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がんと戦え!

 

私がシカゴに移ってからも、がん治療に関する問い合わせがたくさんある。その中で最近増えてきているのが「がんと戦うな」との説に惑わされた声だ。私に質問してくる患者さんや家族は、当然、戦いを続けたいが、副作用などで苦しんだり、その姿を見て希望を託してメールを送って来られるのだと思う。

このブログを読んであられる方の中にも、迷っておられる方がたくさんいると思う。その方々は、下記の文章を読んで欲しい。拙著の最後に書き溜めた私の患者さんや家族に対する思いだ。

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私は2012年3月に日本を去り、米国シカゴ大学に移った。日本という国の現状に失望し、自分の無力さを痛感し、しかし、がん患者さんへの希望をつなぐための光を求めて。

日本で「がん難民」という言葉が使われるようになって久しい。多くの方は、この言葉から現代医療のすべてを尽くしても救えず、希望を絶たれたがん患者をイメージするのではないかと思う。しかし、海外で利用できるにもかかわらず、わが国では利用できない治療の存在が、「がん難民」を作り出していると考える人も少なくない。この背景として、臨床試験(治験)の環境が海外に比して悪いこと(高コスト、長時間、低品質)が指摘されたため、国はいくつかの対策を講じ、欧米との薬剤承認と日本での薬剤承認の差(ドラッグラグ)の短縮に勤めてきた。しかし、他のアジア諸国との台頭とともに、日本の存在感が低下し、日本飛ばし(ジャパン・パッシング)が顕著となり、再び、危機的な状況を迎えている。また、日本発のがん分子標的治療薬の開発の遅れが、日本人患者が新しい治療薬にアクセスできないことが問題を拡大している。

これら新しい治療法を受けることのできない(海外にはあるが日本で使えない、または、世界中のどこにもない)「がん難民」に加え、正しい情報に基づいた治療法を受けることができない「がん治療難民」も多く存在している。現在、日本ではがんに罹る生涯リスクは50%、すなわち、二人のうち一人の日本人ががんを体験する。しかし、がんは決して治らない病気ではなく、がん患者の半数は治癒する。しかし、適切な情報で、適切な治療を受ければ、が前提である。がんという放置すればほぼ確実に死につながる病名を告知された場合でも、「できれば手術を受けたくない」「できれば乳房を残したい」「できれば抗がん剤治療や放射線治療は副作用が苦しいので受けたくない」と考える患者さんは少なくない。今は、セカンドオピニオンが比較的簡単に受けられ、判断に迷った患者さんは別の医師の考えを聞き、それに基づいて自分の受ける治療を選択する。しかし、どうしても自分の思いを叶えてくれるまで意見を求め続け、甘い言葉の罠にはまって間違った選択をされる方もいる。それが、標準的な治療法から大きく逸脱していても。

標準療法の根拠の多くは、大きな集団の比較、たとえば「1000人のある治療(治療法A)を受けた患者」と「同じような条件の1000人の別の治療法(治療法B)を受けた患者」とを比較して、どちらの治療法ががんの悪化を抑えたのか、どちらの方が生存が長かったのかを比較して優劣を決める。したがって、科学的な根拠(エビデンス)に基づいているといえる(個人差はほとんど配慮されていないが)。良心的な医師であれば、まず、この標準的な治療法を患者さんに推奨すべきである。独りよがりの根拠のない治療法を推奨する上に、その科学的な解析結果を示さないことは百害あって一利なしである。全国どこでも均質の治療を受けることができる観点では標準法の確立は重要である。

といっても、私は標準的治療法に諸手を上げて賛成しているわけではない。なぜならば、20世紀には患者さんの集団を一括りでまとめて統計学的に比較するのが、最も科学的な手法だったが、21世紀となった今、患者さんの個人差を計測する科学的な技術革新が起こり、患者さんの個性を評価することができるようになってきたからだ。ある抗がん剤が非常によく効く患者、同じ治療薬なのにまったく効かない患者、そして副作用で苦しむ患者、これらの背景となる原因が科学的に明らかにされてきている。私は、個々の患者の差を判定して、それぞれの患者さんに適した治療法を提供する医療をオーダーメイド医療(最近では個別化医療と呼ぶ人も多い)と命名し、国として取り組むべきであると15年位前から推奨してきた。

このオーダーメイド医療化のひとつの重要な鍵となっているのはゲノム解析である。ゲノムとはわれわれが親から子へと受け継ぐ遺伝子情報の総称であるが、30億文字の本に書かれた情報を精子や卵子を通してわれわれは受け継いでいる。この情報にはお酒に弱い情報や糖尿病に罹りやすい情報などさまざまな情報が記され、われわれの持って生まれた個性が大きく影響される。細胞が1個から2個に増える(分裂する)際に、この何十億もの情報がコピーされるが、時として誤字・脱字・ページ落ちなどのエラーを起こす。大事な部分にミスが起きると、細胞ががん化するのだが、患者さんごとにエラーの種類や数が違うため、がん細胞の性質が違っている。20世紀の科学では、この個人差を識別することができなかったが、21世紀の科学はこれを可能にしつつある。

1990年から始まったヒトゲノム計画ではこの30億文字を明らかにするために十数年と約1000億円の経費が必要だったが、2005年には約2年と数億円で可能となり、2010年には1週間で百万円弱となった。2013年には1日で千ドルでできるようになる。驚異的な技術革新によって各患者さんの個性を見極めて治療法を選択する時代に突入している。といっても日本は蚊帳の外であるが。米国では個々のがん患者のゲノムを調べ、それを利用するための国を挙げての対策が進みつつある。

標準化治療のひとつの問題点を前述したが、もっと大きな問題点は、これによって進んだ医療のマニュアル化である。まさに医療のファーストフード化が引き起こされている。マニュアルとおりに患者さんに対応すれば、自分の責任を果たすことができると考え、データを見ても患者を診ない医師が多くなってきている。メディアの無責任な医療報道がこのような「あたりさわらず医療」の背景ともなっている。マニュアルとおりに治療計画を進め、マニュアルに次の治療に対する指示がなければ、安易に治療放棄と死の宣告をする状況が固定化されてきた。

この状況に、治験が進まない、日本発の治療薬が生まれないことが重なり、多くの患者さんが医療から見捨てられたと感ずるようになり、その家族とともに残された日々を「死を100%の前提とした」暗黒の精神状態で迎えざるを得なくなった。私はかつて外科医として勤務していた時に治療法のない患者さんに接し、そして末期大腸がんであった母と悲嘆にくれる父を間近でみて、希望のない味気ない日々にわずかな希望に火をともすことの重要性を痛感しました。

私の研究室では、そして親族をがんで亡くした研究者やがんという病気の前に成すすべがなかった体験を持つ多くの臨床医たちが集い、がんという病気と闘うための道具を患者さんに提供すべく、日夜研究を続けてきました。その結果、がんの新しい治療法の可能性につながるものを見出してきました。しかし、研究に励むだけでなく、日本の国の体制を変革しなければ道具を患者さんに届けることが非常に難しいと考え、内閣官房に設置された医療イノベーション推進室長に就任した。「イノベーション」を起こすには国の体制に「レボルーション(革命)」が必要だという思いでした。しかし、大震災によって「イノベーション」は吹っ飛び、研究者としての再起の場として米国という地を選びました。彼我の差を改めて学ぶことの大切さも認識したからです。

そして、渡米する2ヶ月前、「あさイチ」というNHK番組で「がんペプチドワクチン」が紹介され、スタジオのゲストのみならず、患者さんやその家族の凄まじい反響に遭遇した。そこで、患者さんや家族の方に少しでも正しく情報をお伝えすることに責任を負うべきであると考え、「がんペプチドワクチン革命」という本を書くことにした。ワクチンに限らず、ゲノム研究を含めた多くの最新医学研究が、秒進分歩の速度でがんという病気を追い詰め、新しいがんと戦うための新しい道具を生み出そうとしている。そして、米国に来て感ずることは、患者さんや家族にはがんという病気と最後まで戦ってほしいという気持ちである。がん患者さんに「希望を提供し、笑顔を取り戻す」ために私も頑張りますので。

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夜明けの来ない夜はない。

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