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がん個別化医療(Cancer Precision Medicine)2016-(1)

太平洋戦争が始まって、74回目の記念日を迎える12月8日、私はシカゴに来て4度目の誕生日を迎える。この国に住まずとも、一度でも訪問すれば、国土の広さとその資源の豊かさに触れ、米国に戦争を仕掛けた愚かさを誰でも実感するはずだ。ほとんどの方にとっては遠い遠い思い出だが、「井戸の中の蛙のように、世界を知らずに、自分の知る世界の情報だけで判断するのは愚の骨頂だ」という教訓を忘れてはならない。

誕生日を迎えるたびに、私自身の時の流れが一段と速くなってきたと感ずるが、それにも増して、世界の医学・医療分野の開発スピードが速くなってきている。人生が秒読みに入ってきた中で、最後に、私が成し遂げたいプロジェクトは、「がんの個別化医療」の確立である。前回の高血圧の話でも触れたが、がんの個別化医療は、患者さん(そして、その家族)の人生の質の観点から、不可欠なものである。下図は、私の研究生活と歩みをともにしてきた「ゲノム」から眺めた「がん個別化医療(最近ではPrecision Medicineという言葉が使われる)」の設計図である。

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(1)がんの診断(スクリーニング、再発のモニタリング)

(2)がんの治療法(治療薬)の選択

(3)がんの個別化免疫療法(ワクチン、T細胞受容体導入T細胞療法) 

の3要素から構成される。今回は(1)のがんの診断について解説する。

再発のモニタリング(検出)に、血液中に混入されるがん細胞由来DNAを検出する方法(リキッド・バイオプシー)を応用することは、もはや、夢物語ではなく、方法そのものは開発されたと言っていい段階に来ている。ただし、K-ras,B-rafなどの一部の例外的遺伝子を除き、多くの場合、個別の患者さんで見つかった遺伝子変異を追跡していくことが求められる。検出率を高めるには、患者特異的な複数の遺伝子異常を指標として利用する方が望ましいので、大量に一括して検査することはできない。

しかし、この方法による超早期再発診断は非常に重要だ。CTなどの画像で見つかってから、がんを叩くよりも、画像で見つかる半年前後早く、がん細胞を叩く方が、治癒の確率は上がるはずだ。以前にも触れたが、リキッドバイオプシーで見つかるレベルは、火事にたとえるとボヤに相当する。画像で見つからなくても、全身に広がっていれば、すでに火事が広がっているのと同じだと言う人もいるが、百万人の敵と戦うより、千人の敵と戦う方が勝つ確率は高いはずだ。

そして、ゲノム診断をがんのスクリーニングに利用できるかどうかに、次の関心が集まっている。論文報告から考えると、ステージIの早期がんは厳しいだろうと思う。しかし、ステージIIであれば大半が検出可能ではないだろうか。すでに、膨大な数のがんでの遺伝子異常が報告されている。この中から100-200種程度、最も遺伝子異常頻度の高い遺伝子を選別して、血液(正確には血漿)から取り出したDNAをシークエンスすればできるはずだ。と簡単に書いたが、実際にはそれほど簡単ではない。

課題としては、(1)10ミリリットルの血液から得ることのできるDNAは、わずかに5-10ng(ナノグラム=10-9グラム)であるので、ごく微量DNAしか利用できない。1細胞あたりのゲノムDNAの量は約6.6pg(ピコグラムはナノグラムの1000分の1)であるので、10ミリリットルの血漿から得ることのできるDNAは、わずか1000細胞分に相当するに過ぎないのである。このわずかなDNAに、がん由来のDNAが含まれているのかどうかが、鍵となる。

早期がんだと、体全体に占めるがん細胞の割合は非常に限定的だ。1センチ角のがんは約1グラムであるので、体重60kgとすると、60,000の1に過ぎない。1000細胞分のDNAしかないと、どう考えても厳しい。3センチ角だと、約2000分の1になるので、含まれる可能性は高くなる。たとえ、がん細胞の生死のサイクルが早くて、血液中に壊れたがん細胞由来DNAが含まれやすいと想定しても、相当壊れやすくないと理論的には厳しいのである。

(2)二つ目の課題は、技術的な問題、遺伝子増幅とDNAシークエンスの精度である。わずかばかりのDNAしか含まれないので、DNAを遺伝子増幅法を利用して増やさなければならないが、この段階でのDNA合成エラーが、人工的に遺伝子異常を創り出す場合がある。次世代型DNAシークエンサーも、読み取りエラーによって人工的に遺伝子異常を創り出す場合がある。

ひとつの遺伝子のエキソン部分を2500塩基と仮定して、変異を起こしやすい200遺伝子を調べるには、わずか約50万塩基対でいい。ある塩基に相当する部分について4000回繰り返して調べるとしても、シークエンス総量は20億塩基対でいい。したがって、最も精度が高いとされるイルミナ社のMiSeq型シークエンサーでも、一度に6-7人の解析が可能だ。それでも、一定の割合のエラーは避けられない。

このエラーという壁は、1000細胞分のDNAに混入する、数細胞分のがん細胞DNAを検出するためには、意外に高い壁となる。大量のシークエンスにばかり目が向いているが、診断にはシークエンス精度の高いものが求められる。大量シークエンスができるので、何万人ものスクリーニングが今すぐにできると思っている人は、技術的な壁を理解できていない。機械を利用する前に、機械の原理、利点・欠点を理解していないと、ごみの山を築くことになる。

(続く)

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