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徳洲会と離島医療

徳洲会の選挙違反問題が一段落した。この問題に決着がついたので、徳洲会グループが果たしてきた離島医療への貢献について、ぜひ触れてみたい。選挙問題で、負のイメージを背負ってしまったが、徳洲会なくして、鹿児島県や沖縄県の離島医療は成り立たないと言っても過言ではない。病院やクリニックは、鹿児島県には北から種子島、屋久島、奄美大島、喜界島、加計呂麻島、徳之島、沖永良部島、与論島に、沖縄県では宮古島、石垣島、伊良部島に存在する。

 

私はかつて香川県内海町の町立病院で勤務していたことがある。内海町といっても「それってどこ?」と思う人が多いかも知れないが、「二十四の瞳」で有名な小豆島にある病院である。私が勤務していた頃の人口は4万5千人程度であったが、2013年には土庄町と小豆島町(私がいたころは池田町と内海町だったが合併)で約30,000人となっている。瀬戸内海では淡路島に次いで2番目に大きい島で、高松市から約20キロのところに浮かんでいる。上記の離島ほど不便ではないが、離島には違いなく、夜間に患者さんを高松まで送るのは容易ではない。

 

昔、日経メディカルで定期的に記事を掲載していた際に、福島県の産婦人科医が逮捕された件で(のちに無罪が確定)、この医師を擁護するコメントを書いた。「遠隔地の患者さんは不幸になってもいいのか」という、現状を理解できない人たちの的外れな批判を受けた。小豆島の病院で夜間当直をしている際には、自分の判断で患者さんの運命が決まってしまう責任の重さを感じていたので、外来での、手術場での「判断ミス」が刑事事件として問われるのであれば、外科や産婦人科から医師が逃げ出して当然であるし、誰も当直などしたくない。内海病院の産婦人科医は一人だけで、外から医師が手伝いに来る1週間程度を除き、年間約360日間オンコール状態だった。24時間いつ呼び出されるかもしれない環境下において一人で責任を負っていた産婦人科医には頭が下がる思いであった。隣接病院が近距離に多数あり、いざという時に助けを求められる、そのような条件が常に満たされているわけではない。

 

話は戻るが、徳田虎雄前理事長は、自分自身の不幸な体験をもとに、24時間365日対応できる医療と離島医療に尽力してきた。「毀誉褒貶」が激しいというより、「毀」「貶」の部分が多かったかも知れないが、日本の「24時間医療」「離島医療」を語るには「徳田虎雄」というキーワードは外せないくらい多大な貢献をしてきた人物である。戦後、日本の地域医療にこれほどまでに貢献した医師はいないのではないのか!

 

徳田虎雄氏に初めて会ったのは、堺市立病院外科に勤務していた時である。同じ大学の同じ外科の医局出身で、彼が医局を訪れた際に二言三言、言葉を交わした記憶がある。前年、初めて救急医療の地方学会で発表した際に、徳洲会グループの病院長から難しい質問をされて立ち往生した不快な記憶と、週刊誌を通しての徳田氏のイメージから、なんとなく会話の際には腰が引けていたが。

 

話は横道にそれるが、私がいじめられた学会は、私の人生初の学会発表であり、そのテーマは、「腹部の刺創があった場合に直ちに開腹すべきかどうか(内臓損傷のリスク)を推測するスコア」であった。1年間で10回近く経験したことから考えたものであった。「自損か他損か」「凶器の種類(果物ナイフ、刺身包丁など)、「刺された部位(右上腹部は肝臓や十二指腸があるのでリスク大)」「刺された数や傷の長さ」などで、かなり精度高く分類できたと思っている。読まれた方は、「1年にお腹を刺された患者が10人も来る病院って日本の病院???」と信じられないでしょうが(下図は5年間の集計)。

 

徳田氏の話に戻るが、その後、約20年近い歳月を経て、バイオバンクプロジェクトに協力を仰ぐため、面談することとなった。2-3度会って、オーダーメイド医療の説明をしたが、話の理解の速さに驚いたことが強く印象に残っている。国の政策に関与する人たちは、聞き耳さえ持たなかったので、非常に対照的であった。また、大学病院からの視点ではなく、離島医療を含めた地域医療の視点から見た、彼の日本の医療の将来に対するビジョンは、拝聴してかなり刺激的で、役に立った。「自分の目標とする医療を実現するためには政治力が必要なんだよ」と力説していたが、今回の事件が、徳田氏が長年積み上げてきた「離島医療」の崩壊につながらないこと、徳洲会グループが徳田氏の正の部分の財産をさらに大きく育てることを切に願っている。

 

今でも、小豆島で勤務していた頃の仲間や患者さんのことを思い浮かべるために、離島の方々が、恵まれた都会の環境と同じレベルの医療を受けることができるような施策を、国が支援することを期待せずにいられない。ある患者さんが、「本当にお世話になってありがとう」と朝自分で獲ったバケツ一杯のしじみを持ってこられたことがある。料理の方法もわからず戸惑っていた私に、普段は厳しい外来婦長さんが、「私に任せてください」と微笑みながら作ってくれた「しじみ汁」の味が妙になつかしい。

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