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理想と現実の狭間

医療(一般)

大学付属病院は、教育・診療・研究の3つのミッションを担っている。どの要素も非常に重要であり、これらを責任を持って実行する臨床教室のトップは、すべての要件を満たすことが不可欠だ。しかし、現在のように世界が急速に進展を遂げる中で、教育者として優れ、診療も他者に引けを取らず、研究者としても世界一流であるような人物がいるのかどうか疑問だ。

以前にも触れたが、大学の教室単位が小さくなったため、ひとつの教室は教授・准教授と少数の講師・助教プラス大学院生などで運用されている。この小規模化に加え、最近では、大学内に設置された多くの委員会や対外的な学会活動なども多くなり、本来の重要な業務である大学病院内で求められる3要件を満たすことに四苦八苦している状況となっている。

最新の医療・医学に関する情報も加速度的に増大してきているので、これらを追いかけるだけでも大変だ。ブログを書くようになって再認識したが、他者の欠点、不足している点をあげつらうのは難しくない。理想を基準に文句をつけるのは簡単だ。「患者さんに対して万全の体制で」「十分なインフォームコンセントを」「最新の治療法を」「次世代を育てるために教育体制を整備して」「国際競争に負けない研究成果を」・・・・と言っても、予算が切り詰められ、人員には限りがある。一人の人間にできることには限界があるので、今の状況で理想を医療現場に要求することには無理がある。

さらに不幸なことは、日本にはまともな医療ジャーナリズムが育っていないことである。過疎地の病院での名義貸し問題では、正義の旗を振っているつもりが、結局は過疎地から病院を無くすという弊害を招いた。地方の老人が、地元から離れた病院に入院することを余儀なくされたのである。福島県の産婦人科医の問題では、一人で地域医療に貢献していた多くの産婦人科医の気持ちを萎縮させた。医師の産科離れの要因になった。病気腎移植では、一流紙と呼ばれる新聞でさえ、まるで、三流のブラックジャーナリズムのように一方的な情報を垂れ流した。脳死移植に関わる臓器移植報道では、脳死移植を反対する一方で、時には海外で移植を希望する際には支援金を募り、そして、元気で帰国すると美談として報道するなど、支離滅裂である。最大の問題は、他人には反省を求めるが、自分たちが反省することがない点である。

現状を正しく認識して、医療費や医学研究費を増やし、現場をもっと充実させていかない限り、医療従事者の負担が過度になり、パンクしてしまう。鳥取県の養護学校で負担に耐えかねた看護師が一斉退職したというニュースがあったが、医療現場では同じような不満が蓄積されている。一生懸命に働いていても、最近の傾向のように敬意が払われず、権利だけを主張されては、気持ちが切れてしまって当然だ。みんなが平等ということは、敬意を払わなくていいということを意味していない。教育現場での崩壊も、平等を強調するあまり、先生に対する敬意を忘れたことが一因である。

医療を経済活性化の柱に据えながら、大学の職員削減を続け、理想論だけを振りかざしても、医師教育・診療現場・医学研究現場は疲弊してしまうに違いない。「教育」と「医療」は国家が活力を持ち続けるための最も重要な要因だ。これらにもっと投資しなければ、国力は間違いなく先細りになる。

医療費削減策として「酒類・たばこ」の税金を高くするのは賛成だが、砂糖にまで話が及んでは、少しどうかと思う。医療の質を向上されるには治療だけでなく、予防や早期発見が鍵となる。これには、健康や医学に対する教育がとても大切だし、予防医学に対する体制や支援が十分でないことも明白である。税金を上げる前に、健康に関する教育体制をしっかりと整えるべきではないのかと思えてならない。

医療費を予算の面から見て算盤をはじくのではなく、10年後、20年後の医療はどうあるべきかを描きつつ、医療の供給体制を考えなければ、ひずみが大きくなるだけだ。医療の質を確保した上で、医療費を考えるといった基本理念が欠けている。医療費の削減と財政確保をその場しのぎで考えるような状況では、絶対に日本の医療が国際的な競争力を持つ時代は来ないだろう。

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