中村研究室の事件簿(3):大みそか転落・意識消失事件

事件というよりも事故と呼ぶべき出来事は、2000年12月31日に起こった。新年を迎える前日であるので、この日を忘れることはない。10年間、大みそかでも休むことなく働き続けていたし、大きな研究事業が軌道に乗り、正月休みを長く(といっても4日間だが)取ろうと考えた。こんな気の緩みに、罰が当たったのかもしれない。慣れないことはするべきではない。

 

滅多にしたことのない家の掃除を手伝っていた。家が坂道にあったので、玄関は階段を十数段ほど上がったところにあり、車庫は庭の下にある形で道路に面していた。庭の雑草を抜いていた時、上からながめると、車庫のひさしにも雑草が見えた。長年放置したので無視すればよかったが、どうしてもこれが気になったので、庭から車庫のひさしに飛び降りて抜こうとか考えた。しかし、年齢と共に筋力もバランス感覚も衰えることをすっかり忘れていた。もはや、四十代後半だ。

 

庭のフェンスを乗り越えて飛び降りたが、車庫のひさしに着地した瞬間、バランスを崩した。そして、後ろ向きに倒れ、2メートルほど下のアスファルト道路に見事に転落した。下にいた家内が手を添えて支えようとしたが、70キロ以上の体重を支えられるはずもなく、後頭部を強打した。その瞬間から意識が消失した。

 

意識を取り戻したのは、救急車に運び込まれる直前であったが、その後も朦朧状態で、はっきりしたのは、病院でCT検査を終えた後であった。後頭部に裂傷があり、10針ほど縫合を受けた。頭がボーとしてすっきりしなかったが、医師は「CTでは異常はありませんので、帰っていただいて結構です」という。不安はあったが、正月を病院で迎えるのも面白くないので、家に帰ることにした。なぜか、靴はなく裸足のままで、タクシーに乗り込んだ。事故現場に戻ると、20センチほど血溜りができていた。傷は見えなかったが、かなりの裂傷だったと改めて事故の衝撃を振り返る。これが側頭部だったら、間違いなく、硬膜下血腫ができていただろう。ひょっとすると、あの世に行っていたかもしれない。

 

帰宅して3-4時間安静にして寝ていたが、なんの症状もなく、たいしたことがないと思ったのが間違いだった。退屈なので本を読もうとした。その途端に、字が大きく横に揺れて(1メートルくらい大きく横揺れするような感じだ)、急激に吐き気が襲う。眼振だ。目を閉じていたり、遠くを見ていると何ともないが、近くを見ようとすると焦点がうまく合わず、眼球が左右に大きく揺れるのだ。

 

正月3日間、安静に寝ていたが、パソコンや本を見ようとすると吐き気が襲う。正月明けに、病院に入院して検査を受けるが、医師は時間が経つのを待たないと仕方がないという。おそらく、後頭部を強打した時に、平衡感覚に重要な耳石が飛んで、うまく平衡が取れないだろうとのことであった。それらが落ち着くまで症状は改善しないだろうし、時間がかかるのではとのことであった。本も、パソコンも見ることができなければ、研究者として終わってしまうので、知り合いの脳外科医に片っ端から連絡をする。

 

答えはみな同じで、段々と目の前が暗くなってきたが、兵庫医科大学の有田教授が、「吐き気がする方向に頭を向けて寝ているとよくなるかも」と言ってくれた。頭を左に向けると強い吐き気がして嘔吐しそうになるが、1時間に1回ずつ30秒から1分間ほど、嘔吐しそうな限界に達するまで頭を横に向け、耐え続ける。すると、翌日には、本に目を向けると数センチほどしか横揺れしない。もう一日、頑張ると、ほぼ正常に戻った。神様、仏様、有田先生だ。そして、1週間ほどで日常生活に戻った。最近、首の付け根が激しく痛むが、この時に頸部を損傷していた後遺症かもしれない。

 

そして、その後、絶対に大みそかには掃除はしない。研究室の人たちからも、釘を刺されている。お分りと思うが、これは私の事件簿だ。この年、高級なおせち料理が用意されていたが、それを口にできなかったのが、今でも心残りだ。

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