本業か雑用か?

日本に滞在11日間で、7回も講演したのでいささか疲れてきた。今日は東京大学本郷キャンパスで開催されたシカゴ大学―東京大学の連携シンポジウムで「Cancer Immunogenomics/immunopharmacogenomics」のタイトルで講演をしてきた。朝から夕方まで1日がかりのシンポジウムで、今回の帰国の仕事の仕上げとなった。

 

今回の滞在で多くの旧友や知人、かつての部下と話をする機会があったが、彼らが異口同音に語ったことは、雑用の増加である。このブログでも部分的に触れたが、学内・学外の委員会、研究費申請のための書類やその報告書、研究倫理に関する書類など、不祥事が起こるたびに増えてくるので、それらに多くの時間が割かれるとのことだった。

 

以前にも触れたが、大学の医学部には教育・診療・研究の大きな3つのミッションがある。大学の定員が削減される中では、個々の教官にかかってくる負担が員人の削減に反比例して増えてくるのは必然だ。患者さんの試料を利用した臨床研究や新しい治療法の臨床試験をする際など、個人にかかってくる負担は膨大である。

 

個人的にシカゴ大学と日本の在籍時を比較した場合、立場も異なるので単純比較はできないが、私自身が準備しなければならない書類量はかなり大きく減った。若手研究者や学内・学外の研究者と議論できる時間は10倍程度増えた。論文を読むために割く時間もゆったりと取れるし、頻回に開催されるセミナーなどにも参加可能だ。

 

世界と競争できる研究者を育てるためには、指導者も世界の最先端の知識を身につけ、世界と競争できる研究成果をあげなければならない。余程のスーパーマンでもない限り、研究や教育に割く時間をもっと増やさないと今のままではジリ貧は目に見えている。このブログでドクターXの話題に触れたこともあるが、研究者が研究以外に割く時間を減らす方策を真剣に考えるべきである。

 

研究の評価など、毎年やることに意味があるとは思えない。大型予算の研究などどのよう進捗管理していくかは大切だが、隔年の評価にすれば、評価者が一つの課題に割ける時間は倍にできる。そして、評価をしっかりして、そこで打ち切る課題、さらに力を言える課題などメリハリを付ければいいと思う。もし、研究が思わぬ進展をすれば、その都度評価する体制を組めば、研究の遅れを懸念することもなくなる。日本人社会は白黒をつけるのを回避する傾向にあるが、厳しい科学的な評価を避けては、進歩はない。

 

また、評価した人物が責任を取る制度を導入しないと、日本の「ゲノム研究の失われた10年」のように、無責任な評価者が今でも大きな顔をしているのは世界の笑いものだ。一人の研究者の不正行為より、科学行政のトップの判断の誤りは、国の将来に与える影響ははるかに大きい。学閥や研究者の人脈で厚遇・冷遇されるような評価は、懸命に頑張っている研究者の意欲を削ぐことになる。公平かつ厳正な評価をするためには、研究者が常に最先端の知識を保持していなければならない。研究者が研究に専念できる時間を増やしてほしい。そして、欧米などの先進国にアンテナを張り巡らしておくことは不可欠である。

 

日本の存在感が急速に失われつつある中、コップの中の争いではなく、国際的な連携プロジェクトを積極的に推進する必要がある。シカゴ大学―東京大学の連携がモデルケースとなって、日米連携に弾みをつけることを願ってやまない。

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