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国民の命を守るのは政府の責任!?

雑事

産経新聞に「世耕弘成官房副長官は2日夜、BSフジの番組で、「イスラム国」が殺害したとする後藤健二さんがシリアへ出発する前、外務省が3回にわたって渡航の見合わせを求めていたことを明らかにした。その上で『われわれは自己責任論の立場には立たない。国民の命を守るのは政府の責任で、後藤さんを守れなかったのは政府の責任だ』と述べた」とあった。

私はこの発言には、驚いた。確かに、政府には国民の命を守る責任があるが、このコメントにあるように外務省が渡航をやめるように複数回、求めていたのであれば、やはり、自己責任を逃れられないのではないのか。2億ドルの身代金を支払うのも不合理な話だし、他国の死刑囚を解放するかどうかの決定に日本政府が責任を負うのも変な話だ。もし、立場が逆で、他国の人が囚われて、オウム真理教事件の責任者を解放しろと要求されても、日本国民がその解放に納得するとも思えない。ヨルダンのテロ被害者に対して、どんな説明ができるというのか。もしや、政府の責任として、救出するために、救出部隊でも派遣すると言うのだろうか?

感情論に流されて、海外で自ら危険を冒した人まで、国の責任で守るなどと発言すると、ニューヨーク・タイムズ紙の見出しにあった「Departing From Country’s Pacifism, Japanese Premier Vows Revenge for Killing」(日本の首相は、国の平和主義を捨て、殺害に対する復讐を誓った)と、筋違いの批判を増幅しかねない。これでは、日本が軍隊を派遣するような意図があるのではと勘ぐられるだけではないのか?旅行中の何の罪もない日本人が拉致されたのなら別だが、今回のようなケースで、自己責任を問わないのは納得できない。政府が今回の事件で多大な労力を払ったことには敬意を払いたいが、自分の命を大切にしようとしない人たちの死に対して、すべて政府の責任であるかのように口にするのはいかがなものかと思う。

もし、政府が国民の命を守る義務があるというなら、「いじめで自殺に追い込まれるような環境」の改善や、「臓器移植を受けるチャンスもなく亡くなっていく人たち」や「海外では利用できる薬剤があるにもかかわらず、日本では手に入らずに悔しい思いで亡くなっていく患者さんたち」の命を救うことなど、他にも政府が果たすべき責任がたくさんあるのではないのだろうか。珍しくもなくなった虐待児の命を守ることに、もっと注力できないものなのか?今回、日本政府や関係者が払った努力と同じ努力を、いじめ・虐待や病気で苦しんでいる子供たちのために払えば、どれだけ多くの子供を救うことができるのだろうかと思えてならない。

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