危機的な日本のがん研究

10月8日から10日まで名古屋で日本癌学会が開催された。私は1991年以降24年間にわたって、特別講演、シンポジウム、教育講演などで講演をする機会が続いていたが、今年で、それが途絶えた。盟友のがん研究所の野田哲生所長は、吉田富三賞を受賞し、受賞講演会を行った。かつて共同研究していたAPC遺伝子の話を聞きながら、一つの時代の終わりを感じた。

 

しかし、学会の活気の無さはどうしたものか、がん研究の将来に大いに不安を覚えた。男性の10人に6人、女性の10人に4.5人が生きている間にがんに罹患する。この国民病ともいえる「がん」という病を克服するための基礎研究に取り組んでいる学会が、盛り上がりに欠けるような状態なのは大変なことだ。

 

日本の基礎研究者の数は、その分野に配分される国の研究予算の額に左右される傾向がある。かつて、文部科学省内では、がん研究は特別な研究予算枠が確保され、その枠内で多くの研究者が支援を受けてきた。自律的に健全な評価をして、多くの若手研究者を育ててきた。規模では遠く及ばないが、米国の評価制度に類似した極めて健全な運営が特別な研究の枠内で行われてきた。

 

しかし、「がんを特別扱いするのはけしからん」という理由で、この研究予算枠が廃止された。国民の3人に一人が「がん」で亡くなっている国で、「がんを特別視するな」という庶民感覚から大きくずれた意見が、学者の世界ではまかり通るのである。まさに、研究者の常識は、国民の非常識である。しかし、予測された通り、日本のがん研究は明らかに弱体化しつつある。

 

米国の国立がん研究所の予算、約5000億円はすべてがん研究予算である、別建ての国立衛生研究所(NIH)の予算でもがん研究は支援されているし、エネルギー省の予算でもがん研究は支援されている。もちろん、患者団体からの膨大な寄付金でも支えられている。

 

今、日本のがん研究は、研究予算だけでなく、研究体制でも以前にも増して危機的な状況に追い込まれていることを、学会参加中に多くの研究者から耳にした。メディアでは芸能関係者のがんが大きく報道されているにもかかわらず、永田町や霞が関は何を考えているのか、不思議でならない。官僚や政治家には、この国のがん医療を世界最高レベルにしたいと願う人はいないのだろうか?

 

また、有名女優が、医師によるがん治療を拒否して、民間療法に頼った末に亡くなった話は、私の胸に、悲しく、切なく伝わってきた。日本のがん医療体制が、国民の信頼を得ていないのだ。近藤誠氏に叩かれっぱなしで、何の反論もしない国立センター。これは明らかな責任放棄である。国民からその存在意義を認識されていないから、がん医療従事者、がん研究者は、その研究費や研究体制が弱体化されているにもかかわらず、それに反論する国民の声が沸き上がってこないのだと思う。

 

米国では、急速に新しい治療薬・診断法が開発され、がん診療体系が大きく変わろうとしている。年々、日米の格差は広がりつつある状況に、日本人として、本当に悔しい。

 

まったく出番がなかった今回の癌学会を振り返って、時代の流れに身を任せて傍観者として余生を過ごすべきなのか、日本という私が愛してやまない国のために、もう一踏ん張り何かをすべきなのか、私の心は揺れている。

f:id:ynakamurachicago:20151011063432j:plain