オンコセラピー社に託した夢-(1)

オンコセラピー社の臨時株主総会が24日に開催され、新体制が発足する。2001年に設立されたので、すでに13年の歴史となる。私は外科医を経て(メスを握っていた期間は7年)、遺伝性のがんを研究するためにユタ大学に留学した。留学した際には外科の医局に戻るつもりであったが、基礎研究を通して広く医学に貢献するやりがいに目覚め、基礎研究を続けている。基礎研究者として踏み出した理由、オンコセラピー社を設立した意図、そして、今思うことを3回に分けて紹介したい。

 

私が、基礎研究として遺伝性のがんを研究することを思い立ったのは、堺市民病院での二人の患者さんとの出会いによる。一人目はIさんという私と同じ年齢(当時27歳)のスキルス胃がんの女性患者であった。私が担当となったときには、がんがすでに腹腔内に広がった状況であった。がんでやつれていたものの、元気なときにはさぞかし魅力的であったであろうと思われる女性だった。入院当初は婚約者がよく見舞に来ていたそうだが、入院生活が長引くにつれて、姿をみせなくなっていった。当時は、がんの告知はあまり行われておらず、患者に対しては胃潰瘍と説明していた。抗がん剤も効かず、鎖骨の下の静脈から管を入れて栄養を補うことが、唯一の治療だった。本人はおそらく、自分の病気が「がん」だと気付いていたと思うが、「潰瘍なのにどうしていつまでたっても治らないのか」と質問を受け、返答に困ったものだ。

 

自分とほぼ同じ年齢の患者が、日々衰えていく様を目にしながら、病室を訪れては適当な説明をすることしかできなかった。医師としてまったく無力な自分に腹立たしかったのは言うまでもない。なんとなく、阿吽の呼吸で平穏な日々を過ごしていたが、ある日突然、患者さんが、こんな力が残っていたのかと思うような力で私を引き留め、「このお腹の中の塊をなんとか取り除いて、楽にしてください。」と泣き叫んだときには、医師であることを忘れ、もらい泣きしそうだった。答えが思いつかず、狼狽えただけの自分が今でも恥ずかしい。もう少し、私が医師として、人間として成熟していれば、精神的な苦しみを少しでも軽減できたのではないかと悔やまれる。そして、もし、もっと早く見つけることができたならば、今ごろ、家族に囲まれて幸せな結婚生活を送っていたに違いないと思うと寂しくもある。

 

 二人目の患者は30代半ばのN氏だ。腸閉塞になってお腹がパンパンに膨れ上がり、嘔吐がひどくて緊急入院してきた。原因は大腸がんで、すでに肝臓にも転移があった。腸閉塞を改善するため、緊急開腹手術をしたが、がんは切除することができない状態だったので、がんの上側と下側の部分の腸をつないで、食べ物が通るようにしただけで、手術が終わった。手術後の経過はよくて、食事も取れるようになり、抗がん剤も効いて肝臓の転移も小さくなった。もちろん、根治の可能性はなく、1日でも家族(奥様と幼児二人)と水いらずで過ごす日を作るしかできなかった。そして、落ち着いたときを見計らって、患者に「週末は家に帰ってゆっくりと過ごしてきたらどうですか」と告げた。患者さんは、にこりと笑った後に、突然声をあげて泣きだした。何か言ってはいけないことを言ったのではと動揺を隠しながら、「いったいどうしたの?」と問いかけた。すると、「先生、ありがとうございます。私は、入院したときに、もう二度と、生きて家に帰ることはできないものと思っていました。本当にありがとうございました。」と涙ながらに答えたのだった。こんなささやかなよろこびしか与えられないのだろうかと、自分の限界と医療の限界を感じつつも、少しは役に立った自分が誇らしくもあった。

 

この後、この患者さんは、週末帰宅を何回か繰り返した後、数ヵ月後には亡くなった。夜半に詰所から血圧が下がって危ないとの連絡があり、急いで駆け付け、最後を見取った。この患者の臨終を宣告した場面は、今でも脳裏を離れない。夫の死に泣き崩れる奥さんと、父親が亡くなったことが理解できず、傍でたたずんでいる二人の幼子。もう父親と遊ぶことのできない子供たちのことを思うと、いたたまれなくなり、涙がこぼれないようにしてそっと、病室を離れた。

 

この二人の若きがん患者の死を看取ったことが、若くしてがんを発症する遺伝性がんの研究へと私を導いたのである。原因の解明が、がんを治療する第1歩であると信じて。

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