一縷の望み

ネパールの地震の話題に触れなかったのは、東北大震災時に「何もできなかった無力な自分」への自己嫌悪が蘇るのが怖かったからだ。あの時は、「心が折れた」表現では不十分なくらいの状態、「心が砕かれた」ような感じだった。ネパールの画像を見る度に、南相馬市の体育館のダンボールで区切られただけの場所で避難生活を送られていたご老人の顔が、フラッシュバックのように脳裏に蘇る。あの方たちに笑顔が戻ったのか心配である。ネパールの方たちにも早く笑顔の戻る日が来ることを願ってやまない。

 

がんに話を移すと、今日も(なぜが、最近増えてきた)、ヨーロッパ在住の30歳のがん患者の御主人から、SOSメールが届いた。10月に報告した新規抗がん剤の治験を受けることができないのか、という必死の問い合わせである。かつて、27歳の時に天に召された胃がん患者さんの顔が浮かぶ。「大腸がんの母を何とかしてほしい」という依頼には、亡き母の苦しい顔が思い浮かぶ。10歳を筆頭に4人の子供を持つ北欧の女性患者のご主人からの切々たるメールには、2人の幼子を残して旅立たれた、大腸がん患者の臨終場面が昨日のように浮かんでくる。このような問い合わせがあるたびに、何もできない自分が情けない。心が痛み、張り裂けそうになる時もある。

 

薬剤開発段階がある程度のところまで到達すると、もはや、私のできることは限られている。米国にいる知人たちに紹介して、治験の依頼をすれば、あとは担当者の仕事だ。そんな時、サラリーマンのような開発担当者のコメントを聞くと血管が切れそうになる。「君たちの親や兄弟、子供があと何か月の命と宣告されても、気楽に今のような悠長なことを言っているのか」と怒鳴りつけたくなる。「六分の侠気 四分の熱」という詩があったが、しゃかりきになって、解決口を見つけ出そうとする熱意が感じられない。「仕事は勤務時間を守り、あとは自分の時間」と言ったところか?私の生きてきた時代と違うのか、とにかくパッション伝わってこないのだ。それとも私が歳を取りすぎたのか?フラストレーションがたまる。

 

そのような状況の中、臨床医に戻りたい気持ちが、日々強まってきている。「おまえなど、臨床を数十年も離れているのだから、医者に戻る資格はない」と叱られそうだが、患者さんや家族からのメールをいただく度に、標準化医療のマニュアルに則って、ロボットのように返答する医師よりは、患者さんや家族により添えることができるのではという思いが日々に強まってくる。また、最新の医薬品開発状況についての知識には自信がある。この3年間、米国の学会や大学のセミナー、治験審査委員会で触れた知識量は膨大だ。

 

あと1歩から数歩で非臨床試験(動物実験)に入れるような薬剤も複数あるので、それらに決着をつける責任はあるが、本当に患者さんにより添いたい、そんな気持ちが募るのだ。日本でのがんワクチン臨床研究を含めると、過去10年に数千件に及ぶ問い合わせを受けた。その「一縷の望み」を訴える声が、重荷となって肩にのしかかっている。免疫療法外来を手伝ってほしいと誘ってくれる病院があれば、真剣に考えたい?

 

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