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権限と責任

雑事

今、シカゴ・オヘア空港でこれを書いている。久しぶりにというほどではないが、1週間日本に滞在する。もちろん、今年最後の日本帰国である。歳も取ったし、時差の関係もあり、日本に帰国するのはかなり疲れるので、できる限り控えようと思っていたが、今年は7回も日本を往復した。といっても、全部で25泊程度なので、いつもかなり強行日程だ。来年もすでに5回、日本へ帰る予定が入っている。

 

学会に招待されることは光栄だが、研究内容ではなく、「日本の医療の将来」のようなテーマで講演を依頼されると、最近は気持ちが引けてしまう。もはや、私には日本の医療・医学・がん研究に関する何の影響力も権限もない。ブログのような形で無責任に批判をすることはできるが、現実的に影響を及ぼせることなど何もないのである。と知りつつも、一言言わずにおられないのだが。

 

日本にいた時は、ゲノム研究やがん研究に少しは物申すこともできたが、今は何の権限もない。米国では、大学内で力のある研究者、高く評価される研究者は、研究費や寄付金をたくさん獲得できる研究者である。国の研究費予算が削減される状況下では、寄付金などを集めることができる研究者が大学では優遇される。この基準では、今の私は大学内で評価の高い研究者には分類されない。

 

日本でも、研究費が削減されるにしたがって、教授選考過程で予算を多く取れる研究者が優先される傾向となり、研究機関の哲学に則って、若手研究者を育てるといった気持ちが失われつつあるのは寂しいことだ。人材育成こそ、日本の将来にとってかけがえのないものだ。若手への予算配分を増やすことによって人を育てようとしていたが、お金がすべてではない。それよりも、人を育てることのできる人材発掘が最も重要だ。大きな組織では、そのような人物をトップに据え、権限と予算を付与して最低でも5年間はその人に任せるシステムが必要ではないかと思う。

 

大企業と呼ばれる企業も最初はすべてベンキャー企業であったはずだ。ソニー・パナソニック・ホンダを見ても、創業者たちの権限と責任で運営して成功した。「和をもって貴しとなす」組織は右肩上がりの社会ではいいかもしれないが、逸材を育てるには難しい環境だ。波風を立てないことを主眼とした運営では決して、大失敗はないが、次世代の芽を育てて、大きな成功につなげる可能性は低いと思う。

 

日本の過去20年の停滞は、いろいろな要因によるが、長期間、何も決められない政治が続いたことが最大の要因のひとつだ。何も決められなければ、何も変わらない。がんが見つかり、手術しようかどうか、4-5年間議論するだけでは必ず手遅れになる。手術には必ずリスクを伴うが、しなければ確実に死に向かう。今の日本は、治癒可能かギリギリの段階だ。久しぶりに長期政権の「権限と責任」に期待したい。

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