症の患者数人の心臓に貼り付け、効果と安全性を確認する」との治験のニュースが出ていたのだ。

私の科学的常識が古くなってきたのかと疑念を抱かざるを得ないニュースだ。それとも、iPS細胞を利用した再生医療には、これまでの医学的な倫理観など無用なのか?iPS細胞はES細胞のように不要になった受精卵を利用するという倫理的な壁がないことや、自分の細胞を利用できるので、拒絶反応などの心配をしなくていいのが、最大の利点ではなかったのか?後者の仮説も、まだ証明されていないのに。

iPS細胞の持つ、がん発生リスクという課題も完全にクリアされたわけではない。今や、国是となったかのような再生医療・iPS細胞治療であるが、あまりにも、世界の常識や安全性に対する倫理観とかけ離れすぎてはいないのか?「勝てば官軍」になるのかもしれないが、負ければ、日本という国全体の医学に対する倫理観が問われるような性急さである。

ゲノムや遺伝子の多様性を何十年にわたって研究してきた科学者として、そして免疫ゲノム学を研究している科学者として、まずは、自分の細胞を利用して安全性を確認した上で、他人のiPS細胞の利用へと進むべきではないのかと思わざるを得ない。私は自分の細胞由来のiPS細胞でも、遺伝子操作の過程や環境の変化で、タンパク質の修飾が変わり、移植された細胞が抗原性を持つのではないかと憂慮している。杞憂に終われば幸いだが、がん化の問題・免疫原性の問題についてデータを蓄積すべきではないのか。

脊髄損傷・慢性の変性疾患(すでに網膜で行われているが)など、自己の細胞を利用して安全性を検証することを優先すべきであって、他人の細胞を利用した急性期疾患のiPS細胞治療などを試みるのは時期尚早だと思う。かつて、文部科学省の委員会で、iPS細胞のがん化リスクについて慎重に調べる必要があると発言した際、委員ではなく、役人が真っ赤な顔をして反論してきた。iPS細胞に対する批判は容認しないといった異様な光景だった。

と考えながら、こんな素朴な疑問さえ口にできない、iPS細胞を神格化する感のある日本の社会に、ある種の違和感と恐怖心を覚えるのは私だけなのか?メディアも大政翼賛会のようで、水爆実験をしたどこかの国のようだ。

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