生体肝移植事件―2

生体肝移植に関する報道を読んでいて、かつての「宇和島徳洲会病院で行われていた病腎移植」や「福島県の産婦人科医」の報道を思い起こした。両者ともに、私は即座に医療側の応援をするコメントを、当時連載していた日経メディカルのブログに掲載した。徳洲会本部に問い合わせて、金銭の授受がないことを確認したうえで、万波医師に対する応援をしたのだ。メディアがこぞって悪者に仕立て上げようとする中だったので、もちろん、私に対する非難もかなりのものだった。

 

福島の産婦人科医のケースでは、多くの医師や学会なども応援に回っていたが、病腎移植問題では、ほぼすべてのメディアが万波医師と瀬戸内グループを連日大悪人のように攻撃する記事を掲載していた。移植学会(皮肉にもこの時の理事長は田中紘一先生であった)の一部の幹部が、議論をリードして万波たたきを執拗にしていた。

 

この時の議論も「学会の指針に即していない」ことが非難を浴びる最大要因だった。しかも、メディアも不勉強な学会幹部たちの情報を鵜呑みにして、記事を垂れ流すだけで、まったく科学的な検証もしない、呆れかえるような報道だった。結局、被害者と思われる人のいない中、世界的に見れば病腎移植を実施していた医師は他にも少なからずあり、過熱報道は一気に熱が覚めてしまった。もちろん、万波医師には今でもお咎めはない。

 

今回の件でも、続報に「死亡は回避できた」などが見出しに出ていた。学会がそういったのか、メディアがその点を強調したのか、知る由もないが、この見出しを出すメディアの感性が私には許せない。確かに、手術をしなければ、あるいは、絶対に失敗しないドクターXが手術をすれば、手術による死は回避できたであろう。しかし、この患者さんたちの死が回避できたのか?肝移植が必要な状態とはどんな状態なのかという素朴な疑問さえ湧かないのだろうか?

 

肝機能が悪くなり、確実に死に向かって進んでいるから、肝移植が必要なのだ。しかも、子供さんの場合、脳死患者から肝移植を受けることのできる可能性など、日本ではほぼないと言っていい。生体肝移植の臓器提供者は親兄弟に限られるのだ。移植を受ける患者さんの条件が悪いということは、それだけ死が近いことを意味している。

 

もちろん、それぞれの人が自分の判断をすればいいが、私は下記のような条件でも、10%の可能性に賭けて、躊躇なく自分の子供に対する生体肝移植をお願いする。

  1. 子供の肝臓の機能がどんどん悪化して回復する可能性はない
  2. 子供の肝機能は日々悪くなり、手術によって死亡するリスクは日々高まる
  3. 残された命が3-4か月と宣告されている
  4. 肝臓を提供できる人間は、脂肪肝をもっている私しかいない
  5. 子供の状態、私の脂肪肝を考慮すると失敗確率は高い
  6. 脳死肝移植ができる可能性はほぼ0%

「手術による死を回避できた」としても、生体肝移植をしなければ遅かれ、早かれ100%の確率で亡くなってしまうのだ。こんな状況で、この「死亡は回避できた」ことに力点を置いて何を言いたいのか!黙って死を看取ることの方が、メディアの正義なのか!何もしないで自分の子供の死を待つくらいなら、私は10%の生き延びる可能性に賭けてやりたい。たとえ、結果的に不幸な転帰となっても、自分のできるすべてのことをしてやりたい。もちろん、他人にこの考えを押し付けるつもりはないが、自分の子供の生きる権利は妨げないでほしい。

 

骨髄移植の過去の歴史を振り返って見よ。そして、その時々の標準から外れたことに挑み、その標準では救えない患者さんたちを救う道を開拓してきた歴史をぜひ学んでほしい。標準の枠、指針の枠から、一歩踏み出さなければ、今助けられない条件の患者さんたちは、永遠に助けられないのだ。

 

上記の肝移植の条件は、進行がん患者さんたちと新薬との関係にも類似性がある。治療を受けない場合の100%の死亡確率、新薬の40%の有効確率、新薬の予知できない副作用。こんな確率など関係なく、日本は、患者さんたちの生きたい願う気持ちよりも、絶対的な安全性が優先される。

 

産婦人科の世界では、学会の指針に従わなかった医師たちが新しい医療を切り開いてきた。学会の特権意識・利権などぶっ潰せ。

f:id:ynakamurachicago:20150424132951j:plain