読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「エボラ」と「エバラ」の過剰反応?

「病院長がエボラで不適切ダジャレ 福井県立病院、FBへ投稿」というタイトルの記事を読んで、日本は何と平和なのかと思うと同時に、こんなことまで目くじらを立てる必要があるのかと違和感を覚えざるを得ない。確かに、私のブログでも「エボラ出血熱に対してもっと緊張感をもって対応すべきである」と訴えているので、「エバラは焼き肉のたれ」というダジャレは、事の重大さを考えると誉められたものではない。また、食品のイメージ悪化を憂慮する人がいるかもしれない(私は消費者はそんな判断はしないと思うが)。

 

しかし、多くのメディアが伝えるべき内容なのかと思う。いったい、だれがこのような情報を広めたのか、背景に悪意がなかったのかといぶかしく思う。組織の大小を問わず、多くの組織には派閥的なものが存在する。「白い巨塔」にもあった大学の教授選なども、時として派閥争いを色濃く反映するときがある。「内部告発」という言葉は、「正義を糺す」錦の御旗と考えられがちだが、告発者に悪意の意図があれば、事実が捻じ曲げられて伝えられ、派閥争いなどに悪用されるリスクを伴う。

 

特に、取材する側の記者の心が歪んでいれば救いようがない。心の中で赤いサングラスをかけている人に、「これは白い紙ですよ」と言っても、見た側は赤色にしか見えない。長年にわたって、色付きのサングラスをかけて物事を見ていることに気付かず、国の名誉を損ない、隣国との関係を悪化させた例など、明白な事例である。もし、気づいていたにも関わらず、それに目をつぶっていたとすれば、もはやメディアと呼ぶ資格などありはしない。

 

今回の病院長のコメントなど、軽率ではあることは否定できないが、ここまで問題視されれば、「物言えば唇寒し秋の風」となって、口を噤むしかなくなる。誰かが注意して、コメントを取り消せば、それだけで済むレベルの内容だと思うのは私だけだろうか?こんな状況では、うかうかと冗談など言えない。普段は言論の自由を振りかざす人たちが、この程度のダジャレにまで介入してはおかしくはないのか?

 

最近は社会的影響力のある人の私的な軽口・不用意な発言が、オフレコとの約束であっても報じられることがある。聞き手側は、話す側やその背後の人物・組織に対して、常に公平無私で、霞のない目と音域の広い聴力で見聞したうえで、偏りのない頭脳で判断して、報道することに心掛けてほしい。言論の自由を守るために。

f:id:ynakamurachicago:20140818055824j:plain