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これでいいのか、日本人類遺伝学会

今、成田空港で、ようやく、シカゴに戻ることができる。日本滞在中は、かつての部下を含め多くの旧知の方にお会いでき、楽しく過ごすことができたが、もはやシカゴは自分の庭となってしまったのは間違いない。確かに寒いし、飛行機が到着する時刻の気温予想は4度となっていたので、東京の真冬と同じだ。でも、シカゴに帰ると考えるとホッとする。

 

国立がんセンターのシリーズに移る前に、昨日の日本人類遺伝学会の模様を紹介したい。米国では米国人類遺伝学会が中心となってヒトゲノム研究が推進されてきたが、1990年代の日本では、分子生物学会がヒトゲノム研究の受け皿になってしまった。分子生物学会には日本の生命科学を担うスターがたくさんいたのに対し、日本人類遺伝学会は遺伝性疾患を研究する産婦人科、小児科医を中心とするグループが中心で、影響力も弱く、また、ゲノム研究に理解を示す研究者がほとんどいなかった。

 

その研究者集団の力関係で、分子生物学会が受け皿となったが、これが日本の不幸の始まりだった。膨大な作業を伴うゲノム研究を知的な研究でないと見下していた。今でもそうだが、日本の研究者の大半は、「国のため」などという発想が欠落している。大規模研究に予算が取られると、自分たちの研究費が削減される、と憂慮し、まともな議論にならなかったのである。

 

今や、ゲノム情報を利用した医療は、医療費を有効に利用する観点から不可欠な分野であり、高齢化社会を生き抜く日本にとって外せないカードである。私は、日本人類遺伝学会を「ゲノム・遺伝子診療を推進する役割を果たす」学会にすべく、多くの診療分野の医師や遺伝カウンセラー、ゲノム研究や診療を補助する人たちの参加を求めてきた。私のあとを引き継いだ福嶋義光先生も努力してこられた。会員数が10年前の2倍以上だ。

 

そして、昨日、多くの参加者が集まった人類遺伝学会に参加して、感動した。大会長は私の弟子の一人である、東京医科歯科大学の稲澤譲治先生であったが、プログラムは非常に充実していたし、参加者に魅力的な内容であった。よくやったと心から誉めてあげたい。

 

しかし、その一方で、多くの研究者・医師が、学会やゲノム診療の将来に対する不安を口にした。学会の幹部は、再び、小児科・産科医師に偏重され、20年前に逆戻りだ。オールジャパン、オール診療科で推進しなければならない時期に、いったい何をやっているのかと問いたい。自分たちの面子ではなく、日本のゲノム診療の存亡をかけなければいけない時に、この時代錯誤の動きは何なのだ。オールジャパンを真剣に考える、心ある人たちは、別の学会を作り、皆で力を合わせればいいとさえ思う。

 

また、日本には高速DNAシークエンサーが200台以上あると聞いた。おそらくその半数以上が埃をかぶっているだろう。数十億円単位の無駄だ。これこそ、仕分けの対象にすればいいと思う。利用できない機械を買って、自己満足していては、この国は絶対に救われない。国の将来にために、しっかりと戦略を練り、予算を有効活用して欲しいと願っている。

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