長期の日本出張で感じたこと

ようやく、シカゴに戻ってきた。大渋滞で空港から家まで2時間15分もかかった。これまで最長だ。帰って体重を測ると2kgも増えていた。ほとんど毎日、夜は外食だったので、食事のコントロールができなかったために違いない。親からの教えで、「作ってくれた人への感謝の気持ちを込めて、残さないように」精神が染みついているため、出されたものを残すと罪悪感を覚えてしまう。健康を考えると食べ過ぎるのはよくないとはわかっているが、小さいころの教えは影響が大きい。

 

この2週間、医師や研究者に加え、いろいろな業種の人とも話をする機会があった。医学研究やそれを取り巻く環境が厳しくなり、4年前に比べ、もっと元気がなくなっているような気がしてならない。特に、日本の科学研究費を取り巻く環境は、ますますおかしくなっているように感ずる。

 

東北大震災後に立ち上がった東北メガメディアカルバンクのような、科学的理念に欠けた火事場泥棒のようなプロジェクトが今後どうなるのか、日本の見識が問われる。この事業に対する評価がどうなるのか見ものだ。復興予算と称して、自分たちに利益誘導するために屁理屈で予算を分捕った研究者たちが、どのような責任を取るのか、ここで白黒をつけられなければ日本の医学研究の将来はない。

 

そして、最も心配になったことは、多くの研究者が明日の自分の研究費に不安を抱き、自分の日々の暮らしに追われている状況だ。「自分の研究費がどうなるのか」と困っている声を多数耳にした。しかし、日本の医療や医学研究の将来を語る声は、ほとんど聞かれなかった。あいかわらず、研究分野間で、お互いにパイを取り合って非難している姿は寂しいものだ。2000年のミレニアムプロジェクトでは研究費が一気に膨らんで、多くの研究者が恩恵を受けたはずだが、「あいつはどうしてこんなに多くもらっているのだ」という怨嗟の声が渦まいた。

 

今は、一部の研究領域を除いて、研究費の枠が縮小傾向にあるので、足の引っ張り合いが激しくなっている。「研究者の声を聴きながら、ボトムアップで研究分野の優先度を決めている」と言うと聞こえはいい。しかし、日本の研究者で長期的な視野を持っている研究者など限られており、大半は自分の狭い領域のことしか理解していない。深い井戸の底から空を眺めて、周囲の様子を想像しているようなものだ。

 

国の経済基盤がしっかりとしている間はいいが、国として赤字がさらに拡大すると、自分の好奇心でやるような趣味の研究など不要と言われるに決まっている。誰かがお金を稼がない限り、国が研究に割く予算がジリ貧になることは自明の理である。日本の研究者は、国が研究に予算を割くのは当然だと信じているようだが、医薬品・医療機器は2兆円を超える貿易赤字を出しており、国の経済基盤を揺るがしている現実に視線を向けるべきである。

 

がん難民に希望を提供しているのは、海外で生み出された薬である。国民の負託に応えるために何をすべきか、これに思いが至らなければ、研究者は国民の支持を失ってしまうのではないのか?!

 

若い人たちには、もっと大きな視点で物事を考えてほしいと願ってやまない。

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