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医師としての良心

医療(一般)

昨日の朝はマイナス13度と最低気温記録を更新したが、夕方から南風に変わり、温度は急上昇して、今朝8時にはプラス1度となった。今週はようやく最低気温がプラスになり、最高気温も10度を超えるようだ。昨年の11月から始まった冬がようやく終わりを告げ、春がやってきた。依然として、地面には雪が残り、湖岸には氷が張っているが、今週の半ばには消えてしまうだろう。

 

日本は株価が上昇し、景気も良くなりかけて、経済界には明るい兆しが射してきているが、医療界・医学界には暗いニュースが続いている。理化学研究所の野依理事長が退任することになったとの記事を読んだが、小保方問題を考えれば仕方がないことだと思う。まさに、ジェットコースターのように理化学研究所の評価が急上昇のあと、泥沼の急降下となったし、組織としての対応のまずさは批判を免れないだろう。

 

今後、理化学研究所がどうなっていくのか、不安が大きい。私も理化学研究所で勤務していたのでよくわかるが、組織としては官僚機構そのものである。予算は文部科学省管轄だし、名前は独立法人だが、自律的に独立して運営されているとは言い難い。理化学研究所には、多くのセンター、施設があるが、成果を挙げても、挙げなくても、全体の予算の増減によってセンターの予算がほぼ同じ割合で増減する。この悪しき平等主義が研究者のやる気をそいでいる。今の予算制度では、この運営方式を変えるのは難しいだろう。しかし、これを機会に、大変革をして、日本の科学の牽引役として立ち直って欲しいものだ。

 

そして、大きく注目されているのが群馬大学付属病院の問題である。ニュースを読む限り、救いがたいとしか言いようがない。現行の制度では、医師免許を取得すると、どの診療科を選ぶのかは医師個人の自由である。手先が不器用でとても外科医には向いていないと衆目が一致していても、本人がなりたいと思えば外科の道を進むことができる。

 

しかし、それでも、われわれの時代には、先輩医師は個人個人の実力を評価して、どの程度の手術まで若手に任せるのか、暗黙の了解の元に決めていた。不器用な医師は、周りとの比較などから、自然に自分の限界を悟り、最終的には別の道を選んだものだ。医師として、人間としての良心があれば、当然のことではないのだろうか?

 

群馬大学問題に関して、病院や診療科の組織としてのチェック機構が機能していたのかどうかという議論になっているが、診療科や病院のシステム以前の問題であると思う。まず、医療人としての良心という根源的な問題を問いかけねばならない。ここに至るまで、周辺の人たちが、どのようにこの事態を考えていたのか、それを知る必要がある。

 

医学部の新入生に「ノーベル賞を目指して頑張れ」と訓示をした医学部長がいたが、こんな考えで医学部の学生を教育すれば、自分を最優先に考え、患者や家族を顧みない医師が生まれてきて当然である。本来は、医療を目指す目的意識をしっかりと持った学生が、医学部を目指すべきではあるが、数十年前から、学生の多くが、「偏差値が高いから」「教師に勧められたから」という理由で医学部に入学してきている。このような学生たちに、賞を目指せなどと言っていては、医療にとって最も大事にすべき「心」を置き去りにした医師が多く排出されても不思議ではない。

 

群馬大学付属病院の出来事は、単に一人の医師、一つの病院の問題として片づけられるのではなく、現在の医療教育に突き付けられた大きな課題であると認識すべきではないかと思う。

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