責任の所在?

今度は、読売新聞に「首相は4日午前の衆院予算委で、「イスラム国」に日本人2人が殺害されたとみられる事件について、『このような結果になったのは大変残念。その責任を引き受けるのは当然だ。すべからく国の最高責任者である私にある』と述べた。」とあった。

 

どう考えても責任の所在はイスラム国にあり、危険を承知でシリアに行った二人もその一部を負うべきである。米国のオバマ大統領も、イギリスのキャメロン首相も、このような残虐なテロ行為に対して、自らに責任を課したことはない。フランスのテロ事件があった際にも、オランド大統領はテロ行為を非難はしても、自らに責任を問うことはなかった。オウム真理教の事件があった際に、その責任が総理大臣にあると責めた人がいただろうか?

 

私は安倍首相のリーダーシップが、日本の閉塞感を打ち破ると期待していただけに、今回の件に対するのめり込んだコメントには困惑せざるを得ない。テロに屈しないとすれば、身代金の支払いも、他国の死刑囚との交換もあり得ない。その帰結として二人の死が起こったことに、何故、ここまで責任を主張するのか、私には理解できない。遺憾なことではあるが、それと責任とは違うように思う。

 

前回のブログで紹介したニューヨーク・タイム紙にあるように、戦後70年間平和国家として生きてきた日本が方向転換するのかと、懐疑的な目を向けられている時に、二人の死に対してどのような対応をしようとしているのか、少々不安になってきた。イギリスのメディアでも、日本は対テロ戦争に参加するのかどうかに注目が集まっているようだ。憲法解釈上は無理なはずだが、総理のコメントから、そのような意思があるのではとの推測が生まれているようだ。

 

日本の誇りは、70年間他国と戦闘行為をしなかったことにあるのではないのか。国には自国民を守る責任はあるが、その手段によっては、もっと多くの国民が犠牲になる危険性もある。日本は救出のために部隊を派遣することもなければ、テロに屈して相手の言いなりになることもない。だから、危険地域に向かく人は覚悟をして行ってもらうしかないという方が、日本の平和主義を示すためには論理的なのではないのか。

 

本当に責任を感じて決意するのは、罪もなき日本人が、テロの危険にさらされるようになった時ではないのかと思う。それにしても、民主党の人たちが、中東に行った時期が悪いとか噛みついているようだが、難民支援や今回の政府の行動のどこに非があるというのか?東北大震災の避難民対策もまともにできなかった自らをまず反省してほしいものだ。

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