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日本移植学会 対 田中紘一先生

読売新聞に「『移植医療の信用失いかねない』学会が危機感」との見出しで記事があった。冒頭に、「生体肝移植を受けた患者の死亡が相次いだ神戸国際フロンティアメディカルセンター(神戸市)で、新たに患者が死亡したことを受け、日本移植学会は6日、記者会見を開き、『移植医療の信用を失いかねない』と強い危機感を表明した。」と書かれていた。

 

2006年に宇和島徳洲会病院において病気腎移植問題が起こった際に、この日本移植学会は万波医師と臓器を提供した瀬戸内グループの医師を激しく糾弾した。メディアは、一方的に「病気腎移植」を批判する記事を流し続け、しばらくの間、移植を行った医師たちは、極悪非道のレッテルを張られた。その後、日本移植学会の医師たちの知識の欠如が露呈し、また、患者側からの訴えも重なり、この問題は有耶無耶なままで経緯している。日本移植学会は、まっとうな対応をしていない。

 

今回、再開1例目の患者さんが亡くなった件については詳細な情報を持ち合わせていないので、私の見解を表明するのは控える。しかし、正直なところ、私が田中先生の立場なら、小心者の私には、「肝硬変・肝臓がん」という高いリスクの患者さんの移植に挑む勇気はなかったと思う。成功確率の高い患者さんに対する手術で、成功症例を積み重ねた上で、難易度の高い手術への再挑戦を行ったに違いない。

 

今回のように手術直後に患者さんが亡くなられたとしたら、メディアや学会からの大きなバッシングを受けることは容易に予測できる。これまで築き上げたものを失うリスクが高い中で、今回の手術に臨まれた気持ちは、私には知るすべはない。ある新聞は、目の前の患者さんを助けたい思いが強すぎて、判断を誤ったのではないかとのコメントをしていたが、それはないと信じている。そもそも、生体肝移植という手法は、健康な患者さんをドナーとするが故に、当初は学会からも強い批判のあった治療法だ。「邪道だ」と吐き捨てた医師もいた。しかしながら、脳死移植ドナーが絶対的に不足する日本の文化の中で、目の前に患者さんを助けたいという気持ちが生体肝移植を医療として定着させたのだ。

 

私は、田中紘一先生と日本移植学会が、公の場で議論することを期待している。メディアも、是非、リスクを覚悟して手術を受けたいと願う患者さんや家族の声もしっかりと拾い上げてほしい。日本移植学会も「移植医療の信用を失いかねない」という以上、この際、「病気腎移植」に対して発した誤ったコメントを自ら反省してほしいものだ。

 

学会という組織を背景にして議論するのではなく、一人の医師として、一人の人間として、「目の前で命の灯が尽き果てかけている患者さんやその家族に何をすべきなのか」正々堂々と議論をして欲しいものである。私は、この問題は体制の不備で生じた「移植医療の信用を失いかねない」問題ではなく、医療人として、「患者さんとどう向き合う」のかを問われている問題であると思えてならない。社会に対して明確な回答を示すことができなければ、日本の医療に将来はない。

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