「神話」ブログ削除?

今朝は2月28日として史上最低のマイナス18度を記録した。明日から3月なのに、最高気温が氷点下の日が続いている。寒さの影響か、それによる運動不足のためか、両者の相乗効果かはわからないが、のどが渇き、眠気がして、体がだるかったので、血糖を計ったところ、記憶にないような値に跳ね上がっていて少々あわてた。

前日に、炭水化物を取りすぎたわけでもないので、いささか落ち込んだ。しかし、こんな時は、とにかく運動するに限るので、大学と自宅で階段を上り下りして心臓をパクパクさせたところ、今朝には普段通りに戻った。オフィスで息を弾ませていたのを奇異に感じた学生がいたかもしれない。これまでも冬場になると調子が悪かったが、体を寒さに晒すのは危険だと改めて感じた。

話は全く変わるが、産経新聞に『「感動した」「削除必要なし」 中学校長「神話」ブログ削除の本紙記事 読者から多数の声』という見出しの記事があった。(http://www.sankei.com/life/news/150228/lif1502280035-n1.html)産経ニュースの読者でない限り、この記事を目にすることはないだろうと思いながら読んだ。

愛知県一宮市の市立中学の男性校長が、市教育委員会から注意を受け、神話や日本建国について書いた学校のブログ記事(最後に添付)を削除していたとの記事であった。確かに神話や日本建国について触れているだけでなく、昭和天皇とマッカーサー連合国軍最高司令官のくだりなど、左よりの人には気に障るのかもと思った。

しかし、全文を読んでも、教育的にどの点を問題視してるのか、さっぱりわからない。日本国憲法には天皇は日本国の象徴と明記されているし、尊敬の対象として何が悪いと言うのだろうか?東北大震災の際の日本人の秩序正しい行動は、海外から賞賛を受けたが、その原点は「他人を思いやる心」にある。話にある仁徳天皇稜は、私がかつて勤務していた大阪府堺市の市立堺病院の近くにあったので、なじみ深い。昭和天皇のエピソードもよく知られていることである。この校長のブログのもととなった仁徳天皇にまつわる話が、神話であっても、作り話であったとしても、「他人を思いやる」この話は、日本人に限らず、人間としての源流に関わる大切なものに触れている。東京オリンピック招致のキーワードともなった日本人の「おもてなし」精神もこれに通ずると思う。

戦後、「日本、日本人は悪いことをした」と教育し続けてきた人たちがいた(今も、たくさんいる)。台湾、とくに、高雄など南部に行くと、日本の行ってきたことを批難する声は小さく、逆に日本人は慕われていると実感する。タイなど東南アジアにいっても、日本は尊敬や憧れの対象となっていると感ずることが多い。日本の教育現場に見られる自虐史感など、日本特異的現象ではないとかと思う。自分の国に誇りを持たせるような言動をすると、それを右翼的と批難するが、自国に誇りを持つ若者を育てずに、日本の将来があるのだろうか?事実を捻じ曲げよと言うのではない。事実に基づいて、日本人が日本という国に、そして、日本人に誇りを持つことを育んでいくことが重要だと強く思う。

しかしながら、記事の後半に

市教委に電話した読者から「市教委は『校長にはブログを批判する電話が1件あったことを伝えただけで、注意はしていない』と記事を否定している」として事実確認を求める声もあった。産経新聞は市教委の担当者らに複数回にわたり取材し、市教委の担当者が「指導」という言葉を使い、「校長注意」を認めたことを確認している。

とあったのにはあきれ返った。何と腰の引けた教育委員会なのか。電話が1件あっただけで、わざわざ校長に注意するのか?注意・指導したなら、堂々と何を問題と判断したのか述べればいいではないか。国会でも、揚げ足取りの議論が続いているようだし、戦後70年、何か大切なものを失いつつあるのではと思えてならない。

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≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫

 2月11日は建国記念日です。 そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天 皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家から は、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。

 仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。

三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

 「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

 そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

 皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

  すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにな らず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくま に立派な宮殿ができあがったといいます。

 この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

 こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

  「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐 れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

  それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進 み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を 取ったのです。

 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。

 こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

  「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐 れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

  それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進 み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を 取ったのです。

 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。

 こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

  「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐 れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

  それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進 み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を 取ったのです。

 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。

古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

 私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)